第五章第八話  悪い冗談

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 木々が生い茂っている聖域で、巫女が祈りを捧げていた。
 鬱蒼とした森の中、そう光が届くはずはない。だが、電気の付いた部屋にでもいるかのようにこの中は明るく、人が普通に生活できるだけの光量があった。それが聖域の力――すなわちその聖域を治める巫女の『力』によるものだという一説もある。巫女が持つ『神力』は、その言葉が指し示す通り神の力であり、周囲に光をもたらすのだという。
 アスラントに点在する聖域のうち、最も強い神力に覆われた『巫女の森』。かつて魔王軍を倒したと伝えられるヤレン・ドラスト・ライハントが創生した聖域である。入り口には生々しいまでの血色に染められた大鳥居がそびえ立っている。彼女が倒した魔王軍の血であるとか、ヤレンそのものの血であるなど諸説あるが、真相は謎のままである。尋常でない神力量ゆえに、多少の悪意を持った者でも居心地が悪くなるという。今となってはその考え自体廃れつつあるが、『獣』は巫女にとっては魔物そのものと古来から伝えられてきた。よって、魔族は無論のこと、獣の血を引く獣人などは神力による『攻撃』の対象となる。聖域へと歩を進めた瞬間、眩暈や吐き気・圧迫感や脳震盪(のうしんとう)といった症状を引き起こす。逆に言えばそれ以上悪化することはなく、慣れれば魔族でも普通に出入りができるらしい。慣れるまで出入りするほど物好きな魔族もそういないだろうが。
 真に清い心を持った者のみが、聖域に受け入れられる。例によってこの森で幼少の頃より修行を積んできた巫女・サトナには、邪な心などどこにもない。あったとしても、とっくの昔に聖域に満ちた神力に掻き消されているだろう。『巫女の森』こそ、巫女としての修行にふさわしいと言われているのも、これがゆえんである。
 そのサトナは今、特殊な結界を作っていた。超高等結界【(ツイ)】。“超”と付くところから分かるように、高等結界の中でもさらに難易度の高い結界だ。これは自らの周囲に結界を張り、東西南北に手を伝って気を集中させる。これにより、現在その方角で何が起こっているか、何が原因かなどの情報を一手に集めることができるのだ。【千里眼】のように実際の様子を見ることはできないが、木々や小動物が出す微弱な「声」が伝えてくれるという。なお、その「声」自体は【思考送信(テレパシー)】を使って捉えている。つまりサトナは、最低でも二つの【神術】を一気に使っていることになる。これも膨大な神力と、修行により培った集中力及び精神力によるものだ。
 彼女は暫し両眼を閉じて情報収集に当たっていたが、不意に静かに双眸を開いた。胡桃(くるみ)色の瞳は、全て悟った上でいて重く受け止めるような、そんな何かを宿していた。鳥たちは依然として透き通ったコーラスを奏でているというのに、いずれはこの声も途切れてしまうのか。サトナは再び瞳を閉じて悲しみを耐えた。止めなければならない侵略。だが自分に何ができるだろう。【神術】を持ってしても、防ぎきれる数はたかが知れている。彼女の脳裏に七人の少年少女らが()ぎる。今は彼らに全てを任せるしか方法はない。
 ――(わたくし)は、ここで皆さんの無事を祈ることしかできない……。
「とうとう……来てしまったのですね……」
 穏やかな声でありながら、表情は固かった。それが彼女なりの、一種の諦めにも似た表情であるということを知っている者は数えるほどしかない。
「誰がだ?」
「!」
 予期しなかった声がして、一瞬身を強張らせる。だが全く聞き覚えのない声ではなくて、咄嗟に記憶の糸を辿った。この緊張感のない声、この気配。サトナの脳内で瞬時に一人の人物がはじき出された。敵では、ない。しかし、巫女の立場として『善ある者』の立場として赦してはならない人物。
貴男(あなた)は以前の……よくもまあ、私の前に出てこられましたね?」
「なぁんだオレのコトじゃねぇのか〜〜。オレが来ること分かっててすげーなーサトナちゃんは、って思ったんだけど」
 サトナの非難など問題にもしていないような口調で、ウオルクは飄々と言ってのけた。
 正直なところ、サトナにとって彼の登場は予想外だった。ガイラオ騎士団という存在そのものを忘れてしまっていたわけではない。近況が深刻だったこともあって、対魔族用の結界は十二分に強力にしてあったのだが、その分魔族以外の存在は見過ごしてしまった。どちらかを強めれば、どちらかが弱まってしまう。その特性を見抜けなかった自分の敗因だ。彼女は心の中で、まだまだ未熟だわ、と呟いた。
 何にしても、この『悪ある者』を野放しにしてはおけない。
「貴男などに気を取られている余裕はありません。早々にお引き取りください。ここは貴男が来るような場所ではありません」
 怒るという手段を取ってこなかったせいか、『悪』の前でも口調は変わらない。注意するというよりは諭すような口調だ。その代わり早口にぴしゃりと言い放つ。
「……ひっでぇーなぁ……」
 効果は覿面(てきめん)のようで、ウオルクは少しショックを受けたようだった。
「愉快な痴話喧嘩だな」
 見計らったように響いた笑い声と、からかいを含んだ言葉。ウオルクは肩に担いだバスタードソードを持つ手に力を込める。だがサトナが呆けたように「あ」と呟いたのを聞いて、その力は弱まった。それだけでなく、現れた姿を見て持っていた戦意は全て捨て去った。それは伝説に聞く『救いの巫女』そのものの姿だったからだ。
「お前もそんな年頃か」
 肩に掛かった長い焦げ茶色の髪を手で払い、妖艶に微笑む巫女。その笑顔が、何故か以前戦ったイチカと一緒にいた少女と重なり、ウオルクは既視感を覚えた。その意味に気づく前に、サトナが小走りにヤレンの元へと駆け寄っていく。
「ヤレン様……!」
「“お出になって大丈夫なのですか”か? 心配ない。そろそろ本格的に動かねばならない時期だからな。それに」
 言葉を切り、意味深な視線をウオルクに送る。何かを探るような眼だった。
「見たところそこの男、イチカよりも腕の立つ『本物』だな。――名は?」
 どういう経緯か知らないが、この巫女はあの少年を知っているらしい。何か知っているのだろうか。ふと興味が湧いたが、名を聞かれて反射的に答える。
「……ウオルク・ハイバーン」
「ではウオルク。理由は訊かないが帰る場所がないのだろう? 私を手伝ってはみないか」
「ヤレン様?!」
 核心を突かれた。何故そのことを知っているのかと聞こうとして、サトナが悲鳴のように声を上げた。考えるまでもなく非難を含んだ声だ。ウオルクはそれを聞いて、ああオレってホントに嫌われてんだなぁ、と考えしんみりとした気分になった。
「お前の言いたいことは分かる……だがやむを得ない。既に魔族はこちらに潜んでいる。魔王軍が降りてくる前から、な」
「“魔族”? “降りてくる”? 何言ってんだあんたたち……?」
「魔族の存在は知っているだろう?」
 ヤレンがじっと見つめてくる。視線をずらせば、サトナもこちらを見ている。まるで知らないなど恥以外の何でもないと言われているように。
 だが。
「さっぱりだ」
 暗殺以外の知識はあまり知らないのであった。

 視界の隅で何か白いモノが動いている。先ほどそちらに注意を向けると、バレたらしく、サトナが結界の力を強めた。同時に身体中に真上から負荷が掛かり、体勢を保てなくなる。一瞬ではあったが、いちいちこれでは体が持たない。ちらちらとそれはよく動いていたが、なるべく気を逸らさないようにした。誰が基準なんだと思うほど、この結界は威力が半端ではない。そう何度も受けてたまるか、と、彼女らの話に集中することにした。だが――ウオルクは自らの記憶力については自負するほどであり、それは団の皆が認めていたことでもある。暗殺において対象の顔を覚えることは必須条件。暗がりでも相手の顔が分かるほどでなければ、暗殺など成功しない――などと考えていたら、サトナがまた結界を強化しようとしていて、慌てて真剣に聞き入った。つまり彼は、一瞬見ただけでも性別や顔、大体の年齢、服装くらいは分かってしまうのである。否、もし見ていなかったとしても、大方分かっただろう。時折聞こえる甲高い声は、少女のものでまだ幼い。全てが白で統一された少女。同じように白くつばの広い帽子を目深に被っていたため、顔だけは見えなかった。遊びたい盛りなのだろう。ウオルクとてその年代を通ってきたのだから、少女の行動に反発など起こらない。だが――この聖域にふさわしいはずの白は、何故か酷く浮いて見えた。
 ふと痛いほどの視線に気づき、そちらを見れば予想通り、ジト目でこちらを見るヤレンとサトナ。
「……分かったのか?」
「――え〜〜……。要約すると、イチカとアオイっつー嬢ちゃんは、人間っぽいけど人間じゃない魔法を使える魔族っつー連中に狙われてる。で、そいつらから逃げてる途中に、カイズとジラーを追ってるオレと会った、ってワケだな?」
 確認を求めるようにヤレンとサトナの顔を交互に見る。静かに頷く二人。なるほどなるほど、と再度相槌を打つウオルク。色々と考えてはいたが、ちゃんと人の話も聞いているのだ。理解したという喜びから、爽やかな表情を浮かべている彼とは正反対に、巫女たちは疲れ切った表情をしている。
 それもそのはず、説明を始めて通算三十回目でやっと、ウオルクの理解が行き届いたのだ。いい加減喉もカラカラだろう。ヤレンはあくまでも『意識』だが、表情だけは少しやつれていた。
「……理解したな……」
「ガイラオ騎士団は暗殺のみを教え込まれるため、世間一般の知識に乏しいと聞いてはいましたがここまでとは……」
 一番の難点は『魔族』のことだった。たとえその姿を見たことがなくても、巫女と魔族が戦ったという神話のような事実は、教書、口伝などで誰もが知っている。だが教書を読み聞かされることなく、口伝されることもなく育った人間がいるのだ。学校という教育機関がないアスラントでは、家庭で勉強から家事まで教えるのが常識である。教書を読み聞かせる、という教育があって当然なのだ。それがこれだけ時間がかかった。ただ忘れている、というのではなく、本当に「知らない」のだろう。自ら望んで暗殺集団に入ったのではなく、親であり教師でもある存在に『捨てられた』ということ。
(私の読みは、正しかったようだな)
 ヤレンは自らの察しの良さを確認しながらも、複雑な感情にとらわれた。いくら『世界を救った巫女』と謳われていても、元はただの人間だ。物心ついたときには、父も母もいなかった。亡くなったのか、捨てられたのかは分からない。どれだけ泣き叫んでも、どれだけ求めても、自分を知っている者は誰一人として現れなかった。だからこそ、親のない子の痛みはよく分かっているつもりだった。だが、このウオルクという青年を見ている限り、その『痛み』は見当たらない。元々の性格もあるのだろうが、今まで育った環境が良かったのかもしれない。サトナに言えば、間違いなく非難の言葉が返ってくるだろうが。
「で、何でオレに“手伝え”って言ったんだ? そりゃ、行くアテはねえんだけども」
「だから、さ」
 眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔をするウオルク。サトナも興味深そうにヤレンの言葉を待っている。
「行くアテがない、ということは暫くは暇なのだろう? 暇があれば、どんなことだろうと首を突っ込みたくなるのが道理。それに加えて、戦力の高さも見せてもらった。“手伝い”と言っても少々、戦闘沙汰になることでな」
「“戦闘沙汰”? 国同士で戦争でも起こすつもりか? そんな噂聞いてねーが」
「いいや。もっと大きな戦争だ」
「ヤレン様、まさか……」
 サトナが何かを危惧したように口を挟んだ。ウオルクとしては冗談で言ったつもりだったのだが、本当らしく、つられてヤレンを凝視した。ヤレンはそれまで以上に真剣な面もちで、二人を見遣る。
「人間同士の戦よりも、(むご)く大規模になるだろうな。恐らく、私と魔王軍との戦いかそれ以上の」
 それまではどちらかというと和やかだった雰囲気が、途端に暗黙となる。『いつ』だとか『どこで』などと言えるような状態でもない。戦争が起きる。予測だというのに、彼女の発言はどこか絶対的で、否定もできないのである。なるほどこれが『救いの巫女』の能力か、とウオルクは自分で納得し、暗然とした空気ごと斬りつけるようにバスタードソードを背中から抜き放った。そして、いつもの調子で言う。
「ま、他ならぬ救いの巫女サマの頼みならしょーがねえか。道具として切り捨てられんのも覚悟の上」
 戯けたように言って巫女たちに背を向け、バスタードソードを肩に担ぎ、悠々と出入り口へと歩き出す。
「それは違うぞ、ウオルク」
 怒鳴ったわけでも叫んだわけでもない静かな口調なのに、自然と歩みが止まってしまった。諭すような声。ウオルクは首だけ振り返る。
「人は皆、自由だ。誰にも縛られず、誰にも指図されることはない。お前のいた世界は、そんな常識も覆していたんだろう?」
 核心を突くような言葉。気味が悪いほど、彼女の言うことは真実だらけだ。確かに暗殺しろと指図され、縛られた日々だった。自由などほんの僅かだった。人を殺して気分が晴れやかになるはずもなかった。
 しかし、人殺し、と世間から疎まれているあの集団が、ウオルクはそれでも好きだった。家族を知らない彼が初めて出会った、家族のような存在。勿論、嫌いな連中もいるが――今だって、彼らを信頼している。たとえ任務に失敗していようと、最後に帰るのはあの場所だと、ウオルクは心から決めていた。だからこそ。
 ――団長……ちょっと、家出してくるわ
「で、どうすりゃいいんだ、オレは? 今のあんたの話からすれば、その戦争を止めに行けってとこだろーが」
「至極簡単なことだ。とある国へ行ってもらいたい」
 ふと、この巫女はどこまで先が見えているのかと思いながら、ウオルクは彼女が指定した国へと歩き出した。

 四散――否、弾けもしなかった。
 届く前に蒸発し、跡形もなくなった。代わりに、前方から来た熱と風の塊が白兎を襲う。目前まで迫っていたそれをすんでの所で避けるが、頬に小さな痛みが(はし)った。触れなくとも、頬を滑る生温い何かは間違いなく己の血だと確信する。背後では何かが軋む音が鳴り響き、次いで地面に何かが叩きつけられる。恐らく木だろう。大して強力そうにも見えなかったが、この状況からして避けておいて正解だったらしい。自慢の技を造作なく消され、小さくはあるが手傷を負いながら、白兎は自分でも存外冷静だと思う。ただ、心の底では酷く動揺していた。どういう形であれ反撃が来るのは分かっていたことだ。だが、敵には僅かなスキも生まれなかった。そう、兎使法が蒸発させられたから――。
「残念。外れてしまったわね」
 全く残念そうに聞こえない、感情のこもっていない言葉を発して、熱球をぶつけてきた魔族・サイノアは振り返った。血のように紅い瞳が白兎を映す。まるで猛獣が、獲物の姿を捉えたように。
 一方で、最初から兎使法による襲撃などなかったかのように、明後日の方角を【()る】クラスタシア。【千里眼】によってそちらの景色が映し出され、彼の脳裏に一人の少年が浮かぶ。散々からかい、可愛がっておいた魔法士。これからあの少年と戦うのだと思うと心の底から興奮する。渇望していた戦い。無意識に両手を組み合わせる。
「アタシの遊び相手……早くいらっしゃぁい」
 クラスタシアがうっとりとしている、その他方。刃と刃がかち合い、擦れる音が絶え間なく響く。もう何十分経っているだろうか。無限に感じられる斬り合いは、一向に終わる気配がない。
 橙の軌跡と、銀色の軌跡が交わる。暫しの睨み合いが続く。今回は長い方だ。どちらかと言えば、橙の剣の持ち主である黒髪の青年に分がある。だが銀色の剣の持ち主、イチカには分かっていた。この魔族は自分に対して手を抜いているのだ、と。先ほど二刀流であることを証明していながら、今まで通り片方の剣しか使っていない。そして気に入らないことに、終始口元には笑みが浮かんでいるのだ。これは真剣勝負などではない。明らかに相手が、自己満足のためだけに戦いを楽しんでいるのである。相手にならなくとも、魔族の側からすれば「斬り合いができればいい」だけなのだ。同時にそれはイチカに絶望感を与えた。ここまで敵に余裕を持たせてしまうほど、自分は未熟なのだと気づかされてしまう。額から止めどなく血が流れ、イチカの体力を少しずつ奪っていく。このままではまずい。
 その時、ソーディアスの左腕が動いた。イチカの眼には右から突然軌跡が現れたように見えて、対応が遅れる。咄嗟に身を退いて攻撃をかわすが、頬から目の下にかけて傷を負ってしまう。
「くそ……っ」
 がむしゃらに剣を振るって相手にも攻撃しようと試みるが、ソーディアスは易々とこれをかわした。イチカは少し距離を取る。そしてできうる限り高速の突きと斬撃を繰り出した。剣を持って三年足らずの剣士にはなかなか難しい技だが、彼にとっては得意技の一つである。しかしそれすらもソーディアスは片手で防ぎ、左腕は遊ばせてあるままだ。
 そしてとうとうイチカの突きがソーディアスの剣を弾き、その勢いで互いに距離を取った。走らなければ攻撃などできない距離で対峙する。息も継がせない双方の攻防に静まりかえっていた周囲の自然も、ようやく元に戻った。だが先の見えない戦いに恐れを成しているのか、動物たちの息遣いは全く聞こえない。イチカは枝葉の擦れる音を聞きながら、静かに言った。
「あまり、フェアな戦いじゃないな」
「悪いな。だがこれが俺本来の戦い方なのでな」
 仮に、このソーディアスという男が二刀流でなかったとしても、その強さは歴然としていた。これはイチカの直感だが、それはイチカ自身自負するほど鋭いものだ。『二刀流』であれば、敗けた時の言い訳ができると、心のどこかで思っていたのかもしれない。
 ソーディアスは二本の剣を己の前で交差させ、イチカにそれらを見るよう促しているようだった。柄から刃先まで橙系一色の、切っ先が二又に分かれた剣と、影がかかっているように銀色と漆黒の剣が重なり合った剣。
「『真橙(しんとう)』と『影貫(かげぬき)』――二刀はふたつでひとつであり、俺そのものだ。魔星のとある場所で見つけた」
 飽くことなくその二刀を交互に見つめながら、自慢話のように語るソーディアス。
「こいつらは俺の目的を即座に理解してくれた。そしてその目的のために、俺が奴らを必要としていることも。全ては貴様を――以前の貴様を倒すため」
 イチカの顔が怪訝そうに歪んだ。
「“以前の”おれ……だと……? 何を言っている……」
 それは、ヤレンが最も恐れていたであろうこと。
 そして彼女が、全てのほとぼりが冷めたあとに、碧とイチカに改めて伝えておこうと思っていたこと。
 漆黒の剣士の口元が、嘲りで吊り上がる。
「『結界女』から聞いていないのか? 我らが同胞でありながら我らを裏切ったあの男……」
 笑えぬ冗談の種明かしが、イチカにとってはあまりにも突然に訪れた瞬間だった。
「『セイウ・アランツは、四百年前の貴様だ』と」
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