決意の蒼眼

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 燃えたぎる、紅い炎。
 淡く、勝ち誇ったような不敵な輝きは、どこかあの少女に似ていた。過去を背負いながらずっと一人で生きてきたくせに、そんな素振りなど欠片(かけら)も見せない。むしろ悟られまいとするように、多少行き過ぎた明るさで周囲を友にしていく。強気で気高いその女らしさが魅力的だが、それは逆に無理な明るさだと疑わざるを得なかった。何も知らない者は、それが本来の明るさだと信じて疑わないだろう。生まれ持った性格だと、勝手に納得しているのだろう。
 だが――本当は違う。彼女はその過去故に、明るくなければならなかった。引きずってはいけないから、所詮過去だとして押し込まなければならないから。本当は泣きたくて堪らないほど、辛い過去。それを彼女は敢えて押し隠している。
 睦田(むつた)は、とても見ていられなかった。彼とて別に見たくて見たわけではない。家系故に備え付けられてしまった能力の一つが、たまたまある一人の少女を導き出しただけのことだった。本当は見えてしまっただけで行動に起こす気はなかったのに、不思議とその少女のことが忘れられなかったのだ。
 両親が離婚。母親に引き取られて間もなく、母親が交通事故に遭い、植物状態に陥る。その後の行方は何故か【見え】ず、次に【見た】時は一人暮らしをしていた。その間のブランクは五年ほど。何があったのか、睦田は知る由もない。
 炎の中、映るのは幼い少女。声を潜めて泣くその姿を見つめながら、睦田は軽く溜め息を吐いた。
「……荷物が多すぎんだよ、あんたは」
 憐れむような、同情するような、小さな呟き。
 彼がいるのは暗い室内だ。現在の時刻が夜八時を過ぎているからでもあるだろうが、昼間さえまともに日の光が入らないその部屋は、一層暗さを増している。実家の一隅、寺院に最も近いそこが彼の部屋だ。寺院と母屋(おもや)は隣接して建っており、どちらも一階建て。それが昼間も日光に恵まれない理由だが、睦田はそんな陰湿な空気が決して嫌いではなかった。寺の息子という境遇のせいか、寺院に近い方が理由なく安心できたのだ。
 ――そして、両親に黙って何かをするときも都合が良い。
 そんな所で、彼は今紫の装束を身に付けていた。学校から帰宅しているから当然だが、私服らしさに欠ける衣装ではある。それもこれも、全ては彼が【見よう】と思ったときだけなのだが。
 首元・両肩に数珠を巻き、両手の指を複雑に組み合わせ、胡座をかいた彼は今『儀式』の最中だ。彼の能力を最大限に生かす『儀式』。それが突如として解かれ――指を離せば自然に炎は消える――今度こそ真っ暗になった室内。それでも彼は無言を守り、視線だけをゆっくりと背後に向けた。
「何か用? ……親父」
「大いに訳ありだ」
 すっと開けられる障子。ここへ来るまでの廊下は明かりが灯っているのだろう、暗さに慣れていた瞳にそれは眩しすぎて、睦田は思わず目を細めた。
 年齢はおよそ四十代後半。どことなく威厳があり、しかし年の重ねを感じさせない大きめの瞳。皺がなければ十歳ほど若く見られそうな、そんな男だ。睦田寺の住職にして睦田陸也の父・睦田陸隆(あつたか)である。
「訳あり? 用じゃねえの?」
「何でも良い。向き合いなさい」
 苦笑しながら問う陸也に、ぴしゃりと言い放つ父。「へえへえ」と言いながら座布団から腰を上げ、父に向き直る。
 正座して向き合う父と息子。状況に反して陸也は笑いを堪えずにはいられなかった。それに気付いた父がたしなめるような視線を送るが、それでも彼は喉の奥でくっくっと笑っている。
「……何がおかしいか」
「いやっ、はは……だってさあ、あんたが説教なんてどう転んでも有り得ねえもん」
「何を言う。父はこれでもじゅーぶんに説教モードだぞ」
「それがおかしいんだって!」
 とうとう大爆笑し始めた息子に、父は持っていた怒りを通り越して諦めモードに入っていく。そんなに自分には説教が似合わないだろうかと真剣に考えてみるが、今まで全く怒らなかったことなどない。それでも何故かこうして、息子や妻にさえ笑われてしまうのである。
「失礼しました。本日はどのような内容でしょうか」
 言葉こそ真面目だが顔は笑い、口調はひたすらに滑稽(こっけい)。素直に説教を聞く態度とは思えない。それでも数秒で笑いを抑えたのだから、今回はまだ早い方である。それに、言ったところでまともに聞いてくれるとは父も思っていない。「今後気をつけるように」が最後の締めぜりふで、それ以上の事は何も言わないのだ。特に――
「まず、『親父』と言うのを止めろ」
「無理」
 このセリフを言い続けて何年が経っただろう。この返答を聞き続けて何年過ぎただろう。そして、何度言われてもその後の言葉に詰まってしまう。父は今まで一度も、この話題ばかりは勝ったことがない。
「……なんでだ! おかしいだろう、どうして父だけが『親父』?! なぜ母さんは『母さん』で父さんは『父さん』と呼ばないんだ!? 『親父』ときたら『おふくろ』が普通だろう!」
「その組み合わせフツー過ぎんだよ。つーか何年そんなこと気にしてんの」
「七、八年……いや、十年経ってるかもなぁ」
「あんた真面目なのも問題だよ」
 親子らしい会話が繰り広げられ、説教モードはどこへやら、内容は全て入れ替えられていた。
「で? 話それだけなら帰ってくれるとありがてーんだけど」
 宿題してないし、と付け加え、座布団を小さな机の下に持っていく。今時珍しい和室の、今時珍しい棚も何も無い机。必要最低限のものしかないような、質素すぎる部屋ではある。
 父はそれ以上言うことがないのだろう、無言のまま何十回目かの敗北を背負って障子を開け――止まった。
「陸也」
「あー?」
「あまり、使いすぎるなよ」
 父と、母と、両方から受け継ぎ、受け継がなかった能力を。
「……了解」
 その返事を確認し、父は静かに障子を閉めた。

 睦田家とほぼ同時刻。場所はやはり東京都某区の、人目に付きにくいガードレール下。
 いつもより早めに『店セット一式』を解体し、袋に詰め込む全身紺一色の怪しい人物は、巷で噂の“未来の申し子”またの名を『桜紅(さくれ)』自称“清楚で物静かなぷりてぃ予言者”そしてその実体は紅髪の女子高生・国橋五月(くにばしさつき)のものである。
 体調は万全、【未来予知】も申し分なし。というより、今まで外れたことがないので何も変わった所はないのだが、やはり彼女としては早く家に帰りたい気分だった。その理由は――
『半分以上はそーかな』
『どーしても分かんねえ、って顔してんね。残りの理由』
『…………秘密』
 全てを見透かすような左眼。顔の右半分を隠すように垂れ下がるブラウンの前髪。自分のことを奴隷呼びするその唇、声。意地悪さの中に垣間見えた優しさ。肉付きの足りない、骨張った腕――。
「……って、何であいつが出てくんのよっっ?!」
 傍目から見れば不自然なほど頭を振り、突如現れたその人物像を振り払うべく走り回る。理由はこれである。四限目の後の休み時間から、睦田があの行動を取った後から、妙に意識してしまっているのだ。消しても消しても現れ、その余裕そうな顔が脳裏に浮かぶ。おかげで最後まで授業に集中できないままだった。下校するときもどこからともなく鞄を放り投げて後ろに乗ってくるのではないかとヒヤヒヤしていたが、それがなかったのが唯一の救いだ。
「ワケ分かんないっ! なんであたしがあいつの奴隷なのよ?! ていうか初対面ならもー少し遠慮ってものを……」
 “初対面”?
 そう言えば、と五月は思う。同じ高校だとは知らなかった位だから、全く面識は無いはずだ。それなのに睦田の方は、自分が『誰』なのかを知っていた。そして知られたくないこと―― 一人暮らしだということも。
 未来が多少見えるとは言っていた。しかし一人暮らしは未来ではなく過去のことだ。会ったこともない人に分かるはずがない。
「……なんで、あたしの事知ってるのかな……」
 片付けも忘れ、『本業』の間使っていた椅子に腰掛ける。考えてみれば、彼については知らないことばかりだ。睦田は自分の事を色々知っているのに、自分は彼の事を何も知らない。何だか酷く損した気分だ。自分の事だけ知られているなんて。
「……! な、何考えてんのよあたしってば。別に知らなくてもいーのよ、恋人同士でもないんだから」
 “恋人同士でもないんだから”
 何故か、その言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていた。
「おっ、あれじゃねェの〜? 屋台っぽいの出てんじゃん?」
「マジ? あれ『桜紅』だったりする?」
「女っぽいし、そうじゃね?」
 複数の声がすぐ近くで聞こえた。見れば金髪に染め、ピアスを開け、げらげら笑いながらこちらに歩いてくる男子学生たちが四、五人。しかもその制服は、
(げっ! あれ春一の……!!)
 顔は暗くてよく分からないが、全員が共通した特徴、無断欠席・夜間外出は日常茶飯事というあのグループは悪名高い。よりにもよって、一番やっかいな連中に見つかってしまったものだ。聞けば女付き合いも派手だというから、ますます五月の苦手なタイプである。
(どうしよう。見つかっちゃったから逃げたら不自然だし、かと言ってもうお店畳んじゃったし……)
「こんちはぁ〜」
 一人が声を掛けてきた。すると、何が面白いのか周りからどっと笑いが起こる。訝しげに眉をひそめる五月のことはお構いなしに、話を進める男子。
「じゃあさあ、手始めにオレの未来とか見てほしーんですけど!」
 またもや沸き起こる大爆笑。はっきり言って、どこにそこまで笑う要素があるのか分からない。あるとしたら、この【未来予知】の事だろう。彼らは多分、面白半分に占ってもらおうとしているのだ。五月はそういう考えが好きではない。それは世間に言わせれば“インチキ”なのかもしれないけれど、それでも他人の未来は見えるのだ。
「……申し訳ありませんが、本日の仕事は終了しています。後日またお越し下さい」
 二日前にも言った言葉だ。ただし今度は、中断されることなく断言できた。後は引き下がるのを黙って待つだけだ。
「……あァ? シカトかよ? オレは占ってくださいって言ってんですけど」
 空気が変わった。それは五月にも分かったが、それでも遠慮したいものはしたいのだ。こちらが引き下がるワケにはいかない。
「ですから、本日の営業は終りょ――」
「ざけんなよコラァ!!」
「きゃ……!!」
 ――その考えが甘かったらしい。占って欲しいと言ってきた男子がどういうわけか逆ギレし、五月の顔のすぐ横の壁を殴り付けたのだ。
「“本日の仕事は終了しています”? “後日また”? フザケてんじゃねェよ!! てめェにはまだ仕事が残ってンだよ!! “オレらに遊ばれる”っつう仕事がよ!!」
「――!! いやっ……!」
 男子学生が言ったその意味を瞬時に理解した五月は咄嗟(とっさ)に逃げようとするが、もう片方の手を壁に押し付け、出口を塞がれる。
「ドコ行くんですかぁー? オレらと楽しいコトしましょーよ?」
 冗談じゃない。夜に男が大勢に女が一人でこの状況。楽しい事のはずがない。そう思いスキを見て逃げ出そうとするも、巧みに腕をずらされ一歩も動くことができない。
(イヤだ……!! こんな奴らの言いなりになるなんて、絶対に嫌ッ!!)
「……っどいてよ!!」
 渾身(こんしん)の力を込めて男子学生の胸に頭突きすると、意外と利いたのか二、三歩後ずさり、出口が出来た。このスキを逃す五月ではない。『店セット一式』はまた明日にでも取りに来ればいい。今は逃げる事が最優先だ。
「クソッ、あの野郎……! 待ちやがれッ!!」
 先ほど男子学生が壁を殴ったせいで倒れたのか、立て掛けてあった『店セット一式』の棒を引っ張り出し、逃げる五月の足下に向かって投げつける。
「つぁっ!!」
 大分離れたと思った。逃げ切れたと思った。けれど金属製の棒は思ったよりもよく滑って、五月の足を掬った。足と足の間に挟まるように棒が滑り込んできたためか、思うように立ち上がれない。打ち所が悪かったようだ。
「ッ……!」
 下卑た笑みを浮かべながら近づいてくる男たち。脳内で警鐘が鳴り響いているのに、彼女の足は動かない。好き勝手に、されてしまう。
「……嫌……来ないで……」
 五月の声が聞こえているのかいないのか、構わず歩み寄ってくる。睨み付けてもオモチャでも見るような目つきをするだけで、全く怯んだ様子はない。明らかに馬鹿にしている。
「来ないでって、言ってるでしょっ?!」
 止まることを知らない、人間。
 自分とは別の性別。
 対となる存在。
 怖くなどなかった。同じだと思っていたから。
 形が違っても、同じ生き物だと信じていたから。
 だけど知ってしまった。こいつらは同じ生き物なんかじゃなくて、
 理性を失ってしまえば、獣と同じなのだと。
「…………ぃゃ…………」
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 何も知らない人なんかに。

 ――助けて……

 ――助けて……睦田ッ!!

「――!? 今のは……」
 弾かれたように顔を上げる。幻聴にしてはあまりにもリアルな、切羽詰まったような叫び声。
 それは間違いなく、二日前自分が『奴隷』にした少女の声だった。
 うるさいほど心臓が鳴り響く。ひどく胸騒ぎがする。彼女に、何かあったのか――。
 素早く経を唱え、両手の指を絡ませる。炎の出現が遅く感じ歯痒い。焦りが能力の発生を遅らせることは分かり切っているのに、気持ちが先立って我を忘れていた。
 ようやく表れた炎。その中央には、
「……っ!!」
 複数の男に襲われている、紅髪の少女の姿。
 まだ事には及んでいないが、男たちの手は既に少女の衣服に掛かっている。為すがままにされるのは、時間の問題だろう。
「ああもー、だからあんたはっ!!」
 焦りのような、苛立ちのような声で叫びながら、部屋のすぐ外に置いてある自転車にまたがる。そのまま下へ続く数十段の階段に向かって一直線に走り出した。通常ならば重力に従って、階段を通りすぎた途端真っ逆様に転落していくだろう。だが、睦田の乗った自転車は階段を越えたと同時に落ちることなく、宙を浮いたまま走っていくのだった。
「陸也!?」
 陸隆が外に飛び出す。睦田の招かれざる力は父母のどちらにも一致はしないが、能力を使ったかどうかは分かるようになっている。陸隆は忌々しげに舌打ちする。
「そこまでして、お前は……! その娘を護りたいか……?!」
 父の声は、息子には届いていないようだった。
「どこだ……! どこで屋台やってんだよどれーさん!!」
 魔法のように都会の空を飛ぶ自転車の上から、半ばヤケになりながら叫び続ける睦田。
 ――熱くなっている。
 それは分かっているのだが、どうにも感情のコントロールというものが出来ない。しかしこれができなければ、彼女の居場所を特定することができない。父親譲りとも言える舌打ちをし、次には自嘲していた。
「ったく……ほんとーにどうしようもなくなんだなぁ……」
 くしゃっ、と右半分を覆い隠していた前髪を掻き上げ、じっと目を凝らして地を見詰めた。その右眼は、日本人ならば絶対に遺伝することのない深い蒼色をしていた。無論、コンタクトなどではなく本当の眼。これが『魔法の力』を受け継いでしまった者の証。
「奴隷さんの居場所、探して」
 誰に言ったのか、と彼に訊いても答えは返ってこないだろう。答えは『自分自身』だから。同じ身体だが、眼だけは別の生き物だと言っても過言ではないらしい。それでも、自分は自分だ。
 その命令を受けて、蒼眼は勝手に動き出す。時にはその何十倍もあろう身体さえ動かして、眼球が目的の人物を捜し出すのだ。ぴた、と眼が止まった所を一直線に進めば、彼女がいるはずだ。睦田はその方向に向かって自転車を走らせた。
 彼女のことは知っていた。占い師として世に名声を轟かせる以前から、ずっと。
「――!」
 近づいてくる地上。だがその上には人影がない。睦田は内心小首を傾げた。蒼眼の命中率はかぎりなく百パーセントに近い。外れたとしても蒼眼が指定した地点からそう遠くは離れていないはずである。
「奴隷さん」
 自転車から降り、辺りを見渡す。いつもと変わらぬ口調で呼び掛けてみるが、当たり前のように返事は無い。
 また、蒼眼が動いた。媒体の身体も動かし、近くにあったガードレールに向き直る。睦田は無表情にそちらを一瞥し、走り出した。
「大人しくしろ!!」
「ぃやだッ!!」
 男の罵声と、女の悲鳴が響き渡る。睦田が五月の声に気付いてからここに来るまでおよそ五分。普通に自転車に乗れば何十分もかかるほど遠距離にあったが、彼だけの特性を使えばそれを短縮することも可能なのだ。
 ――ただし、無茶な使用は著しい体力の消耗を伴う。それによって睦田は今極度に疲労していたが、表情には出さぬよう、気付かれぬよう、行動を起こした。地面に落ちた空き缶を、サッカーボールのごとく蹴りつける。
「?! ァんだてめェ、いつの間に……!」
「女一人にタカってナニしよーとしてんの」
 たかが空き缶一本。そんなもので再起不能になれば苦労などしないというものだ。例によって主犯の男が顔を上げ、睦田を睨み付ける。その身の下には、辛うじて衣服を身につけている女――五月が、震えて止まらない自らの肩を抱きながら睦田を凝視していた。
「……む、つた……」
 睦田はその声に応えるように五月に目をやると、ふっと表情を緩めた。たった今まで絶望の淵にいた五月は男たちに対する恐怖と、睦田のその表情に困惑する気持ちが交差していた。男子がいつまでもその状態を保たせるはずはなく、五月の発言に鼻を鳴らす。
「“むつた”……? てめえまさか、寺の息子だっていう睦田陸也か!!」
「フザケた名前しやがって!!」
「じゃあコイツはやっぱ国橋か!! 無断バイトは禁止ですよ〜?」
 五月は怯えて声も出せない。ただ涙目で睨みつけるだけだ。ぎゃははと下品な笑い声を上げながら罵る男子に、睦田は冷ややかな視線を送る。
「あんたらに俺の名前をどうこう言う資格ねーよ」
 吐き捨てるように言い、五月を庇うように対峙する睦田。それを聞いた男子たちが眉間に皺を寄せ、気が短いとしか言いようがないほど彼を睨み付ける。
「フザケてんなよ? 寺の息子ならそれらしく辞世の句でも詠んでろ」
「……じゃ、お言葉に甘えて」
 ワンテンポ遅れて、その場にいた睦田以外全員が「は?」と聞き返す。しかしその時には睦田は指を組み合わせ、何かの経を唱えていて、聞く耳持たずらしい。
「……って、何甘えてんのよ! あんた一体何しに来たわけ!?」
 恐怖も忘れて五月がもっともなことを言うが、やはり睦田は聞いていない。いっそのことこのままトンズラしてしまおうかと彼女が思った矢先、それは起きた。
「うぁっ!!」
 睦田の前にいた男子二人が、何かに吹き飛ばされたのだ。何か、と理由が漠然としているのは、突風が吹いたわけでなく、何かが睦田の前に現れたわけでもなく、文字通り“吹き飛ばされた”からだ。
「あんたたちの為の辞世の句」
 睦田はそう言って、不敵とも言える笑みを浮かべた。当然、それを見て頭に血が上らないはずはない。
「こっ、の、腐れ坊主……! ぶっ殺すっ!!」
 人工的な金色に染まった髪はボサボサ。ルーズに着こなしていたカッターシャツやズボンもボロボロだ。おぼつかない足取りで立ち上がった男子は、次にはそんな様子さえ忘れてしまうほどまっすぐに睦田に向かう。拳は握りしめられ、いかにも「これから殴りに行きます」とでも言わんばかりの表情である。五月はもちろん睦田も彼の思惑には気付いていたが、睦田は余裕の笑みを浮かべたまま。そのままの顔で、素早く指先を組み合わせ、術を唱えようとして――
 視界が、(かす)んだ。そのままよろめき、男子がニヤリとする。
「睦田……!?」
 五月が叫んだ瞬間、鈍い音が響き渡った。地面から数センチ浮き上がり、背中から地面に墜ちていったのは。
「あん? なんだァこいつ、見せかけだけかよ」
 つまらなさそうに呟いて、男子学生は彼を――倒れた睦田を見下ろした。
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