類は友を呼ぶ?

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 ――何かがおかしい。
 そう五月(さつき)が思い始めたのはいつだったか。登校した直後か、あるいは一限目の終わりか。
 どうおかしいかと言われると五月自身もよく分からないのだが――クラスメイトの、自分に対する視線がいつもと違うのだ。小馬鹿にするような視線を向けられているわけではない。どちらかと言えば『動揺』が正しいだろう。どういう理由かは知らないが、彼らは五月の何かに動揺している。
(……何よ、はっきりしない奴らねー。言いたいことがあるなら面と向かって言いなさいよ)
 この微妙な空気のせいで、五月は授業に集中できずにいた。彼女が通っている高校は進学校だ。並大抵の授業態度では内容も理解できぬまま五十分が経過してしまうため、普段から集中する癖を付けていたのだが、この日ばかりは周りの視線が気になって頭に入らない。
 入学当初は特異な紅髪の事もあり、非難するような視線を浴びたこともあった。だが持ち前の社交的な性格が幸いしたのか、半年後には五月の悪口を言うような同級生は誰一人としていなくなっていた。だからここ最近はそんな目をされる覚えなどないのだ。
 五月の思想ががますます迷宮入りしようとしていたとき、幸か不幸か四限目の終わりを告げるベルが鳴り響いた。起立、礼を済ませ、教科担任が出ていったのを見届けた直後、五月の机の周りに人垣が出来た。人垣と言っても四人の少女たちだが、五月の親友でもある。
「ちょっと五月! あんたってば意外と大胆なのねぇ〜?」
「はぁ?」
「そうそう、いつの間にあんな仲良くなったわけ?」
「あのさっちゃんに、とうとう春が来たかと思うと……」
「春一高の女子をみんな敵に回す覚悟は出来てる、ってことよね!?」
 来るなり好き勝手に話し始めた少女らの話題の意味が分からず、目を白黒させる五月。からかうように見つめてくる者、どこぞの母親のようにハンカチを取り出して涙ぐむ者、とにかく目がヤバイ者。尚、『春一高』とは五月らが通う『春ヶ丘第一高等学校』の略である。
「ちょっ……ちょっと待ってよ! なんの話かワケ分かんないんだけど!」
 五月が話の途切れを待って叫ぶように言うと、少女らは顔を見合わせ、何故か大きくため息をついた。リアクションの意味に小首を傾げる五月に、一人が重苦しく言う。
「……まさか、ここまでニブい子だとは思わなかったわ……。ひょっとして忘れてる?」
 何を、と言いかけた五月の目の前に手を突きだし、「もういい」と目で語る。
「あれほどの仏教ボーイを知らないコいたのねぇ。お寺の息子さんだよ?」
「一限目はいっつも欠課していながら成績優秀! そんでもって何故か化学部所属の現部長」
 それこそ必死に力説する少女らの思いもむなしく、五月はやっぱり理解していないようだった。一人がもう待てないと言わんばかりに彼女の机を叩く。
睦田(むつた)くんよ、睦田陸也くん! あんたのチャリ動かしてたじゃない!」
「あたしのチャリ……あぁ。あいつ、そんな名前だったんだ」
 今の五月の一言で、少女らはおろか弁当を広げながら盗み聞きしていたクラスメイトも皆ずっこける。
「なんだか知らないけどあいつホントムカつくわよ? 勝手にあたしの愛しい【サクラ54LOVELYキューティクル】ちゃんに乗っかってきて悪口言うし、鬼○郎のくせに生意気ったらありゃしないわ!」
「鬼○郎って……あの仏教ボーイにそんなあだ名付けるのはさっちゃんくらいね……」
「だって鬼○郎じゃない!」
 少女のうちの一人がさりげなくつっこむが、訂正する気はないらしい。というか、いくら寺の息子とはいえ『仏教ボーイ』もないだろう。別の一人があ、とどこか一点を見て固まっているが、今の五月は悪口を言う事に熱中しているようで気づいていない。
「何よ人の自転車にいちゃモン付けて、あんたの方がよっぽど変な名前してるっつーの!」
「そりゃどーも」
「でしょ?! 『むつ』だの『りく』だの、どうせならどっちも『六』にしたらど……」
 そこまで言ってはっとする五月。今の気怠げな声は彼女の親友の誰にも当てはまらない、わりと低い声だった。しかも、教室にいた女子の視線が五月に――否、五月の後ろに集まっている。たった今話題に上がっていた『奴』に違いない。
「奴隷さんの髪って紅いねー。なんか俺さぁ、こういう色どっかで見たことあるんだよねー。どこだったっけ?」
 艶のあるさらさらしたストレートヘアーが五月の自慢であるが、今の状況では無い方が良いものだ。前髪を、やはり顔半分垂れ流したヘアスタイルで堂々と――五月の目では何よりも生意気そうに――教室に入ってきた少年・睦田は、無造作に五月の髪の毛を掻き回しながら、面白おかしそうに言った。五月は顔面蒼白で、かなりビクついている。なにせ睦田は彼女の弱みを全てと言って良いほど握っているが、五月の方は彼の事をたった今知ったようなものだ。弱みもなにも、素性を知らない人間の弱点などつかめるはずもない。睦田が言おうとしていることが五月に不利な内容であることは、想像に難くない。
「たしか、『さく――」
「睦田くんっっっ!!! ちょっと散歩にでも行きませんかしらー!?」
 睦田の言葉を半ば不自然な大声で遮り、周囲の目などお構いなしに彼を連れて行く五月。あまりにも瞬間的な速さに、その場に残った五月の親友とクラスメイトはただ目を丸くするだけだった。
「……奴隷さん」
「何よ!?」
「痛いんだけど。首」
「知らねえわよ!!」
 すれ違う人の性別も分からないほどの速さで廊下を走り抜ける五月と睦田。否、走っているのは五月であって、睦田は襟を引っ張られているのだが。
 階段を下り、校舎を出て、辿り着いたのはグラウンド。放り投げるように睦田を離すと、五月は大きく息を吐いた。
「あんたの目的は、なんなの」
 呼吸をする合間に言葉を発する。膝の辺りを押さえ、下から睨み付けるような五月の視線に動じた様子はなく、睦田は沈黙を守っている。
「あたしの正体をみんなにバラしてどうする気? 恨みでもあるの? そうして自己満足に浸ろうってワケ?」
「悪いけどどっちも違うね」
 いっそのことそれなら納得がいくと思って出した選択肢だったが、予想外の返答に言葉を詰まらせる五月。だが何か言わなければ負けてしまうような気がして、五月は口を開いた。
「じゃあなんなのよ……!!」
「ちょっと訊くけどさ、あんたはどうして一人暮らししてんの」
「……あんたに教える義理はないわ」
「あっそ。じゃあ言いふらしちゃおうかなー」
 口調こそ滑稽(こっけい)だが、何をしでかすか分かったものではない。そもそも昨日会ったばかりだと言うのに、何故自分が一人暮らしをしていると知っているのだろう。
 五月は唇をかみ締めた。どれほど強く噛んでいたのか、程なくして血の味が染み渡る。睦田の、前髪で隠れている方の目が僅かに細められたのは、五月の気のせいだったのだろうか。
「……嘘だよ。言いたくないことかどうかくらいは分かる」
 その口調が昨夜よりも数時間前よりも柔らかいことに驚き、思わず唇を噛む力が弱まる。呆然としている五月をじっと見据える瞳は見たこともないくらい真剣で、自然と身体がこわばった。睦田はすぐに五月から視線を外すと、どこか明後日の方向を見て呟くように言った。
「俺んちの職業、なんだか知ってる?」
「……お寺、でしょ」
 ちらりと五月を見たあたり、親友たちが言っていたことは本当らしい。そう言いながら、五月は昨日睦田に言われた事を思い出していた。
“あんたみたいな能力者がいるとウチも商売大変なんだよ”
 寺の仕事に予言者退治でもあったろうか、などという考えがよぎる。寺と言えば住職くらいしか思い浮かばない。商売、と呼べるほどの職業でもあるのだろうか。
「俺の親父はフツーに住職をやってる。けど本業はそっちじゃなくて、あんたと同類の『占い師』。こっちはかーさんがやってて、俺もちょっと見える。ただ俺は『占い師』の血じゃなくて別のもんを引いちゃったらしいんだよね」
「……何の……血を?」
 衝撃的な事実を幾つも聞かされてどこから突っ込めばいいのか困惑していたが、とりあえず一番気になるその先を訊ねる。
「……知りてえ?」
 五月は(しば)し考えたあげく、静かに首を振った。予想外だったのか睦田はほんの少し目を見開いている。五月は悪戯っぽく笑みを浮かべて言った。
「やっぱり別の事から訊く。訊いてほしくなさそうだったから」
「……なんかイキナリ生意気になったね、奴隷さん」
「お互い様でしょ? それはそうと――あたしを奴隷にしたのは、あたしがあんたの家の営業妨害になると思ったから?」
「半分以上はそーかな」
 “半分以上は”?
 それでは、残りの半分以下の理由はなんなのだろうか。クソ生意気な割に意外と親のことは考えているのかもしれないが、三分の一以上の理由など、果たしてあるのか。
「どーしても分かんねえ、って顔してんね。残りの理由」
 心底面白そうな表情を浮かべながら――何故か五月に近づいていく睦田。なんの脈絡もなく自分に近づいてくる少年に、五月は内心どぎまぎする。
 距離にすれば三十センチ。お互い手を伸ばせば触れられるほど近くにいる。
 見下ろしてくる茶褐色の瞳と視線が交わり、意に反して火照り出す顔に、自分の事ながら動揺を隠せない。どうしてこんなに心臓が高鳴るのか分からない。ゆっくりと腕を伸ばしてくる睦田の気配に、ますますうるさくなる五月の心臓。
 骨張った大きな手が、自慢の紅髪に触れる。すうっと横に移動した右手は五月の頬を包み込んだ――その瞬間、音が聞こえそうなほど五月の顔から湯気が出た。
(な、ななな何しようとていうかこここのシチュってまさかそんなんじゃないわよね!?)
 心の声でさえ噛みまくっている五月を、面白そうに眺める睦田。なるほど親友たちが噂していただけあって、なかなか顔立ちはよろしいかもしれない。某キャラクターだとしか思っていなかったその前髪からのぞく目はひたすらに細められて、このまま見ていたら引き込まれそうだった。
 睦田の顔が近づいてくるのを感じ、反射的に目を瞑る。そのときばかりは抵抗という言葉は思い浮かばなかった。
「…………秘密」
 …………………………
 吐息がかかったのは耳元。しかもこの状況とは全く関係のない言葉。何かに期待していた自分が妙に腹立たしい。それ以前に、思わせぶりな態度を取ったこの鬼○郎に腹が立つ。汗が滲んでいた両手が震え出し、そして――
「……陸田ーーーーッ!!」
「睦田だから」
 そう五月が叫べたのは、彼が五月から離れた何十秒もあとだった。
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