そこにある優しさ

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――ねえ、おかあさん。さつきね、ゆめをみたの。よくおぼえてないんだけど、すごく、いいゆめをみたの。
 さつきがね、おっきくなって、となりのおねえちゃんみたいなかっこうしてたの
――そう…五月は、未来が見えるのね
――みらい? さつきがみらいをみたの?
――ごめんね、五月。本当にごめんね……
――おかーさん? どうしたの? どこかいたいの?

――お母さんはね、もうすぐ一緒にいられなくなっちゃうのよ……

「がッ……!」
睦田(むつた)? 睦田っ!?」
「どーしたよ陸也ちゃんよォ? もーいっぺんさっきのすげェのやってみてよー?」
 できることならやっている、と言わんばかりに睨みつけるも、術は使えず身体の傷も深い。睦田は、文字通り睨みつけることしかできなかった。
 人が倒れたと思ったらさっきまでの怯えらしきものはどこへ消えたのか、男子は団結して睦田を蹴りつけた。睦田は気絶しないよう耐えて何度も術を試みたが、体力の消耗がこの上なく著しいせいか、全く使える気配はない。
 何とかしなければ、睦田が死んでしまう。そう思い五月は足を踏み出すも、それ以上進めない。先ほど襲われたことで、完全に彼らに対する恐怖心が植えつけられてしまっているのだ。五月は悔やんだ。両手を白くなるほど握りしめて悔やんだ。未来が見えるからどうだというのか。こんな時に誰かを護れなくて、未来が読めたって何の意味もない。読んだ未来が最悪であれば、見るだけ無駄というものだ。
「……っ……どれ……さ、ん」
 辛うじて耳に届いた、(かす)かな声。どんな状態であっても、その声調は変わることなく、危機に瀕しているというのにまるで緊張感がない。
 それでも五月は、彼にまだ口を利けるだけの体力が残っていることに僅かな喜びを感じた。
「逃げ、な……。あんたがいたって……何にも……どうにもならない……」
「!!」
 それは五月自身、心の底で思っていることだった。
 自分がいたところで、睦田がやられているのを黙って見ていることしかできない。仮に助けに入っても、逆に先ほどのようにされてしまう可能性だって十分にある。
 だが、それでも――彼の弱気な発言に、五月は憤怒(ふんぬ)せずにはいられなかった。
「何よ……何言ってんのよ……!! どうしてあんたの言うこと素直に聞いて、あたしだけ逃げなきゃいけないのよ!!」
「やっさしいねぇ〜〜彼女! けど陸也ちゃんの言うとおりだぜ〜? 彼氏がそう言ってンだから、今のうちに逃げといた方がいいんじゃねーの?」
「彼氏とかそんなんじゃない! これはあたしの問題なの! あんたが傷だらけになってまで介入してくるようなコトじゃないのよ!
 ワケ分かんない!! どうしてそこまでして……っ!」
 反論一つせず――反論する体力すらないのだろうが――じっと見つめてくる茶褐色と蒼色の瞳が痛くて、思わず涙声になる。
 理由が全く分からなかった。どういうわけか自分の過去を知っていて、境遇も知っていた。今思えば睦田は同情してくれていたのかもしれない。理解者になってくれていたのかもしれない。けれどもそんなものはただの自己満足だ。そんな生半可な気持ちで近付いてきたのなら、同情なんていらない。
 だから尚更分からなかった。何故、睦田はここまでしてくれるのだろう。何故自分を庇って、自らが犠牲になっているのだろう。それを考えると余計、『同情』されていることに憤りを感じた。
「……いいじゃん、別に……ただの、自己マンだし……」
「それが気に入らないのよ! そんな自己満足要らない、してくれなくたっていい! あんたはカンケーない! いっそのこと、ほっといてくれた方が――」   
「五月」
 深い溜め息と同時に紡がれたその名詞に、五月は身を震わせた。
「……関係なくなんか……ねーよ……あんたがそう思ってても……俺は……自分のしたいようにやってる……」
「睦、田……?」
 どこか意味のありそうな言葉に、五月は彼を凝視した。睦田はその視線を(しば)し受け、何か気まずそうに彼女から視線を反らす。尚、その場の空気を読んでいるのか、男子たちは睦田への攻撃を止め事の成り行きを見守っているようである。
 こちらを見ていながら視線を向けた瞬間に反らした睦田の行動に五月は疑問符を浮かべたが、とりあえずそれは奥に押しやった。
「……あーもー……逃げたくねえんだったら、せめて……親父呼んできてくんねー?
 たぶん呼ばなくても……こっちに向かってると思うけど」
「ホントに?! 今どこにいるの?」
「……知ってたら苦労しねーよどれーさん……この際サツでも何でもいーから呼んできて。――なるべく遅めに」
「悪かったわねっ!! それに“遅めに”じゃなくて“早めに”の間違いでしょっ!!」
 先ほどまでの真剣な雰囲気はどこへやら、しかしまともに互いの存在を知り始めてまだ数日と言うのに、なかなか息が合っている。
「……い〜〜フンイキだったねぇ〜陸也ちゃん? デキてねえとか嘘っしょ?」
 仕返しと言わんばかりの暴行は何事も無かったように止み、彼らは睦田の側にしゃがみ込んだ。何も知らない人間が見たらそれこそ警察を呼びそうな配置ではあったが、どちらかというと和やかな雰囲気である。
 誰一人として『仕返し』をしようと切り出す者はいない。深刻に相談に乗ろうとしているようだ。そんな空気の中、質問された睦田は彼らの顔ではなく紺碧の空を見上げながら、うわごとのように呟いた。
「……期待外れで(わり)いけど一方通行」
「うっわーーカタかよ報われねーー!」
「つーかそこまでお前がしてやってンのに気付かねーってそーとーニブいんじゃねーの?」
「どーすんだよお前ー! ナンか考えてンのかー?」
 報われねーのはあんたらだよ、と睦田は心の中で突っ込みを入れつつ、小さく首を振る。男子たちは露骨に深刻そうな顔をし、身内で話し始める。
「そーゆー女って落とすのムズくねー?」
「ハッキリしてりゃ分かりやすいかもしんねーけど、天然系とか知らねーしなァ」
「つーか天然系ってよく分かンねえよな」
 コンビニの前にいるときと同じような姿勢で話し合う男子の後ろ。彼らの意外な行動により、よほどの事がない限りこれ以上暴行を加えられることはなさそうな睦田は、わずかな時間ではあったが術を使えるだけの体力は戻ってきていた。単純バカなのか、当初の目的すら忘れてしまっているのか――男子たちには未だに睦田をどうこうする気配はない。殴る蹴るしておきながらその相手の顔を見ても思い出せないとは鳥並みの記憶力だなと小さくせせら笑い、彼はいよいよ行動を起こす。
「お気遣いどーも」
「ぁア? 気にすんなよ。困ったときはお互いさ――」
「ひッ……!!」
「お礼ってほどたいそーなモンでもないんだけどさ。受け取ってくんねーかな」
 顔を真っ青にした男子たちと、不敵な笑みすら浮かべて彼らを見下ろす睦田。そしてその後ろには凶悪そうな笑みを浮かべた巨大な……コンクリートがいた。
 尚、これはぬり○べではない。睦田が使っている術は一般的に言う『陰陽師』が使うような術であるが、彼に備え付けられた能力は忍術のようなものも使うことを可能にした。そのためコンクリートは、忍術で言う【児雷也】のようなものである。
「ななななななにを、オレらが何、何したってンだ!!」
「はぁ? 奴隷さんにナニしよーとしたこと――」
 睦田の言葉が一つ一つ紡がれるごとに、コンクリートが一歩ずつ前進する。その度に地震が起きたような縦揺れが起こり、地面がひび割れる。男子たちは腰を抜かしたのか、後ずさりしようとする素振りは見受けられるものの動けそうにない。
「忘れたなんて言わせねーよ」
 その言葉が合図だったかのように。
「ぎあーーーーーーーーー!!!!」
 コンクリートが前(かが)みになり、足の力を完全に抜いて彼らに倒れ込んだ。どぉん、と派手な音が鳴り響くが、後に残ったのはコンクリートの破片でも男子らの無惨な姿でもなく、何の変化もない地面に尻餅をついて、涙目のまま気絶している男子計四人の姿。
 ――そう、あのコンクリートはこの世にあるものではなく、あの世の破片で作ったガラクタだったのだ。故に実物じみてはいるが、事が終わると幻だったかのように消えて無くなる。存在感はあるが威力は全くないため、多くは脅しのために使うのだ。
 睦田はいい気味、と小さく呟いて再び地面に倒れ込んだ。自分から倒れたわけではない。先ほどの曰く【コンクリート召喚】は、普段使う術よりもさらに身体に負担が掛かるのだ。ただでさえ暴行を受けボロボロになっていたのに、それまで以上の力を使った睦田には、もはや立ち上がる気力もなかった。
「…………あーー……来たか…………」
 寝言のように呟いて、今度こそ気を失った睦田から数十メートル先。血相を変えて走り寄ってくる父・陸隆(あつたか)と、少し遅れて五月の姿があった。

「ばっっっかじゃないの?!」
「……起きた瞬間に言うことがそれなワケ?」
 寝起きにはキツいであろう大声を浴びせかけられ、心底迷惑そうな顔をする睦田。五月はそんなことはお構いなしと言わんばかりに、睦田にあれこれと言葉をぶつける。
「勉強はできるって聞いたけど! もう勉強の出来なんか乗り越えて大バカよね! ああいけない、その上に鬼○郎被りって付くんだっけ?」
「鬼○郎はもういーよ……。それより俺何日寝てた?」
「そのおバカな脳みそひねって考えてみれば?」
 睦田は後頭部を掻きながら、壁に掛かっているカレンダーを見つめる。
「……一週間よ。一週間ずーっとバカみたいに寝てたわ」
「なんかよく分かんない人だね、アンタ」
 自ら口を開く前に先に言われたことに関して、である。睦田は飽くことなくカレンダーを穴が開くほど見つめながら、
「……じゃあ奴隷さんは、その“バカみたいな”俺を一週間ずっと見舞ってくれたんだ」
「……!!」
 カレンダーから目を離して睦田は五月に向き直る。見透かすような眼でじっと見つめられ、思わず顔が火照り出す五月。そんな彼女を面白そうに眺める睦田。
 ここは睦田寺の一角・睦田の部屋である。あの後、陸隆が睦田を担ぎ、自ら怪我の手当てを施したのだった。五月もついていこうとしたのだが、「もう遅いから帰りなさい」と言われその日は渋々帰った。治療したこと、また睦田には怪我とは別に治療が必要なことは、翌日聞いたのである。
「じ、自分の不始末で他人を巻き込んだんだから、それくらい、するわよ」
 やたらとかみながら喋っているのは、彼の言葉に動揺してのことか。外れることのない視線にいたたまれなくなったのか、早々に立ち上がって帰り支度をする五月。睦田はようやく彼女から視線を外して、障子の外に目をやった。夕焼けの色と宵闇の色がほどよく混じり合っている。もう夕方らしい。
「心配しないで。これからは頼まれても来ないから」
 そう言って足早に部屋を出ようと――したのだろう。長い紅髪はあまりなびくことはなかった。彼女の右手が、下から掴まれていたためである。誰かは無論分かっている。なに、と振り向きざまに問いかけようとして、五月は暫し言葉を失った。
 睦田の眼はからかうそれではなく、小馬鹿にするようなそれでもなく。ただひたすらに、真剣だった。
「――ごめん。留めるつもり無かったけどやっぱ言っとく。あんたを『奴隷』にした理由」
 謝っている割には申し訳なさそうな声ではない。いつもの彼の声だ。だが口調が早口で、いつもと同じ(はず)なのに違う声の響き。
「営業妨害もそう。けどぶっちゃけ、俺はそこまで気にしてない。もともとそんなに繁盛してねーし。俺は、」
 息を継ぐのも忘れて一気に言ったのか、キリの悪い場所で切る。
「あんたを知ってた。高校でタメだって知るより、もっと前から。別に見たくねーんだけど、この眼は勝手に誰かの過去を見せてくれる。それであんたの過去を知った。あんたの母さんがどんな状態なのかも、あんたがどういう境遇なのかも。
 それなのにあんたは、全部一人でしょい込もうとする。他人には何ともないように見せかけて、ずっと一人で抱え込んでる。本気でバカかと思った」
 反論すべきところの筈なのに、言葉が浮かんでこなかった。それ以前に語られた真実が、あまりにも唐突すぎたのだ。
「けどそれ以上に、ほっとけなくなってさ。いつか自分で背負った荷物に潰されるんじゃないかって。だから潰れる前に、ちょっと軽くしようと思って」
 ふぅ、と、依然五月の右手を掴んだまま、溜め息を吐く。それを振り払うでもなんでもなく、五月はじっと待った。帰ってはいけないような気がした。聞いておいた方が、いいような気がしたのだ。
「好きだ」
「――っ!」
 回りくどくて、前置きが長いけれど、確かにそれは告白だった。たった三文字を、いったい何文字まで伸ばしたのだろう。意外と口下手なのかもしれない。
「あんたの荷物は俺が担ぐ。嫌だって言っても担いでやる。つーか、言わせないように『奴隷』にした。そーゆーことだから」
 一方的な告白は、睦田が五月の手をぱっと放し、即座に寝返りを打つことで終わった。どうしていいか分からず、取りあえず言っていることは理解できたため顔を紅潮させたまま立ちすくむ五月。しかし彼女はもう一人顔を真っ赤にしている者に気付いていない。なぜならそのもう一人は、五月から見えないように顔を隠しているのだから。
「……行きなよ。『奴隷』がイヤなら明日、学校でひっぱたいてくれればいーから」
 頭より先に身体が動いたのだろう、五月は一目散に部屋から出ていった。同じように顔を、発熱したように真っ赤にした睦田を一人置いて。
 五月がその日ばかりは本業を休んだことは言うまでもない。

 翌日、睦田はいつも通り学校へ行った。いつものように始業ギリギリに校門をくぐり、いつものように一限目だけはグラウンドでサボり、五十分間何をするわけでもなく過ごす。
 登校途中にあの紅髪の少女に会うかもしれない、などと淡い期待を抱いていたが、案の定というか、当然のように彼女の姿はなかった。避けられてんのかな、と苦笑しながら背後の樹に背中を預ける。
 初恋なのかは、分からない。もしかしたら彼女と出会う前にいたかもしれないが、できることならば今回が初恋であればいいと思う。そんな考えが浮かんで、はっ、と自嘲するように溜め息を吐いた。これではまるで『ベタボレ』ではないか。我ながら情けない話だ。しかし目線は、そんな己の意志とは正反対に校舎に向けられた。この場所からが一番良く見えるのだ。――あの紅い髪が。
 たぶん、向こうからは見えていない。見える人間もいないわけではないだろうが、この蒼眼があってこそ見えるものだ。左眼1.5、右眼4.0の視力は伊達ではない。
「つーか何で俺こんなストーカーっぽいことしてんのかなー……」
 一世一代の告白だった。故に、何を言えばいいのか分からなかった。単純に言ってしまえば良かっただろうが、あいにくとそんなにハッキリ言える(たち)ではない。言えるならあの時――初めて出逢ったとき、『奴隷』になれなどとは言わずに言っている。
 妙な話だ。告白されてもあまり動じないのに、逆の立場になると一気に上がってしまう。意外とシャイなのだろうか。
 辛くなってきたのはたぶん、寝過ぎたことだけではない。どうせ実らぬ恋ならば、いっそのことそのままがいい。今までのような、『予言者仲間』でいい――。
 気持ちが整理できたせいか、慣れないことに疲れてしまっているのか。程なくして睦田は、眼を閉じてそのまま眠りに落ちた。

「……やっぱりここにいた」
 それからおよそ三十分後。静かに寝息を立てて眠っている睦田の前に、影を作った少女がいた。長くまっすぐな紅い髪。五月である。
 睦田がここを好んでサボっていることは当然、知らなかった。まさか一番自分を見やすい場所だとは思わないだろう。それでも難なく彼を見つけられたのは、噂好きな友人たちのおかげであった。
 ただし、その理由をしつこく問われたが。
 さすがに告白されたので返事をしにいく、とはいくら何でも言えるはずがないので、分からないところを教えてもらいに、という理由で一応は納得してもらえた。
 学校に来ることは正直重荷であった。昨日のこともあるし、たぶん自分の正体はあの男子たちにはバレてしまっているだろう。もしかしたら教室に入った途端質問攻めに遭うかもしれない、と半ば自己防衛の体制で来たのだが、別段変わった様子もなく、授業も普通に進んでいった。よくは分からなかったが、喜ばしいことだとは思う。この学校は、アルバイトは申請制なのだ。故に無許可アルバイトは校則違反になる。バレてしまったら全てが水の泡になるところだった。
「睦田くーん。二限目の授業に遅れますよー」
 シャープペンで睦田の頬をつついてみるが、やはり無反応だ。というより、眠っている。一週間も寝ていたのにまだ寝足りないのかと、彼の事情など知るはずのない五月はただただ呆れた。何か疲れているのかもしれない。それならしばらくは起きないかな、と考え、五月は彼の前に正座して座り込んだ。きょろきょろと周りを見渡して、誰もいないことを確認する。
「……あのね、昨日夢を見たの。あたしね、普通の夢を見るときと予知夢(よちむ)を見るときとあるんだけどさ、昨日のはたぶん、予知夢だと思うのよ」
 一人で一方的に喋っていることになるが、そんなことはお構いなしに話し続ける五月。依然睦田は眠ったままである。
「あたしがね、睦田と喧嘩してるの。すっごいつまらないことなのに、真剣に口喧嘩してた。しばらくして睦田が折れてくれて……それで……言ったんだけど……」
 汗ばむほど暑くはないし、凍えるほど寒くもない。それなのに五月の顔は赤く火照っていた。それがこれから言うことを、想像せずとも物語っているかのように。
「『一応あんたの彼氏だし許してやるよ』って。何偉そうにしてんのよ。あたしの彼氏なら噛まずに百回ごめんって言ってみなさいよ。途中で『めんご』って言ったらフッてやるんだから」
 言葉とは裏腹に俯き加減で、やっとのことで言葉を絞り出しているようだ。起きているのか本気で眠っているのか、睦田はここまで一度も身じろぎしていない。起きているとしたら相当に性格が悪い。
「って……別にそれに触発された……っていうワケじゃないのよ? でも何て言うか、そこまで既成事実ができちゃってるんだから避けて通れないっていうか、あっ別に避けてるワケじゃないっていうか……」
 膝の上で拳をスカートごと握りしめ、少しずつ目線を上げていく。変化のない表情。片目が隠れて、普段はクールな表情。自分も周りで騒いでいる女子と同じかもしれない。でも、他の誰よりも長く一緒にいるという自覚はある。だから。
「……そういうことで……よろしくお願い、します……」
 表情に変化がないのをもう一度確認して。
「……よーしっ、予行練習終わりっっ! あ、ヤバイ間に合わない! 次理科なのに〜……」
「―― 一回くらいサボってみれば?」
「へ……? んにゃあ!!」
 ほんの一瞬眼を離したスキに、タヌキ寝入りは行動を起こした。要するによそ見している五月の腕を引っ張り、自分の方に引き寄せたのだ。
 神業(かみわざ)的な動作に、五月は訳が分からず眼を瞬かせる。さっきまでとは違う空間に入って、ようやく自分の状況が理解できた五月は、引き寄せたその本人の顔と掴まれた腕を見比べて赤くなるしかできない。
「はぁ〜……落ち込んで損した」
「なっ、なななんなんで! 何で起きて……!!」
「そりゃあ俺もさっきまで寝てたけど。『一応あんたの彼氏だし許」
「喋んないで! 何も聞かないで! あと放して!!」
「最後のは無理。てかぜってえヤダ」
「〜〜……!! 最低最低最低もうイヤ……!!」
「サイテーでいーよ。俺がサイコーだから」
 そうは言うものの、どちらも目線を合わせない。睦田は何となく空を仰いでいるし、五月はその状態で固まっている。さらに言うならやはり二人とも極度の照れ屋なのか、顔が赤すぎる。
「……あのさ」
「……何よ」
「二限終わるまでこのままでいい?」
「こーゆー趣味無いんじゃなかったの」
「言葉の綾ってヤツ」
「…………二限終わるまでだからね」
 夕日はまだまだ昇りそうにない。けれども彼らの心には、既に夕日は昇りきっていて。
 されどまだまだ、先は長くなりそうで。
 ようやく『寂しさ』から解放された【未来予知】の能力を持つ紅髪の少女と。
 物心ついた頃から彼女の存在を知っていた【蒼眼】を持つ寺の息子である少年とが、心を通わせたひとときであった。
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