第一章第八話  新たな能力(ちから)

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 ――みんなの足を引っ張らない力……それは、みんなの役に立つ力!
 碧はそれを欲していた。この世界に来たときからずっと。
 ネオンはそんな碧の気持ちを理解したらしい。大きく頷き、蒼く澄みきった空を見上げた。
 雲一つ無い青空。自分が異世界にいるというのが嘘のようだ、と碧は思う。
「風が、強くなってきたね……」
 静かにネオンが呟く。
「おあつらえ向きだわ」
 碧に振り向く。まるで、覚悟はできているかと訊ねるように。
「渡したい物っていうのは、あたしがあみだした技なの。見ててくれる?」
 碧が頷くのを確認し、ネオンは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
「いくわよ」
 そう言うなり、ネオンは殺気――否、闘気をさらけ出す。それと同時に、穏やかに吹いていた風が突然(とげ)を持ち始めた。
 ――風を味方に?
 イチカはそう推測した。あくまで推測であって事実ではないのだろうが、例えるならばそれしかない。風は徐々にネオンへと集まり始めていた。正確に言うなら、空気に向けられた両手に。
 小規模な風は時間を掛けて、台風のような勢いを増した。ネオンの闘気と風が融合して、彼女の両手の間にはひと抱えもあろうかと言うほどの風の球が完成する。
切風(クロス・ウィン)!」
 魔法よりも短くかけ声よりも長い言葉が彼女の口から紡がれ、同時に風の球はネオンの手中から離れる。制御を失ったそれは、勢いを殺すことなく手近な木に激突した。否、正確に言えば切り倒したのだ。
 それでも風の球は威力を欠くことはなく、再び空気中の風と混ざり合い、消えた。
「……!」
 声にならない声を漏らすラニア。碧に至っては、目を見開いて風の球が消えた箇所を凝視していた。イチカは相変わらずの無表情であったが、頬を一筋の汗が流れ落ちていた所からして驚いたことに変わりはないのだろう。
「……何様だあいつ」
「一国の王女様だろ?」
 何が気に入らないのか、カイズは舌打ちして呟いた。それをジラーは軽く受け流して、カイズをいじけさせたことは言うまでもない。
「ふ〜……」
 そんな背景はお構いなしに、ネオンは額に付いた汗を拭う。
「さて、と。もう覚えてるはずよ、アオイ」
「え?」
「あなたならね」
 そうして王女は、ウインクをして見せた。

 それとほぼ同時刻。【切風】が衝突した木と反対方向にある木から彼らを見下ろしていた魔族は、仲間に事実を伝えるべくあの古びた城へ帰還した。ダンベル運動を一人熱心にこなす仲間を見て(わず)かに眉をひそめたが、伝えるべきことを思い出してあえて言及はしなかった。
「クラスタシア」
「どーだった?」
 女のなりをしてはいるが、腕力は魔族の中でも上位に立つ彼の仲間が訊ねる。
「思った通りだ。奴は技を習得した」
 簡潔に状況を伝えるヴァーストに、今度はクラスタシアが眉をひそめる。
「“技を習得した”ぁ? なーんで殺さなかったのよ?」
「イチカがオレに気づいていたからな。今回殺すのは困難だと感じ手を引いてきた」
 クラスタシアは一瞬胡散臭(うさんくさ)そうな顔をしたが、まぁいいか、と呟く。
「……で、魔王様のことだけど」
「立ち直られたか?」
「そう。それから、第四会議層部で他の方々と話してらしたわよ」
「……エグロイは人間共の村か。もう一人はどうした?」
「ソーちゃん? さあ。行き先も言わずにどこでもふらりと行っちゃう人だから分かんないわ。人間界にいるのは確かだけど」
「そうか」
 そこで、魔族の会話はどちらからともなく途切れた。

 時間はあっという間に過ぎ去り、坂の街セレンティアも街灯を灯し始める。坂の最高点から見ても変わらぬ高さの王城内は、いつも以上に活気に満ちあふれていた。
「あーっはっはっは!!」
 客間から聞こえる盛大な笑い声で、廊下を歩くメイドたちは一瞬肩を(こわ)ばらせる。だが声の主が分かっている彼女らは、何事もなかったように部屋の前を通り過ぎた。
 声の主はネオンである。レクターン王国騎士隊長であり、王女の世話係でもあるオルセトは、ネオンの高らかな笑い声が響くたび扉の向こうに目を向ける。
「ネオン様、もー少しお静かに……」
「るっさいわねオルセト! こんなときくらい好きにさせなさいよ! あーっははは!!」
 だが部屋の外を歩くメイドたちへの気遣いも、王女の一声で水の泡となってしまうのだ。
「……いつも好きにしているではありませんか」
「口が過ぎるぞ、オルセト」
 オルセトの呟きを耳で捕らえた人物は、イチカら一行がこの街に来たとき最初にネオンを見つけた、あの初老の男である。
「軍事総長」
 年の頃は五十代前半から半ば。頭の毛が少し寂しくなってきている所からして、レクターン王国騎士隊で最年長であろう。酒を飲みながらも、顔つきには威厳がある。
「ネオン様はお優しい方だ。私はもう四十年近くこの城に仕えているが……妹御であるクリフ様といい、この国の王族はなんと気丈なことか。他の国のなど、比べ物にならぬぞ」
 諭すようにオルセトを叱る。まだ若年のオルセトにとって、他の国というのは未知なるものに等しい。
「……申し訳ないことを」
「おい、オルセト!」
 謝罪の言葉を遮られ、オルセトは僅かに表情を歪ませる。
「……なんだ、ミシェル」
 ミシェル・カウド。オルセトの悪友であり、幼なじみである。騎士隊長であるオルセトの補佐を務めており、剣の腕もたつ副騎士隊長だ。
「なんだじゃないだろ……クリフ様はどうした?」
「何を言ってるんだお前は、そこに」
 あきれ顔で訊いてくる悪友に、あきれ顔で返すオルセト。だが指さした先の、革張りのソファには人の姿はなく、オルセトは(しば)し固まる。
「おられないからお前に聞いてるんだ!」
「先ほどはちゃんとそこにおられたんだ!」
 がら空きのソファを指さし、ムキになって答えるオルセト。そのあとは今の件とは全く関係のない昔話で口論となっており、イチカらに状況は把握しきれなかった。
「……妹いるの?」
 唯一把握できた状況について、ラニアがネオンに聞く。この国――否、この世界は成人する前に酒を飲んでも罰せられない。例によって酒を飲んでいるネオンの顔は赤い。
「そーよ。みんなクリフって呼んでるわ」
「へえ」
 止まない口論に終止符を打つかのように、オルセトの背後から華奢(きゃしゃ)な腕が伸びる。その腕は彼の首をなぞり、オルセトを失神させた。
「――!!」
「オルセト? おーい、オルセト?」
 異変に気づいたミシェルが呼びかけるが、オルセトは白目をむいていて返事はない。
「……フフフッ、かーわいい」
 そんなオルセトの背後から愛らしい声が響く。影から出てきたのは、この国の第二王女、クリプトン・ラグ・デイ・レクターンである。オルセトよりも五は年下であろう少女が「かわいい」と言っているあたり、普段から遊ばれやすいのだろう。
「オルセトってば、気絶してるー!」
 その場に座り込んでしまったオルセトを見てきゃいきゃいとはしゃぐクリフ。だが突然その目つきが真剣そのものになり、ゆっくりとその顔を近づけてゆく。
 突然のネオンの妹の登場にあっけにとられていた一行だが、クリフが始めた大胆な行動に思わず目を逸らさずにはいられなくなる。
 いよいよ影が重なろうとした、そのとき。
「……ぅ」
 オルセトが失神状態から覚めて、その場にいたイチカ以外の全員が心の内で舌打ちした。当然クリフは顔を離すが、その顔は真っ赤になったり真っ青になったりと忙しそうである。
「きゃーーーーっ!!」
「あああっ、惜しいっ!!」
 クリフとミシェルが同時に言い、クリフは全力疾走で部屋から脱出。無論、今の今まで気絶していたオルセトはきょとんとしている。
「……なにがあった?」
「……知らなくていい」
 やはりきょとんとした表情を崩さぬまま、オルセトは首を傾げた。
「姉さん、姉さん!」
 カイズがラニアに声を掛ける。いつになく慌てているようにも見えた。
「どうしたのカイズ?」
「アオイがいない」
「探した方がいいんじゃないか?」
 二人が交互に言う。
「アオイが……? そうね、イチカ!」
 窓に寄りかかっていたイチカはまさか自分が呼ばれるとは思っていなかったらしく、肩からずり落ちる。
「……なんでおれが」
「あなたじゃなきゃ意味がないのよっ!」
 あからさまに面倒くさそうな顔をするイチカの背中を無理矢理押し、扉の前に連れて行く。
「……?」
 不審に思いながらもラニアに部屋から追い出され、イチカは渋々探しに行く羽目になった。
「……兄貴って、鈍いよな」
「うーん……」
 実はこの二人も、碧のイチカに対する想いに気づいていたようだった。

 碧はそのころ、昼間ネオンが【切風】を披露した王城の庭にいた。
『技の威力は、意志の強さで変化するって言ってもいいわ。だから意志が弱いと、威力も自然に弱くなっちゃうの』
 見よう見まねではあったが、碧の【切風】は成功した。ネオンがちょっとしたアドバイスだけど、と告げたのがその言葉だった。
(今ここに魔族が現れたとしたら、あたしに倒せるかな?)
 両手を握りしめる。あまり考えたくないことだったが、今の状況からして、いずれ考えなければならないことなのだから。――そのとき。
「!」
 碧の首筋に何かが当たった。夜の空気で冷えた首元を、更に凍らせるような感覚。ひどく鋭利で冷たいそれが刃物と分かるまで、数秒を要した。
 ――どうしよう。
 碧の思考は停止して、「逃げる」という手段も思い浮かばない。だが次に聞こえた小さなため息で、碧は別の意味で目を見開いた。
「フン、隙だらけだな」
「イチカ……!」
 ほんの数分会わなかっただけなのに、碧は長い間その冷酷な声を聞いていなかったように思えた。
「別にあんたが何を考えていようが、おれには関係ない。それにしたって無防備すぎる」
「…………」
「おれが殺そうと思えば殺せた」
 言葉が見つからない碧に、冷ややかな視線を向けるイチカ。碧は息を()んだ。
 状況は決して良い方向には傾かない。たとえイチカが碧を守るとしても、それは彼にとっては「仕方なく」という意味でしかない。彼の中で、「忌まわしい存在」が消えたわけでもない。
 ――それはなによりも、碧を拒んでいる証拠。
「早く城に入れ」
「……うん」
 返事はしたものの、碧がそこから動く気配はない。イチカは聞こえないくらい小さくため息をついた。
「……明日から一週間、ウイナーで祭りがある」
 碧が驚いたように振り向く。イチカは碧に背を向けたまま話を続ける。
「その祭りに、おれたちも行く。ラニアの提案だけどな」
 碧は二、三度瞬きをし、ゆっくりと笑みを浮かべた。それが彼の最低限の優しさであっても、碧には嬉しくてたまらなかった。
 それだけ伝えたイチカは城内へと歩き出す。
「あ、イチカ!」
 イチカは立ち止まり、眼だけ碧に向けた。
「ありがとう」
「…………」
 イチカは無表情のまま碧を見、城の中へ入っていった。
 初めて碧は、この世界に来てよかったと思えた。そして、見えぬ明日を待つことが何よりも楽しみだった。
 ――少しだけ微笑ましさが感じられた城外とうってかわって。
「あんららちも飲みなひゃいよっ! あたひの酒が飲めないっへーの?!」
 ネオンに乗せられ、すっかり酔いつぶれてしまったラニアが暴言を吐いていた。
「いえあの、決してそんなことは……!」
「らったら飲みなひゃいっ!」
 逃げようとしたカイズの首を掴み、無理矢理酒を飲ませる。
「か、カイズ……!」
「あんらもよ、ジラー……」
「……!!」
 ジラーは狂気に酔ったラニアから逃げられず、カイズと同じ運命を辿ることになってしまった。

 大変なことになってはいるが、平和な城内外とは反対方向、北の方角。血の臭いを漂わせながら、一匹の大鬼が古城に帰還した。
「くふぅ〜……」
「……アンタ、人間臭いわよ」
 鼻を押さえながら、クラスタシアが大鬼――エグロイに言う。
「美味かったんですぜぇ〜、あの人間共の泣き叫ぶ姿がまた格別でぇ〜……」
「〜〜分かった分かった!」
 情景を思い浮かべていたのか、うっとりとした表情で話し始めるエグロイを一瞥(いちべつ)し、クラスタシアが耐えきれず退室する。すると入れ替わりに、ヴァーストがその場に現れる。かつてそこに窓があったのだろう、切り抜かれた壁の空間から外を見つめる。
「……エグロイ」
「なんでしょう、親分?」
「ソーディアスを探してこい」
「……は?」
 素っ頓狂な声をあげるエグロイに振り返る。
「分からんのか」
「は……」
 エグロイは表情を凍らせた。ヴァーストの顔が、狂気に染まっている。なにか一言でも言えばエグロイの首が飛んでもおかしくはない、そんな殺気が溢れ出していた。
「……探して参ります!」
 頭を床に擦りつける勢いでエグロイは一礼し、切り抜かれた窓から外へ飛び出した。
「……馬鹿者が。ヤツが揃わねば我ら『一魔王の下僕(フィーア・フォース)』、その役を果たさんというのに」
 エグロイが必死に走っていく姿を見つめながら、ヴァーストはそう呟いた。
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