第二章第一話  ウイナーのお祭り

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 時刻は昼を少し過ぎた頃、とある村に危機が迫る――。
 やや小太りな男が、なにやら慌てた面もちで走ってきた。ひどく息切れしているが、そんなことに構っていられないほど彼は急いでいた。村のはずれにある一軒家の戸を、勢いよく開ける。
「シレイン、加勢してくれ!」
 中にいた青年は昼食を食べている途中だったらしく、持っていた器をゆっくりと床に置く。
「どうしたんですか? そんなに慌てて……」
 激しく呼吸をする男に対し、シレインと呼ばれた青年は落ち着いた口調で訊ねた。
「とうとう鬼が来たんだよ! 立ち向かってった奴ら、全員喰われちまって……!」
「! 分かりました、行きましょう」
 シレインは側に立てかけてあった剣を取り、外へ出た。

「ひ、ひいいいいいいい!!」
「助けてーーーーっ!!」
 人々の悲鳴がこだまする中、血の臭いはどんどん強くなってゆく。
「けっけっけ……次喰われてぇ奴はどいつだ〜?」
 三メートルはある巨体で、必死に逃げまどう人々を掴んでは口に運んでいく鬼。骨ごと食べているのか、鬼が口を動かすたびに固い音がする。シレインは眉間にしわを寄せ、(さや)から剣を抜き放った。
「そこまでだ、大鬼!」
「んん〜?」
 後方から活気のある青年の声が響き、大鬼は面倒くさそうに振り返る。鬼から見れば全ての人間は小さなものだが、目の前に立つ青年はより一層小さく見えた。
 ――正義を叫ぶ人間は、最も愚かで殺しがいがない。
 鬼は薄く笑みを浮かべた。
「村人の仇、取らせてもらう!」
 シレインは剣を構え、鬼よりも高く飛躍(ひやく)した。鬼は嘲笑(ちょうしょう)しながら、自分に振り下ろされた剣を容易く握り潰そうとして――その表情が苦痛に歪んだ。
「ぐっ?!」
 剣を握ろうとした手が、シレインによって切り開かれた。赤黒い血が地面に落ちて、染みになる。今までも剣を向けた人間はいたが、鬼に痛手を負わせるような者は誰一人としていなかった。顔くらいは覚えておこうかと、鬼は青年に目を向けた。同時に驚愕(きょうがく)する。
「ソーディアスの……親分じゃねーですか」
 砕けた敬語を使うその大鬼は、『フィーア・フォース』のエグロイだったのだ。目を丸くして、青年をまじまじと見つめる。
「貴様のような大鬼を子分にした覚えなどない!」
 だが人違いだったようで、シレインは再びエグロイに刃を向ける。
「そーか。オレは親分を連れ戻しに来たんだった」
 相槌(あいづち)を打ち、シレインと間合いを取る。
「はぁっ!」
 渾身(こんしん)を込めた一撃はしかし、今度はがっちりと掴まれた。
「なにっ……!!」
「そーだそーだ。親分の剣を防御無しで受けりゃ、こうなるに決まってるわな」
 エグロイは自分の切り開かれた手を見て言った。その手からは生々しい血が流れ出ていて、シレインは目を見開いた。
「……!」
「ほーら親分、血ですぜ。親分の大好きな血」
 斬られた手をシレインの顔ぎりぎりまで持っていく。もはやシレインの目には、その傷口と血液以外映っていなかった。
「や……やめろ……やめてくれ……!!」
「あ、あの野郎、なんだってシレインの弱点を知ってやがるんだ!?」
 さきほどの小太りな男が声をあげる。シレインは血が何よりも苦手で、先ほど斬りつけたときも目を瞑っていたのだ。その血を見せつけられ、シレインの額には汗がにじみ、顔は血の気を失って青くなっていた。
「や……やめろォーーーー!!」
 何かが、弾けたような音がした。

 無言で地面に座り込むシレイン。俯いていて、顔がよく見えない。
「…………シ……シレイン……?」
 腰でも抜けてしまったのだろうかと、男がゆっくりとした足取りで近づく。
 シレインの手が、剣の柄を強く握りしめた。
「……!」
 男の顔が半分に割れたのは、次の瞬間だった。
「キャアアアアアアアアアアッ!!」
 シレインは勢いよく飛び上がり、その光景を見て叫んだ女の喉元を切り裂く。固唾(かたず)を呑んで見守っていた村人は皆はっとし、思い思いの方角へ逃げ出した。彼は狂ったように村人を追いかけ、次から次へと斬っていく。その口元は、狂喜に歪んでいた。村が紅く染まるまで、そう時間はかからなかった。
 ――やがて、その村は無人と化した。あたりには、ただ二匹の魔族だけ。エグロイが隣に腕を組んで立つ人物を、感心した眼差しで見下ろした。
「……親分、()に戻ったの何年ぶりですかい?」
「一年ちょっとだ。あれほど大量の血は久々に見たぞ」
 シレイン、否、シレインだった男は黒髪をたなびかせ、満足そうな表情を浮かべる。
「すげぇ斬りようでしたぜぇ? よく一年間血を見なかったっすねぇ?」
「この村が平和すぎたんだろう。昔はちょっとの血を見ただけでも元に戻れたんだが」
「親分……魔族っすよね?」
 おずおずと訊ねる大鬼に、シレインは鼻で笑う。
「当たり前だ。それより……おれに何か用があるんだろう?」
「ヴァーストの親分が、ですけどね」
「分かった。行くぞ」
「へい」
 身を(ひるがえ)した魔族は、次の瞬間にはそこから姿を消した。

 四方八方人、人、人。
 露店が建ち並び、遠くからは太鼓の音。踊りを舞う人々の姿。そしてその誰もが『浴衣』を着、碧に日本を思い出させた。
「すごーい! 日本のお祭りみたいだね!」
 感激する碧ももちろん浴衣姿である。普通よりは茶色い碧の髪だが、周りに銀髪やら金髪やら珍しい髪の色が目立つせいか浮いた感じはしない。
「てゆーかあたし達のご先祖様が、日本のお祭りをパクったのよね」
 そのプロポーションの良さなのか何故なのか、ラニアには意外と浴衣が似合っている。
「え」
 思わず声をあげる碧をよそに、日本の話題が続く。
「でも不思議だよなー。日本って、こんなヒラヒラした服しか着ないんだろ?」
 浴衣の袖を見ながらカイズが言う。
「いいんじゃないか? 魔族も何もいないってことなんだからさ」
「何もいないわけじゃない、ジラー。日本にはないが、あっちの世界の国には核ってやつがある」
 イチカが複雑な表情で言う。
「かく……ってなんだ、師匠?」
「ある意味、魔族より困った代物だ」
 イチカの言葉に、碧がぽつりと呟く。
「魔族の方が……可愛いかもしれない」
「そんなにスゴイの? その核とかってヤツ」
「うん。あと、温暖化も進んでるし」
「おんだんか?」
 と訊ねるラニアに、ここは平和だなあと改めて思う碧だった。
「なあなあ、そーんな暗い話ばっかしてねーでなんか食おうぜ!」
 どこからか漂ってきた匂いのせいか、カイズがイチカの浴衣の袖を引っ張り急かす。
「……そうだな」
「ラニア、りんご飴とか買ってこようよ!」
「そうね!」
 イチカの言葉で、再び盛り上がる一行。碧とラニアは既に露店へと駆けだしていた。
「おい、迷ったらラニアの店だぞ」
「わかってるわかってるー!」
「姉さーん、アオイー、はぐれないようになー!」
 イチカやジラーが声をかけるが、はたして届いているのやら。

 目的のりんご飴の店を見つけた碧たちは、さほど行列のできていない店の前に来た。
「りんご飴二つください」
 ラニアが店の主人に声をかけると、威勢のいい声が帰ってきた。
「はいよ! ……お、ラニアちゃんじゃねーか! 元気だったか?」
 どうやら顔見知りだったらしく、主人は勢いよく話し出す。
「やーね、元気じゃなきゃ旅なんてしないわよ」
「そりゃそうだな! そっちの子は友達かい? 美人の友達は美人ってのは本当だねえ!」
 陽気に笑う主人の言葉に、碧は頬を赤らめた。ラニアはそんな碧の表情を、面白そうに眺める。
「そ、そんな美人じゃ……」
「アオイって言うのよ」
「へえ〜……もしかして巫女さんかい? あんまり聞かねぇ名前だが」
「違うわよ! 純粋に、あたしの友達よ」
 碧は一瞬返答に困ったが、ラニアが上手くフォローした。
「そうだよなあ、巫女さんがわざわざこんな所まで足を運んでくれるわけねーもんな!
 はい、りんご飴! うちのは絶品だよ、アオイちゃん」
「ありがとうございます」
 絶品だと聞いて、碧は無意識のうちに頬を緩ませていた。
「また来なよー!」
 大きく手を振る主人に手を振り返す碧とラニア。
「なんだかこっちの世界って、みんな仲いいよね〜。日本じゃ、会っても挨拶くらいだもん」
「そうなの? こっちじゃ、会ったら雑談が基本よ」
 碧は辺りを見渡しながら歩いていた。だんだんと雑踏してきたのが目に見えて分かる。
「人増えてきたね。
 ……ラニア? あれ、ラニア?」
 先ほどまで隣を歩いていたはずの彼女の姿が見あたらない。注意深く周囲を見回したが、ラニアの目立つ金髪はどこにも見えなかった。
「……どうしよう」
 気が付けば周りに流され、右も左も分からなくなっていた。隙間を見つけ、なんとか人込みを抜け出した碧は近くにあったベンチに座る。
「……たしか、迷ったらラニアのお店……だったよね。よし」
 思い立ったら即実行、碧は立ち上がって、気づいた。
「あれ……ここ、どこ……?」
 自分の現在地さえ知らないことに。

 先に露店へ行ってしまった碧とラニアとは別に、イチカたちも日本の祭りによくある『射撃』や『亀すくい』を楽しんでいた。金髪の少女が走ってきたのはそのときだ。
「ん? 姉さん……?」
「イチカーーっ!」
 いつもの美人顔からは想像もつかないくらいの形相で、浴衣を着ていることが不思議なくらい猛スピードでこちらに向かってくる。さすがの三人も、これには驚いた。
「……どうした?」
「あ、姉さん。アオイは……?」
 ギャップに驚きながらもそれを表には出さず、冷静に訊ねるイチカ。ジラーが異変に気づく。
「はあっ、はあっ……はぐれちゃったのよ……。途中まで隣にいたんだけど……」
『!!』
「…………」
 無言で、しかし尋常でない様子で駆けだしたのはイチカだった。
「……あの兄貴がアオイを探しに行った……」
「……不思議なこともあるもんね〜……」
「意外だ……」
 三人はそれぞれ感想を述べつつ、リーダーの後ろ姿を見送った。

 どうすればいいのか分からず、しばらくベンチに腰掛けていた碧の前に影ができた。不審に思い、見上げた先にいたのは、いかにもナンパを生き甲斐としていそうな男が二人。
「よォねーちゃん、一人かい?」
「暇ならオレらと遊ばなーい?」
「え」
 生まれて初めてナンパされた碧は内心驚いたが、首を振って俯いた。
「……すいません。あたし、連れがいるんで」
 テレビでよく聞くようなセリフを言ってみる碧。
「キミみたいな可愛いコ置いてくなんて、サイテーじゃん?」
「そんなヤツほっといて、オレらとどっか行こーぜ〜?」
 だが彼らは、やはりどこかで聞いたことのあるようなセリフで返してきた。碧は怪訝(けげん)そうな顔をしながら、しかし冷静に断る。
「いえ……結構です」
「そー固いコト言わずにさぁー」
 そのうちの一人が、強引に碧の腕を引く。碧が咄嗟(とっさ)に腕を引き、抵抗するよりも早く彼は来た。
「……悪いけど、ソレおれの連れなんで」
 ラニア同様、全速力で走ってきたはずだが、そんな様子を全く見せずに無表情で男の腕を掴むイチカ。
 それほど力を入れているわけではない。だが男はイチカの気に圧され、渋々碧の腕を離す。顔を見合わせ、男たちは複雑な表情でその場を立ち去った。あとにはやはり無表情なイチカと、『ソレ』『おれの連れ』と言われ、喜んで良いのか悲しむべきなのか分からない碧が残る。
「えーっと……あ、ありがとう……」
 碧の言葉に、イチカは小さく小さくため息をついた。
「……あのな。普通ああいう状況なら、声出すなりなんなりするだろう」
 怒り、というよりはあきれ顔をしているイチカに碧は首を傾げ、「意味が分からない」という意思表示をした。
「……今のはナンパってやつだ」
「それはわかるんだけど……」
 ナンパされたことないんだよね、と碧は小さく呟く。
「それでか」
「ごめんなさい」
「変な所で謝るな。行くぞ」
 身を翻すイチカのあとを、慌てて追いかける碧。謝りすぎだろうかと思ったが、それほど気にしないことにした。
 すっかり夜も更けたが、まだまだ人は減らない。というより、増えたような気さえ碧にはしていた。「今度はぐれても探しに行かないからな」というイチカの言葉で、碧は必死に銀髪を見失わないようにしていた。
「イチカは……あっちで浴衣着たことあるの?」
 その手段のひとつが『話すこと』。碧の言うあっちとは日本のことだが、人込みの中でもイチカから放たれる気が変化するのが分かった。
「……別に。思い出したくもない」
 振り向かず、そっけなく言うイチカ。
「そっか。なんか、浴衣似合ってるから。……あ、イチカ。花火だよ!」
 碧が指さした方向に、色鮮やかな花火が上がる。光り輝く粉が、夜の闇に吸い込まれてゆく。周りの人々も花火に気づき、皆同じ方向を見て感嘆していた。周りには腕を組んで空を見上げるカップルもいた。
(……もしかして、あたしたちも恋人同士に見えてたりするのかな)
 隣には同じく花火を見上げるイチカがいて、ちょうど二人並んでいる。微妙な距離はあるが、これで腕でも組めば間違いなく碧が思ったように見えるだろう。
 ――だが、碧にそんな根性はない。
 碧はため息をつき、イチカの横顔を盗み見た。そこには予想通りの端正な顔。
「……なんだ」
「!! な、なんでもないっ! きれーだねっ、花火!!」
「……? そうだな」
(……今は……こうしてるだけでいいもんね)
 花火が終わり、少しだけ良い夢を見た碧は、目の前にラニアたちの姿を認めた。碧は大きく手を振る。
「ラニアーっ!」
「あ、アオイ! ごめんね、はぐれちゃって……」
「ううん、あたしが悪いの。ちゃんと前見てなかったから」
「本当にごめんなさいね。それはそうと……なにか進展あった?」
 それがイチカとのことだと気づき、碧は顔から湯気を出した。
「な、ないよ、なんにも!」
「ホントに〜? 顔赤いわよ〜?」
「ホントだってば!」
「ちぇっ、残念。そうだ、イチカから聞いた?」
 碧が首を傾げたので、ラニアは大きくため息をついた。
「しょーがないヤツね〜。これからのことなんだけど、北に行こうと思うの」
「北? なんで?」
 ラニアは声を潜め、
「魔族の城があるらしいわ」
 碧は身が固まる思いがした。そこに、今碧を狙っている魔族がいる。そして、首謀者であろう魔王も。
「でもね……そこへ行くには、兎族(うぞく)の縄張りを通らなきゃいけないのよ」
「兎族?」
「獣人の一種で、兎の姿をしてるの。人間嫌いで攻撃的だから、誰も縄張りに近づこうとしないんですって」
「へえ〜……」
 イチカがぽつりと言った。
「北の前に、巫女の森へ行く」
「え、なんで?」
「忘れたのか? リヴェルに行くんだろう」
 訊ねたラニアに、微妙にからかいを含んだ口調で言うイチカ。
「〜〜とっくの昔に忘れてたわよ!」
「まぁ、そういうことだ。……アジトの『2』は使えるんだったな」
「ええ、服をずらせば……」
「じゃあ決まりだ。そこで泊まる」
『ええーーーーっ!?』
 夜も更けた深夜、急いでラニアのアジトへ向かう五つの影。彼らが本当にくつろげる日はいつなのか――。
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