第一章第六話  同士討ち!

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 ――尖った耳が、ぴくりと動く。
 草木が揺れる音を、ヴァーストの耳が捕らえたのだ。それは小さな音だったが、彼の獣並の聴力は、どんな音でも捕らえる。
「……クラスタシアか」
 振り向きもせず、仲間だと確認する獣配士。間違ってはいないようだが。
「あーらまあ……思い切ったことするわね〜。首、はねられちゃうんじゃない?」
 口調や衣装こそ女だが彼、クラスタシアはれっきとした男である。
「そうでもないさ。事前に許可を得てきた。……お前も聞いただろう」
「まあそうだけど、こんなに早く実行に移すなんて」
 クラスタシアは烏女を(さげす)むような眼で見て――その瞳が細められた。
「ヴァースト? まだ生きてらっしゃるみたいだけど」
 その声が合図だったかのようにぴくっ、と烏女の手が動く。そして、ゆっくりと起きあがる華奢な身体。
「ほう……魔族になったおかげで防御能力が上がったか」
 ヴァーストが感嘆の声をあげる。
「ま……おうさ……まが……許可、を……? じょうっ……だん……いわな、いでっ……!」
 烏女にとっては信じられないことだ。自分を愛してくれた者が、そう易々と許可を下すはずがないと。
「冗談ではない。なんならこれを見てみるか? お前の最愛のグレイブ殿が直筆された許可書だ」
 だが、その想いはうち砕かれた。烏女は震える体でその許可書に目を通す。そこには達筆な字で数行書かれたのち、魔王の判が押印されていた。
『許可書
 我が配下、烏翼使忍者・烏女の抹殺を許可する。この指令は我が部下であるなら全員に有効である。故に、抹殺を実行する者がいずれかも問わない。なお、この許可書は烏翼使忍者が二度任務に失敗した場合のみ有効とする。二度失敗していないにも関わらず、抹殺を遂行した者には直々に罰を下す。
魔星最大幹部魔王の一・グレイブ』
「そ、んな……!」
 一通り読み終えた烏女の瞳は、絶望の色に変わりつつあった。
 ――信じられない。信じたくない。
「くっくっ……(まが)い物に注がれる愛情など所詮はこの程度」
「あらあら、魔王様ったらあの方々に譲歩する気があったのね」
 許可書の内容について語るクラスタシアの言葉は、烏女には全く理解できないことだった。
「“あの方々”……ですって……!?」
「おっと。これ以上のことをお前に話すわけにはいかない」
 言葉と同時に、ヴァーストの手に光が灯る。言うまでもなく、邪悪な光。そのうしろでは、クラスタシアがくすくすと微笑んでいる。
「死ね」
 ただ、その言葉だけを紡ぐ。辺りは一変し、瘴気(しょうき)が充満する。それと共に瘴風が吹き、彼の足まで届くローブに隠れて見えなかった上体が見えた。
 その上体は、烏女も見たことがなかった。否、烏女だけ(・・)は見たことがなかったのだ。
「!!」
 それを見た瞬間、烏女の意識は今度こそ途絶えた。

「へえ〜そんなことが……」
 カイズ、ジラーの二人はふんふんと納得する。
「でも無責任よ!! どうして襲われるかくらい教えるものでしょ!?」
「そ、そーだね」
 碧はラニアの迫力に押され、そうとしか答えられない。
「だが分かることはあったな。お前の脳内に働きかけた奴は、逆に言えばそれだけ優れた才能の持ち主ということになる」
 イチカが推理する。
「え?」
「わかった! 【思考送信(テレパシー)】ができる、ってことか!」
 ジラーが人差し指を立てて言う。
「そうだ」
「【思考送信】ができるのは、高位の巫女か魔族くらいだよなっ」
「なるほど。それで、魔族が自分たちの狙いを教えるワケがないから……」
 カイズやラニアの発想で、解決したように思えた推理。だが、最も重要な点が抜け落ちていた。
「でもあたし、こっちの世界に巫女さんの知り合いなんていないよ?」
「問題はそれだが」
 碧はれっきとした日本人なのだ。こちらの世界に来たのは今回が初めて。可能性は打ち消され、「思考送信説」は無力になろうとしていた。
「兄貴、それにアオイも!」
「そのことなんだけど!」
 仲良し二人組が挙手する。
「この近くに巫女の森っていう所があるんだけどさ!」
「どうせ近くにリヴェルがあるんだし、そこ行かないか?」
『リヴェル』という単語が出たとき、ラニアの顔が微妙にひきつったのを碧は見逃さなかった。
「ラニア、どうしたの?」
「あ、姉さんはもちろんオッケーだよなー?」
 ジラーがすかさず言う。心なしか彼の顔はにやけている。
「な、なに言ってるのよジラーったら……」
「あったりまえだろー、ジラー? リヴェルには姉さんのこんや」
「カイズ!!」
 怒鳴るラニアの顔がやけに赤い。それで碧は、一つの結論にたどり着く。叫びながら発砲する彼女に話しかけるのは勇気が要ったので、控えめに訊ねた。
「ラニア、好きな人いるの?」
 銃をぶっ放すアブナイお姉さんと化したラニアの手が、止まった。さっきよりかなり赤くなっている。
「好きな人じゃなくて、婚約者だ」
 イチカが無表情のまま、ラニアの代わりに答える。
「イイイイイイ、イチカっ!!」
 もはやリンゴより赤くなっている。どうやら事実のようである。
「そうなの? どんな人? どんな人??」
 碧自身は気づいていないが、彼女の目が輝いている。ラニアは白状した。
「……レイト・グレイシルって言って、リヴェルに住んでるあたしの……こ、こ、婚約者……!」
 またもや顔を赤くするラニア。そして、聞いてもいないのにその詳細を語り出した。
「アイツが来たのは三年前……っていうか、父さんが連れてきたの」
「……え? ねえねえ、ラニアって何歳?」
「十五だけど?」
「うそおっ!? もうちょっと年上だと思ってた!!」
「まあオレたちも最初はもっと年上だと思ってたけど……」
 などと話しているうちに、ラニアは完全に自分の世界に入っていた。なにやらぶつぶつと言いながら時折頬を染めて俯き、突然弾かれたように顔を上げて目を輝かせる。
「ら、ラニア、だいじょーぶ……?」
 一方。イチカはなにかを感じ取っていた。
 人が死んだときの気配。かぎ爪男たちの件で、そういった気配はもう修得済みだった。
「イチカ?」
「死体を見たくなかったら、来ないことだな」
 立ち上がり、出口の方へ歩いていくイチカに声を掛ける碧。
「あんたはラニアの相手でもしていろ。その方が身のためだ」
「うん……」
 小屋のドアが、静かに閉まった。

 ――小屋の外。木の真下を通っていくイチカを目で追う者がいた。
 獣配士ヴァースト。
「ふむ……さすがは『奴』の生まれ変わり。ただ者ではないか」
 そう呟き、虚空に消えた。
 イチカは走った。助けなければならないと、本能が彼に囁いた。
 もう手遅れだと分かっていても。
 ようやく立ち止まった彼の目の前には、血の痕。イチカは唇を噛みしめた。
(だが……なぜ死体がない?)
【なんで死体がないのか教えてやろうか?】
 声は唐突に響いた。剣に手を掛け、『声』の気配を探る。
【オレが焼き尽くしてやったからさ。体はもちろん、記憶も、なにもかもな】
(……どこにいる)
 声は途切れた。同時に奔る殺気がイチカを襲う。
「!」
 イチカは間一髪で避けた。だが(かす)ったのか、左頬からじわじわと溢れ出してくる血。
【わずかな間にかわしたか……見事だ】
 何の前触れもなくイチカの目の前に現れた霧は、やがて人の形を(かたど)った。
「どうやらお前はオレの話を聞きたくないようだったのでな。いわゆる不意打ちってヤツさ」
「……また魔族か。この血はお前が殺した魔族の物だろう」
 両頬に古い切り傷。尖った耳。そして、抑えていても分かる魔族特有の『瘴気』。イチカはこの三点で、魔族だと判断した。ヴァーストは静かに佇んでいる。
「魔族が魔族を討つ……『同士討ち』ってやつか」
「ご明察の通り。さっき女が来ただろう? オレはあいつを殺したのさ」
 そこで一旦言葉を切る。
「烏翼使忍者・烏女。我らにとって、ヤツは少々邪魔だったんでね……」
 言葉と同時に、ヴァーストの殺気が膨れあがる。イチカは剣の柄に手をかける。
「……何故おれや、あいつを狙う?」
「邪魔だからさ。我々魔族にとってはな」
(仕掛ける!)
 イチカがそう思った矢先、ヴァーストの殺気が収まった。
「……?」
「ちっ……また会おう、イチカ」
 そう言うと獣配士はローブを翻し、虚空へと消えた。
「イチカーー!」
 彼のすぐ後ろで、碧の声がする。だがイチカには、そんな声など聞こえてはいなかった。獣配士が消えた虚空を、じっと見つめる。
(“邪魔だから”?)
「イチカ?」
 耳元で聞こえた声で、少なくとも碧の存在には気づいたようだが、やはり反応はしない。
(何故、こいつも狙う? 目的はなんだ?)
「みんな心配してたから、早く帰ろう?」
 心配する碧の声が聞こえていないのか、イチカはまだ考え事をしている。
 ぺた、と頬の辺りに何かが貼り付けられたような気がした。そこでやっと目線を斜め下に向けるイチカ。そこには笑顔を振りまく異国の少女の姿。
「怪我してる。絆創膏(ばんそうこう)持ってて良かった〜。……あんまりムリしないでね」
「……おれの勝手だろう」
 もう一度微笑む碧を見て、そっぽを向き小屋へと歩き出したイチカ。
「あはは、そうだね」
「イチカー! アオイー!!」
 正気に戻ったらしいラニアの声が響く。
「あっ、ラニア、カイズ、ジラー! 今行くよー!」
 手を振りながら走り出す碧を見て、イチカは再び考え込む。
(どちらにしろ、あの魔族とは戦わなければいけない、か)
 自分の中で結論を出し、仲間の元へ走っていった。

 その夜、やはり寝付けなかった碧は、外を歩いていた。
(この間も寝付けなかったんだっけ。それで、あの声がしたんだよね)
【呼んだか……】
「うわあ! びっくりした……。あ、あなたこの前の?」
 それがこの間の声だと気づき、何もない空間に向かって話しかける碧。
【そうだ……】
「あ、そうだ。詳しく教えてくれない? あなたがこの前言ってたこと。それと……あなたは一体誰なのか」
 核心をついたであろう碧の言葉。声は少し間をあけて答えだした。
【……そうだな……私の名は、ヤレン・ドラスト・ライハント。四百年前、魔王軍を滅ぼした……お前の……前世の人間だ……】
「あたしの……前世!?」
 にわかには信じがたい事だ。しかし真剣みを帯びた声からは、少なくとも嘘という感じはしない。
【ウソをついても仕方があるまい……】
「まあ、そうだけど……」
【話を続けよう……だから……お前は狙われるのだ……私の生まれ変わりならばそれなりの力があるということ……魔王軍としては……そんなお前の存在を……見過ごすわけにはいかない……】
「そう……なんだ」
 ヤレンが最もらしい事を言うので、渋々信じる碧。
【信じてもらえるかどうか分からないが……】
「……ううん、信じる。あなたの言うこと。あたしは、なにをすればいい?」
【レクターン王国に……王女がいる……お前と気が合いそうな……なにかを教えてもらえるはずだ……】
 声――ヤレンの声は安心したように優しくなっていた。
「おっ、王女様と!? っていうかレクターン王国ってどこ?!」
【レクターン王国の場所は……仲間に聞けば分かるだろう……】
「分かった。ああ、えーとヤレン? あなたはどこにいるの?」
【私の体はないが……魂が眠る場所は『森の中』だ……一度会いたいものだな……】
「うん、あたしもそう思う」
【その日を楽しみにしているぞ……アオイ……】
 そこで、声は途絶えた。
「レクターン王国の王女様、か。ヤレンにも会いに行かないとね。……ん? でも『森の中』ってどこのことだろ……」
 独り言を言いながら、碧はもと来た道を帰っていく。その後ろに大鬼がいたとは知らずに。
「ちっ……仕留め損ねちまいましたぜ、ヴァーストの親分」
 ヴァーストを手のひらに乗せ、うなだれる大鬼。
「仕方あるまい。ヤツは本能で動いたわけではない。ヤレン・ドラスト・ライハント……手強い女だ」
 憎悪の眼を碧に向け、言う。
「まあいい。それよりも……グレイブ殿はまだ立ち直っておられないのか、エグロイ?」
「へえ、まだですぜ」
 エグロイと呼ばれた大鬼は答えた。

「烏女……」
 魔王・グレイブは、烏女の死を嘆き悲しんでいた。グレイブにアタックしまくっているクラスタシアだが、ここまで悲しまれていては手も出せない。
(なによお、アタシがいるのに)
 と、クラスタシアは密かにそう思っていたのだった。
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