第一章第三話  残る謎

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「みんなーーっ!!」
 碧は叫んで、大芋虫・セルフィトラビスの残骸へと駆け寄る。
「ラニア! カイズ! ジラーッ!!」
 仲間の名を呼びながら骨の中をかき分け、必死に探すが見当たらない。ふと何かが手に当たる。手繰り寄せると、黒いいびつな形をした物だった。それを見たのは一瞬だったが、間違いない。
「ラニアの銃……?」
 裏返すと、ローマ字でラニアと彫られてあった。疑念が確信に変わる。よほど手入れをされているのか、傷一つない拳銃。だが持ち主がいないのは何故か。その考えに行き着いたとき、碧は絶望を覚えた。まさか、そんな。
「そ、んな……」
 がっくりと肩を落とし、項垂れる。出会って間もないのに、このあっけない別れ方はなんだ。あまりにも酷すぎる。知らない世界で、たった一人で生きていけというのか。碧はそこまで絶望的になっていた。
 視界の隅にあった銃が揺れたような気がして、碧は振り返った。すぐ横を銃が通り抜けていく。よく見ると細い糸が括り付けられていた。その糸の先にいたのは、紛れもなく探していた姿。
「……ラニア……?」
 彼女は、微笑んでいた。何故だか急に溢れ出す感情があって、気がつけば走り出していた。
「ラニアあ!!!」
 勢いよく抱きつく碧。ラニアはその反動で、数歩後ろに下がる。碧の行動に目を丸くしている。
「ア、アオイ?」
「良かった! 良かった……無事で……」
「アオイ……」
 肩を震わせ、嗚咽(おえつ)を上げる。頬に涙が伝う。出会って間もない他人の為に涙を流したことはなかった。どうしてこんなに嬉しいのだろう。(なだ)めるように背中に回されたラニアの手は、とても温かかった。
「感謝するわ。ねえ?」
 ラニアが振り返り、呼びかけたその先には金髪の少年とモヒカンの少年。
「おう!」
「オレたちも無事だぜ!!」
「カイズ、ジラー!!」
 碧の顔に、笑顔が戻った。感動の再会とはまさしくこのことである。碧だけでなく、皆に笑顔が溢れた。まるで何年来かの親友が一堂に会したように、和やかな雰囲気が流れていく。
 フン、と誰かが鼻を鳴らした。
「ラニアが異変に気づかなかったら、全員死んでただろうがな」
 さながら同窓会のような雰囲気を、一瞬でぶち壊すこの男。静かな、しかし皮肉めいた口調が碧を攻撃する。彼女の顔から笑顔が消え、見る見る落ち込んでいった。
「ちょっとイチカ、」
「ま、まあまあ兄貴、姉さん! 助かったんだからいいじゃないか!」
「みんな無事なのが何よりもいいことだし!!」
 カイズとジラーが仲介に入るが、少なくともイチカの方は考えを改めるつもりはないようだ。刺すような銀色の瞳が、嫌悪を如実に表していた。
「そう、だね……」
(あたしは、みんなと違って未熟だから……)
「これは……酷いわね……」
 言い争うと雰囲気が悪くなると思ったのだろう、それ以上イチカに何も言うことなく室内を探索していたラニアが声を上げた。
「姉さん、どうしたんですか?」
「あいつが入ってきたとき、床も一緒にやられたみたいなの。修正できないくらいに」
「え、それじゃあ……!」
「ええ。……もうここを、休憩場所として使うことはできないわ」
『ええーーっ?!』
狼狽(うろた)えるほどのことじゃないだろう」
 カイズらの立てた大音量にイチカが口を開く。
「休憩場所の代わりはいくらでもある。別にこれといって不便はない」
「あるわよ。休みなく戦うワケにはいかないわ。最近増えてきたかぎ爪たちの相手はあたしたちだけじゃ……」
「補充するならそこに一人いる。あれだけ戦えれば十分だ」
 視線を一瞬碧に向けるイチカ。
「……え?」
 突然話を振られ、碧は戸惑う。
「あ、そうねぇ! アオイ、強かったし」
「ええっ!?」
「なんかすごい技見られたし!」
「ええーっ!?」
「おっ、カイズ。オレもそれ言おうと思ってたんだよなあ」
「えええーっ!?」
「じゃあアオイも一緒に、ってことで!」
「「「けってーい!!」」」
「ちょっとーー!!!」

 ――この会話の間に、あの瑠璃色の石は消えていた。その行き先は北の山を越えて、さらに遙か北の寂れた場所。ここに、人知れず古びた城が建っていた。
 照明もなく暗闇に覆われた城。その最上階、最奥の間に、玉座に腰を沈めた男がいた。――魔王。人々は、彼をそう呼ぶであろう。それは、あからさまに悪趣味な格好であった。首には髑髏(どくろ)の首輪。腰には髑髏のベルト。鎧を身に着ているが、肌の上に直接装備しており、露出が多い。そして例の瑠璃色の石は今、彼の手中にある。
「……所詮、役立たずは役立たずのままか」
 彼は手の中にある石を見つめ、ふうと溜め息を吐いた。垂れ下がった金色の髪を振り払い、紺碧の瞳を物憂げに虚空へ向ける。
「……烏女(ウメ)
「なんでしょう、魔王様」
 烏女と呼ばれた女は音もなく、闇の中から突然現れた。
 扇情的な肢体が闇の中に浮かび上がる。全身にぴったりと張り付くような黒のタイツ。特徴らしき特徴はそれと、短い黒髪に挿した烏の羽くらいであった。女は(うやうや)しく一礼する。
「セルフィトラビスが人間ごときに負けた。わざわざこの石で復活させてやったというのに、ろくな働きもせず」
「存じています。太古の魔物には、不似合いだったのでしょう」
「烏女。お前が“奴”を倒した暁には……この生命の石、お前にくれてやろう」
 女は形の良い眉をひそめる。
「魔王様から私などへの褒美、恐悦至極に存じます。ですがその石、生きた者には意味がないのでは?」
 生命の石――リターンライフ・ストーンはその名の通り、一度死んだ生き物を生き返らせる力がある。生きた者には、全く役に立たないと言われている。だが、それは人間界での話。
「ふっ……生身の者には、精神・肉体増強効果があるのだ。――さて」
 そこまでいうと、魔王は烏女を手招き口づけを交わす。烏女は頬を赤らめるが、抵抗せずに魔王の為すがままになる。そのまま倒れていく、二つの影――。
 その様子を彼の部下の一人が見ていたことに、二人は気づかなかった。

  ラニアが経営しているファッション店の地下には、アジトの他にちょっとした図書室もある。そこでラニアたち五人は、例のセルフィトラビスについての情報を探していた。
――いや、正確に言えば、ラニア一人で探しているのだ。イチカは窓の外――ただし、地下なので土しかない――を見ていて、カイズとジラーはパンを食べている。碧はと言うと、ぼーっとしている。
「う〜〜〜ん……やっぱり絶滅したとしか書いてないわね……。絶対なにか理由があると思うんだけど……」
「……そういえばラニア。なんであいつの弱点わかったの?」
 碧が訊く。
「ああ。なんかね、口の中調べてたら腫れ物があって。怪しいと思ったから、なんとなく撃ってみたら案の定……ってわけなのよ」
「そうなんだ」
 なんとなくって……と、碧は口には出さず、心の中で思うだけに留めた。
「アオイこそ、どうして分かったの?」
「うん、多分そのあとだと思うけど……あいつがいきなり苦しみ出して……見たら額が光ってたの」
「光ってた……? あたしには見えなかったけど……」
「分かった!」
 それまで二人の話を黙って聞いていたカイズが叫ぶ。
「それはアオイの、特殊能力みたいなものなんじゃねえ?」
「あたしの……特殊能力……?」
「ああ! アオイの住んでた国はどこか知らないけど、この世界で生きていく為に身に付いたんだと思う」
(生きていく、って……あたし、許されるんならあっちに帰りたいんだけどな……)
 碧の定住は決まってしまったのか、そのまま話は続いている。
「言ってなかったわね。カイズ、ジラー。アオイは地球の日本人なのよ」
 ラニアが訂正する。それを聞いた瞬間、カイズとジラーは硬直する。
『ちきゅーの、にほんじん……?』
 一呼吸置いた後――
「あ、あの“てーいっ!”ってするなんだっけ……そう柔道とか、」
「“めーんっ!”ってするあの剣道ってヤツがあるとこか!?」
 身振り手振りを加えながら説明するカイズとジラーがおもしろくて、思わず吹き出す碧。イチカはそんな二人を、呆れた眼差しで見ている。
「……なんでみんな、日本のこと知ってるの?」
「それはね、こういう昔話があるからなの。……」
 今から四百年前、この世界・アスラントは混沌とした恐怖に包まれていた。魔王軍が襲ってきたのだ。魔王軍はこの世界にある町という町をほぼ全て焼き払い、人間を恐怖に陥れた。そのころ魔王は北に城を造り、そこでこの世界が自分の物になることを待った。残された唯一の街・ウイナーの人間が皆、絶望と言う文字を頭に焼き付けていたとき……一人の巫女が現れた。
「巫女さん?」
 碧が意外そうに訊ねる。てっきり伝説の勇者か何かだと思っていたらしい。
「そ。とっても美人な人だって」
「姉さんには劣るだろーな〜」
「ジラーっ! ……続けるわよ!」
 その巫女は町人から話を聞き、必死で引き留める町人を後目に自ら魔王の城に向かった。そして二日後……巫女は魔王軍を倒して、町人の元に戻ってきた。魔王が滅んだことで、そのあと町は徐々に落ち着きを取り戻していった。アスラントを救った巫女は日本のことを、そのとき生き残った子供たちに教えた。子供たちは巫女になつき、日本の事をもっと話して欲しい、とせがんだが、ある日突然巫女は姿を消した。町人は手分けして探したが、どれだけ探しても見つからない。町人たちは諦めたものの、巫女から聞いた話は面白味があるとして、後の世代に昔話として伝えた――。
「……そうなんだあ……。でもなんで柔道とか知ってたのかなぁ?」
「うーん……多分その人、未来を予知してたんじゃない? あたしたちから見れば異世界だけど、巫女様には未来の日本文化が見えてたのかもしれないわ。よくいるでしょ、そんな人」
「そっか……」
「……そろそろ行くぞ。ここで寝泊まりできないんなら、外で適当に宿を探すしかない」
 話の途切れを待っていたイチカが口を開く。
「そうね。あ、アオイ。きつかったら言ってね。休憩するから」
「うん」

「ラニア……」
 突然聞こえた、弱々しい女性の声。ファッション『アネゴハダ』を出て、すぐのことだった。
「! マテリカ……」
 どうやらラニアの知り合いのようだ。見た目は十六、七歳。ゆったりとした帽子から覗くオレンジの強い赤髪が、目を引く。髪に合うラニアと同じ薄紅色の瞳。服も、ゆったりとした服だ。
「また……行ってしまうのね……」
「……ごめんね、マテリカ」
「……なんか恋人みたい」
 碧が呟いてしまうほど、その二人は絵になっていた。
「ううん、いいのよ。気をつけてね」
 マテリカ、という少女は手を振っていたが、いかにも悲しそうな顔をしていた。
「今の人……」
「恋人?」と出かかった言葉を慌てて飲む。
「マテリカって言って……あたしの幼なじみなんだ。あたし、もともとは北の生まれで……。でもマテリカは仲良くしてくれた。
 ……あたしの……家族が死んだときも、慰めてくれた」
「あ……」
「あたしの家族はね、あたしの留守中に魔物に殺されたの。弟もいたんだけど……あの子でさえ、適わなかった……」
 とても辛そうな表情で話すラニア。碧はこれ以上聞いていられないと言わんばかりに首を振る。
「っ……もういいよ、ラニア。悲しくなるでしょ?」
「……そうね。ごめんね、アオイ」
(そう……思い出しても……悲しくなるだけ)
 ラニアは無意識に、家族のことを思いだしていた。父、母、弟のファズラ。
(ファズラはよく、強い剣士になるんだ、って言ってたっけ……)
 だが、その少年の夢は奪われた。魔物の手によって。
(……あんな小さな子の夢を奪うなんて……許せない!!)
 ラニアから発せられる怒りのオーラ。もちろん本人は気づいていないのだが、その周りにいる者たちは、恐ろしくてたまったものではない。
「ラニア……コワイ」
「姉さん……たまにああなるんだ……」
「よく分からないけど、キレてるんだよな……」
 その中でも、一人平然としているヤツ。ある意味で最強である。
「どうせ弟のことだろう」
「え! そうなの、ラニア?」
「……え? えーっと……あ、そりゃまあ……たった一人の弟だから、ねえ」
「ふーん……」
 ――その様子を眺めている者がいることに、彼らは気づいているだろうか。
「……ふふっ、いたいた」
 魔王配下、烏翼使(うよくし)忍者・烏女。
「でもまだ殺さないでおこうっと。もっと人がいなくなってから……ね」
 くすくす笑いながら標的を見つめる彼女の表情は、やがて不満の表情へと変わっていく。
「……なんであんたがここにいるのよ?」
 そのうしろには、一人の男。上半身裸で、ぶかぶかのズボン。いかにも妖しい商売をしていそうな身なりだ。無造作に長い薄黄色の髪は束ねていない。男は烏女と同じか、それ以上に不機嫌極まりない口調で言った。
「……魔王様の命令だ。てめえなんぞの近くにいるぐらいなら死んだ方がマシなんだけどな」
「あっそ。じゃあ死ねば?」
「戦う前に魔王様に殺されちゃ堪んねえし……くそっ、胸クソ(わり)い」
 烏女の言葉を聞いているのかいないのか、ぶつぶつと独り言を言う男。明らかに苛立っている。
「あたしは失敗しないから。手助けは無用よ」
 烏女も仕返しとばかりに、男の言い分を無視し、前を見据えて言った。
「自惚れんなよ雌豚が……手助けなんぞ誰がするか」
「…………(言うと思った!)」
 予想していた答えとは言えさすがに頭に来たが、ここで言い争ったり魔力を解放したりしては居所がバレてしまう。烏女は唇を噛んで耐えた。

(……いる。一人……いや、二人か)
 イチカはこの二人の気配をとっくに感じとっていた。無論、彼以外は気づいていない。彼は人よりも先に、敵の気配に気づいてしまうのだ。
(……向こうに殺気はない……ということは、まだ()る気はないということか)
 イチカは、あくまで気づかぬフリをすることにした。
「……あっちの男、もうあたしの気配に気づいたみたい。鋭いわねー……」
 あくまで自分一人だけだと言いたいらしい。
「……少しはできる、ってことか」
 男は微笑んでいた。
「なんか言った? あたしここで寝よー」
「なんのつもりだ」
 太い木の幹に寝転がる烏女を見て、怪訝そうな顔をする男。
「すぐそこに宿があるでしょ。ぜっったいにそこに泊まるわーってこと! じゃ、オヤスミ」
 と言ったとたん、寝息が聞こえてきた。寝付きがいいのだろう。
「……クソが」
 ぱちんっ、と指をならすと、何もない空間から毛布が出てくる。それを烏女に無造作に掛け、男は消えた。口は悪いが筋は通すようだ。

「あっ! 兄貴!! 宿だぜ!!」
 カイズが指さして言った。
「……今日はあそこに泊まるか」
(なんかいかがわしいが)
 と心の中で付け足した。何故ならその宿は、
『メルフィーvの宿vvv』
 という風に、屋根に掛かった看板にハートマークがちりばめられていたからだった。
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