第一章第二話 若き銃士
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先ほど、カイズが発した言葉。
『あいつらが言ってた美人って、姉さんのことかな?』
そして今、ジラーが発した言葉。その眼は驚愕に見開かれている。
「
姉さん……」
同一人物なのだろう。碧はそう考えた。どちらにしろ――美人であることに変わりはなかった。
(まっ……眩しいっ……!!)
碧が通っていた学校に、可愛いと言える生徒は何人もいた。だがその誰もが及ばないくらい、その女性は絶世だった。美人の領域ではない、碧にとっては光って見えたのだ。
年の頃は二十歳に届くか、届かないか、といったところだろう。何よりもその見た目が、彼女の年齢層を上げ、魅力的に見せるのだ。艶のある長い金髪と、雫型のピアスが風になびく。こちらを見据える瞳は飾らない薄紅色。瞳と同じ色の唇はふくよかながら、主張しすぎていない。少し小柄だが、引き締まるところは締まり、出るべきところは出ている。俗に言う、『グラマー』である。
だが、その美しい女性が、銃でかぎ爪男を撃ったのも事実。碧は困惑していた。それまでそんなに美しいひとが、非情な行為に及ぶところを見たことがないからだ。
女性は微笑んでいたが、ふと碧に目をやり、歩み寄る。近付いて来るにつれ、ますますその容姿は際立って整って見えた。
「……え、あの、その……」
間近でまじまじと見られてどもる碧。物珍しそうに見つめる瞳は好奇心で埋め尽くされている。いかにも大人の女性らしい香水の匂いが鼻を掠め、碧はどぎまぎした。二、三度瞬きしたのち、女性は碧から顔を離し男性陣に向かって大声で訊ねた。
「かーわいい! ねえねえこの子誰の彼女ー?」
見た目とは対照的な言葉遣いと無邪気な声に、またしても驚く碧であった。まったくこちらに来てから驚かされてばかりだ、と多少迷惑に思う。その迷惑も、ひたすら好みを寄せ集めたようなこの世界にいれば、大したものには思えないようだが。
返事がないことをどう受け取ったのか、女性は再び碧に顔を戻した。そして碧の後ろにいる面々と、彼女の顔とを見比べること暫し。
「うーん……イチカ、ってトコかしら?」
「なっ?!」
心得顔をしてにっこりと微笑んでみせる女性。どうやら彼女はそうだと確信しているらしい。それならそれで嬉しいのだが、当の本人は嫌っているに違いない。碧は非難の声を上げたかったが、心が追いつかなかった。顔を真っ赤にして、金魚のように口をぱくぱくさせることしかできない。
「悪いが……そいつは荒野で倒れてたんで、俺たちが助けてやっただけだ。誰の女でもない」
意外なところから助け船が出た。単調な声色で、変化がない。動揺しているのは自分だけのようだと、碧は少し落胆した。当然のことなのに、何故か切なくなる。
「なーんだ。つまんないの」
なーんだ、って……と碧はつっこみたくなったが、とりあえず抑える。女性が碧に小声で訊ねた。
「ねえ、あなたイチカのこと好きなんでしょ?」
「えっ! どうして……?」
図星を指され
微かに頬を紅潮させる碧。女性はしてやったりというような表情を浮かべる。
「見てれば分かるわよ〜。女のカンってやつ?」
女のカンってスゴイ、と碧は感嘆しつつ、小さな抵抗を試みる。
「〜〜で、でも、付き合ってるんじゃ……?」
「……“付き合ってる”……?」
眼をぱちぱちと瞬かせ、女性は大笑いしだした。いきなり笑い出したものだから、カイズとジラーが「なんだ!?」「なんか起こるのか!?」などと後ろで言っていたが。
「誰から聞いたのか知らないけど……付き合ってるワケないでしょー?」
けらけらと笑いながら、女性が弁解する。よほど面白かったのか、涙目である。
「ほ、本当に?」
「本当よー! ふふっ……あーおかしー!」
それからまた女性は、腹を抱えそうな勢いで笑い続けていた。
「確かにぶっきらぼうな所あるわよねぇ……。でもずっと四人で暮らしてて、彼女がいるっていうのは聞いたことないわ」
ようやく笑い止み、女性は続けて言った。
「元々女の子とか恋愛とか興味なさそうだからねー……。でもチャンスはきっとあるわよ!!」
ぐっと拳を握り締めて力説する女性。そうされると説得力がある。碧の表情が見る見る明るくなった。
「ありがとう……ございます!」
「あらやだ、敬語なんて使わなくていいのよ! あたしはラニア。ラニア・クラウニーっていうの」
「あ、あたし碧! よろしくね」
名前を言った瞬間ラニアの表情が微かに曇ったが、碧は気づいていなかった。
「そ、そう……よろしく! あ、うち来ない? 服すっごく汚れてるわよ?」
「えっ! あ、そうだった……」
制服に眼を落とし、洗濯をしても落ちそうにない血痕を発見して溜め息を吐く。
「あら? イチカは?」
ラニアにつられて碧も辺りを見渡す。確かにある意味渦中の彼はいなかった。
「ああ、師匠なら“女の世間話は長いから先に帰る”って言ってました!」
わざわざ声色まで真似て、ジラーが挙手をして説明した。
「そうなの? しょうがないわね〜。まあいいわ、来てアオイ!」
「うん!」
ラニアについて歩き出すと、カイズが碧に駆け寄ってきた。
「姉さんは、ファッション店を経営してるんだ。この町じゃ、有名なデザイナーなんだぜ!」
「へえ〜そうなの?」
「カイズってば……そんな大層なモノじゃないわよ!」
少し照れているのか、頬が赤く染まっている。
「ふふっ。!」
「アオイ? どうしたの?」
「あ。ううん、なんでもない」
無論、なんでもないわけではない。先ほど碧の眼に止まったもの。それは、ローマ字表記された看板だった。この世界の人名や地名は全て横文字。だが、自分の話す言葉は通じるし、相手の話す言葉も理解できる。これがどういうことなのか、碧は気づいた。ふと、周囲を見回す。
――思った通りだった。読める。人の名前も、アーケードの文字も、果物の名前も、全部。そして、ここにも。
「着いたわよ」
そこの看板には、蛍光ピンクの文字でこれでもかというほどでかでかと、
「ファッション……『アネゴハダ』……」
と、書いてあった。
店内は一戸建てほどの広さだが、その範囲に所狭しと服が並べられている。ラニアはさっさと奥へと歩いていき、ちょうど店の中央あたりで止まった。
「イチカはいないから……アオイ、それ踏んでくれる?」
そこには、一つの突起物があった。
「え、うん」
言われるがままにそれを踏むと、突然振動が起きた。
「うわっ!」
「あ、アオイは初めて乗るんだった。ごめんね、言い忘れてたわ。揺れること……」
おそらく下降しているのだろう。最初の揺れ以外は、特に振動はない。
碧はふと気になって、他の三人を見てみた。ラニア、カイズ、ジラーも突起物を踏んでいる。四人で踏めば、床が動く仕組みになっているらしい。
(――あれ?)
もしそうだとすると、不自然な点がある。イチカはおそらくもうこの下にいるのだろう。だが、最低でも四人いなければ動かないこれを、どうやって動かしたのだろうか。
碧が悶々と考えていると、ラニアの呟きが聞こえた。
「イチカったらマネキン三つ使ったわね……また戻さなきゃいけないじゃないの」
碧は思わずくすりと笑った。どうやらそういうことらしい。その光景を想像すると、少し笑えてしまう。
「そろそろ地下に着くわよ。あたしたちの、アジトにね」
ラニアが可愛らしくウインクをしてみせた。それと同時に小さな揺れが来た。
「はーい到着ー!」
エレベーター――と言っても差し支えないだろう――を降りると、目の前に『AJITO1』と書かれた扉が現れる。ラニアがそこを開けると、中にはいかにも戦闘用の衣服が揃っていた。それも、中世を舞台にしたRPGさながらの衣装であるわけで、碧を喜ばせるには十分な要素だった。
「うわあ〜……!」
「ねえ、アオイ。あなた、なにか得意な武術とかある?」
「えーと……空手、かな」
ポカンと呆けた顔をしているラニアを見て、碧は後悔した。いくらローマ字文化とはいえ、自分の世界の武術をラニアが知っているはずがない。視線を
彷徨わせてなんとか助けを借りようとするが、いつの間にかカイズとジラーはいなくなっていた。
「あー……えーっと……」
碧はどう言おうか考えるが、全く良い案が思いつかない。
「……やっぱり……」
だが、ラニアの呟きによってその思考は中断させられた。不審に思って彼女を見ると、心なしかその瞳が輝いていて。
「やっぱりあなた……地球の、日本人なのね!?」
「――へ?」
これでもかというほどにラニアの瞳が輝いている。なぜそのことを? と言うより、なぜ『地球』という単語と、『日本人』という単語をこの世界の人間が知っているのかが、碧には疑問だった。そんな碧の心中など知る由もなく、ラニアは部屋の奥へ駆けていく。
「あたし、空手大好きなの!! こーやって瓦を積み上げて……」
どこから持ってきたのか、いきなり瓦を積み始めるラニア。
たぶん、精神統一をしているのだろう――瓦の前で深呼吸し、気合いの入った声と共に右手を振り上げる。
当たりはしたが、瓦は割れず、むしろラニアの手が割れそうだった。彼女の手は赤くなっている。下手をすれば骨折しているのではないか、と碧が心配になったほどだ。
「いっ……今は割れないけど……いつかは割れるようになるの!!」
涙目で、それでも強い意志を持って断言するラニア。何だか碧は無性に彼女が可哀想に思えてきた。素人だろうに、そこまでするなんてと。
「あなた、瓦割れる!?」
「え。うん。まあ」
「割ってくれたらいい服あげるわ!! お願い、割って!!」
積み上げられた瓦の前で精神統一する。
別にいい服欲しさにやっているではない。頼まれると、断れない性格なのだ。
「破っ!!」
五段重ねのそれは、一つ残らずあっさりと割れた。その後ろでラニアが歓声を上げ、「すごーい!!」と絶賛していたのは言うまでもない。
「いいの? こんないい服貰っちゃって?」
数分後ラニアが持ってきた服は、見ただけで相当な値打ちのものだと分かるような高級品だった。たかが瓦を割っただけなのに、と心の中で付け加える。
「それは昔祖父が貰ってきたもので、誰も着ないから取っておいたの。だからあげる」
「でも、」
それなら尚更貰うわけにはいかないと、碧が断ろうとした時だった。
「あたし、もう家族いないから……」
悲しく笑って、ラニアがぽつりと漏らした。
「あ……」
(家族、いないんだ)
「……じゃ、じゃあ、貰うね!」
そこまで言われて厚意を無下にできるほど、碧は薄情でも挑戦者でもない。
「ありがとう。着替えたら、『AJITO2』ってトコに来て。みんな待ってるから」
「うん」
「……さっすが、名前がRPGなら服もRPGって感じ」
碧が着た物、それはやはり、ゲームの世界から飛び出てきたような衣装だった。肩当て・肘当て・膝当てに真紅の宝石が入った当て物三点セット。そして胸当てと、腰当て付き。それだけついていながら、着た者はあまり重みを感じない。かなり質の良い『軽鎧』なのである。鎧の下には薄いTシャツと膝下までの黒スパッツ。
「これ、どういう組み合わせなんだろ? 特にこのスパッツ」
などと碧が呟いていた、その時だった。
「!」
何か、嫌な予感がした。先ほど別れたばかりの仲間の元へ、碧は走る。
(みんな……無事でいて!!)
見えてきた『AJITO2』の文字。扉を勢いよく開ける。
「な……!」
目の前にいたのは、自分が心配していた人間たちではなかった。
(こういうのを、妖怪って言うの……?)
碧はそこに佇む物を見て、そう思った。第一印象は、その巨体。体中に毒々しい斑模様があり、体の両端には、数十本もの尖った脚が生えていた。あえて言うならば、巨大な芋虫であろう。その巨大な芋虫は細長い眼を更に細め、碧を見下ろしていた。
「ただの芋虫じゃあ、ないんだよね。何者?」
何故か、碧は落ち着いていた。皆の危機かもしれないというのに、不思議と恐怖心はなかった。
「……儂ハ、魔王様ノ配下……」
芋虫は器用に口を開きそう答えた。腹の底から響くような声だ。
「じゃあ、ここにいたみんなは?」
「ククク……皆、儂ノ胃袋ノ中ダ。五分後ニハ消化サレヨウ」
「ウソ?! そんなワケない、みんなあんたに飲まれるような人たちじゃない……はず!!」
端から見ればかなり失礼な事を言っているが、碧は大真面目だった。
「仲間ニ会イタケレバ……儂ノ餌ニナルコトダナ!!」
鎌のように鋭い脚の一撃。これを碧は飛んで避けた。
「芋虫の餌になって死んだ、なんて言われたら恥だ……。こーなったらとことん戦ってやるわよ!!」
巨体を巧みにくねらせ繰り出す攻撃を、碧は必死に避ける。地面が割れる音がしたが、この際構っていられない。と、視界の隅を鋭い刃先がちらついた。避けていたのでは間に合わない。
「こんなものっ!!」
碧は「はっ!」と気合いを入れ、迫っていた脚を叩き割る。思わぬ攻撃だったのか芋虫が一旦攻撃を止め、対峙する形となった。
「……芋虫のくせに、意外……」
(みんな、ホントに飲まれちゃったのかも……)
不意に浮かんだ悪い考えを、頭を振ることで振り払った。そして、この世界で初めて戦う異形を見上げる。それは左右に大きく裂けた口を一層伸ばし、うっすらと笑みを
象った。
「小娘ニシテハ、ヤリオル」
「ん……」
身体にまとわりつくような、ねっとりとした感触の上で目覚めた。意識が
朦朧としている。微かに頭痛を
来し、頭を抑えながら身を起こした。
「えと……たしかアオイに服を渡して……」
「気がついたか」
横から冷静な声が聞こえ、見ると銀髪の少年がどこかを見つめていた。
「イチカ……ここは?」
「芋虫の腹の中だ」
「芋虫……思い出した! イヤだわ、あんなヘンなヤツに飲み込まれるなんて、不覚っ!!」
ラニアはきーっ、と狂ったように喚きながら頭を振り回している。無理もない。
「……寝てなきゃ気づいたんだがな」
負け惜しみなのかなんなのか、イチカがぼやく。
「姉さーん!!」
カイズとジラーが、こちらに向かって手を振っている。状況は最悪最低だというのに、全く緊迫感がない。それでもラニアは二人の姿を見て安堵した。
「よかった、あの子たちも無事なのね。
……アオイ……アオイは!? アオイはどうしたの!?」
「外」
「外、って……あ、アオイ!」
芋虫の皮膚を通して、碧が戦っている姿が見えた。内部から外の景色が見えるのは、この芋虫の皮膚がマジックミラーのようになっているからなのだろう、とイチカは推測していた。
「アオイの頑張りに、応えなきゃ!」
ラニアは立ち上がり、歩き出す。そして、腰のベルトから銃を取り出した。至る所を撃ちまくるその姿は、結構コワイものがある。銃弾は芋虫の肉にめり込んでは落ち、金属の塊と成り果てる。それでもラニアは諦めずに発砲し続けた。銃声が虚しく内部に響き渡る。
「……何をしている」
半ば呆れを含んだ口調で訊くイチカ。
「決まってるでしょ! コイツの出てきた原因を探ってるのよ!」
「原因?」
「なんかの本に載ってたんだけど、コイツは四百年ぐらい前に滅びた、『セルフィトラビス』っていう大イモムシなのよ。それが今、ここにいるってことは……」
「何らかの原因があるということか」
イチカがラニアの言葉を継ぐ。
「そーゆーことよっ! っのびくともしないわね!!」
「で、その原因とやらをそんな闇雲に探って見つかるのか?」
「可能性を信じるのよ! アオイが外で頑張ってるんだから、あたし達も頑張らないと!」
複数形になっているのは、ラニアがイチカに協力を求めているということであろう。分かっているのかいないのか、イチカはそっぽを向いたままである。カイズとジラーも自らの武器であちこちを攻撃しているが、芋虫の皮膚は意外に硬く効果がないようだった。沈黙したイチカを置いて、ラニアは上方――口の方を目指す。体内が酸性なのか、所々にぬめりがあり昇りにくい。
「あれは……?」
ようやく喉の辺りまで登り切って、ラニアは何かを見つけた。鼻より上の方に腫れ物があった。口内炎のように見えるが、位置から考えればそれは額の近くである。
(絶対になにか、ある!)
そしてその部分に向かって、銃を構えた――。
「はあっ、はあっ……!」
「ククク。ドウシタ小娘。息ガ上ガッテオルゾ?」
「い、芋虫なんかに……!」
先ほどから攻防が続いているが、碧は防戦一方だ。それもそのはず、どう考えても芋虫の方が有利なのだ。碧は腕二本と脚二本。対する巨大芋虫は、数十本もの脚。それを容赦なく振り回すのだから、碧は攻撃する隙がない。避けているうちに、体力も次第になくなっていく。
(みんなの命がかかってるのに……!)
「!! グオ……ッ!?」
突然芋虫が苦しみ出した。何事かと碧は芋虫を見上げて、眼を疑った。芋虫の額が紫色に輝いている。何度も瞬きをしてその箇所を見るが、見間違いではないようだ。
「グッ……! オ、オノレ、人間ガァッ……!!!」
芋虫は忌々しげに身を
捩り、自らの脚で己の身体を攻撃する。その隙を狙って、碧は本能的に跳んだ。芋虫の額へ。
「光ったら大抵弱点なのよねっ!!」
「ヌォッ?! シマッ……」
芋虫の額に、殴る勢いで指を差し込む。嫌な感触が指先に伝わる。だが嫌悪感を覚えるより先に、何かが指に当たった。
「取った!!」
手を引き戻すと同時に、芋虫の額から血が噴き出す。彼女の指には、瑠璃色に輝く直径五ミリほどの石が挟まれていた。
「バカナ……! 儂ノ……命ノ源ヲ……ォォ……!」
断末魔は掻き消え、芋虫の皮膚が砂のように流れ落ちていく。支えを失った骨格はがらがらと音を立てて崩れた。
「みんなは……!? みんなーーーーっ!!!」
碧は、骨の山へと駆け寄った――。
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