第三条 決闘の横やりは無粋です

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 近くで雷が鳴っている。
 それにしては稲光が見えなかった。案外離れた所なのだろうか。それとも、光にすら気づかないほど、この男に気を取られていたのか――。意外にも冷静に思考を巡らせながら、サイファは黒衣の男を見据えた。その手に持つシルクハット、傘、全てが黒。唯一の例外は、頭部から僅かに生える白銀の髪だけだ。それも、青年期は黒髪だったのだろうと勝手に考える。真っ黒なサングラスで目元は確認できないが、深い皺が刻まれている口元は余裕とも取れる笑み。しかしあくまでも紳士的な、上品な笑みである。実際のところはそれが笑みなのかどうかすら分からないほどのものだ。サイファには「笑み」のように見えただけのことである。
 ただの老人ではない。黒いタキシードとシルクハットを身に付けている者は、この国では執事であることを意味する。ミーラス邸にいるタフマという執事も、非常に浮いてはいるが、この“正装”姿である。それ以外の装飾品は自由だが、好んで全てを黒にしようとする者はほとんどない。
 それ以外にも――と、腕を伸ばし、ランテを庇うように自分の背後に隠しながら――考える。気配もなく、足音もなく、その男はやって来た。騎士という職業柄、師や同輩との訓練はもちろん、実戦経験のあるサイファは騎士を語るに十分な年月を費やしてきた。それ故に、自分より格下の気配や足音は、相手がどんなに努力をしてもすぐに見破れた。それが今、探るよりも早く、主の悲鳴よりも早く男はこの邸内に侵入したことになる。今の状況は非常にまずい。まったく、亀の甲より年の功というべきか。その男からはおよそ同業の――使い古しながらも、欠かさず手入れされた刃に似た気配が感じ取られた。かなりの使い手であることは、こうして対峙しているだけでも十二分に分かる。
 ここまで律儀に考える必要はない。何より、この男とは嫌と言うほど面識があった。
「あなた様とは初対面ですね。ご機嫌麗しゅう、ランテ嬢。私はラッグ・サントラカン侯爵に仕える一執事のセバス・チェンダルと――」
「はるばると国二つ越えてまで何の用です、セバス殿」
 騎士の服の裾を掴み、怯えた様子のランテ。そんな彼女に対して発せられたセバスの挨拶を、サイファは早口で遮った。セバスは悪く思った様子もなく、ふむ、と呟いてサングラスを指で調整した。
「先に頂戴致しました文の謝辞と、今後一層の親交をお願い申し上げた次第です」
「その件については丁重にお断りしたはずですが」
「そう邪険になさらずとも良いでしょう。あなたとお嬢様は将来を誓い合った仲。いずれは名を継ぐ者同士ではありませんか」
 ランテの、裾を握る力が微妙に強くなる。それまで冷静に対応していたサイファの声調に、変化が表れた。
「……よくも有りもしないことをぬけぬけと」
「……将来を……誓い合った、仲……?」
 独り言のように呟くランテの声を聞き、サイファの表情が険しくなる。
「我が主! そのような事実はどこにもありません」
「しかし、侯爵様も奥様もご承知の上。あとはサイファレル殿のご両親次第です」
「そうですわよ、サイファレル様!」
 高らかな靴音と共に、よく響く女の声。その声を聞いて、サイファは露骨に舌打ちをした。今日はいつも以上に苛立っているわ、と思いながら、ランテはそっと相手を盗み見る。
 ――見なければ良かった。なんてお美しいのかしら。私なんてちっとも及ばないわ
 ――ああ、でも、こんな素敵な女性を見ることができるなんて
 そんな食い違った感情が、ランテの心を埋め尽くした。無理矢理ひとまとめにするなら、憧れという表現が最もふさわしいだろう。
 絵に描いたような女性だった。否、どんなに著名な画家であっても、彼女の肖像を描くのは躊躇われるだろう。歳はランテよりも少し上ほど。子供らしさは微塵もなく、大人の纏うような雰囲気を漂わせている。それを端的に印象づけているのが、何よりも目元。ほんの少しつり上がった蒼色の瞳が、大人らしさと小悪魔的な性格を思わせる。執事であるというセバスとは対照的な、白を基調としたドレスを身に纏い、同じくらい白い手には羽根の付いた薄ピンクの豪華な扇。艶のある桃色の髪は高く結い上げられ、より一層その清楚さを象徴するかのようである。
「お嬢様、お風邪を召します」
「良くてよ、セバス。わたくし黒は嫌いなの。穢らわしい」
 傘を差し掛けようとするセバスを、嫌味たっぷりと手で制す。代わりに持っていた扇を組み立てるように広げると、なんとも豪華な傘が出来上がった。呆気にとられるサイファやランテと眼が合うと、艶やかに微笑みかける。
「それに引き替えサイファレル様は本当にお美しい。お顔も、お心も。何にも染まらぬ白のよう……うらやましいわ」
 ランテは彼女の意見に心の中で賛同しながら、心が綺麗だとは思えないわ、とすぐに思い直した。サントラカンの令嬢の、うっとりとサイファを見つめるその眼は、まるで恋をしているよう。いや、間違いなく彼女は恋をしているのだ。他の誰でもない、サイファに。
 ところが、当のサイファの苛立ちは頂点を迎えようとしていた。ただでさえ煩わしい主に仕えているのに、この上まだ煩わしい連中が来る。あれだけ貶(けな)し、ありとあらゆる誹謗中傷を押し並べた手紙を送ったというのに。
「……用件がないのならお引き取り下さい。主が大変お困りになっている」
「主? そう言えば伯爵様のお姿が見当たりませんわね?」
「お言葉ですがお嬢様……サイファレル殿の主はそこにおられるランテ・ミーラス嬢にございます」
 すっと差し出された手のひらを、蒼色の瞳が追う。彼女の愛しのサイファのすぐ真後ろに、ランテはいた。突き刺すような視線。それが何を意味するか、いかに「嫉妬」という言葉とは縁のない人生を送っていたランテにも理解できた。まじまじしげしげと穴の開くほど見つめたのち。
「貴女が伯爵様の? あらまぁ、幼いこと」
 あらまぁ、幼いこと。幼いこと。幼いことおさないことないこといことことこと……。
 それなりに、深く深くランテの心に突き刺さった。
「……我が主」
「……はい」
「お気になさらない方がよろしいかと。貴女様の精神的及び身体的幼稚さは、私が保障致します」
「それでフォローしたつもりなのっっ!?」
 金切り声を立てて抗議するランテだが、心の底では肯定している自分がいたのも事実。
 十五の頃、女学院の同級生と比べると際立って発達が遅れていた。十七歳、中等部だと勘違いされた。十九歳。……「幼い」。
 そりゃあ、同年代の女の子と比べれば童顔で色気のない幼児体型かもしれないけれどっ!
 内心ははらわたが煮えくり返っているが、頬を膨らませて怒っている姿はやはり子供。それがまた幼く見える要因なのだが、無自覚なのだろう。ランテはともかく、サイファは軽い冗談のつもりだった。サントラカンの令嬢の表情が、微かに強張っているのを見るまでは。
「……サイファレル様。ひとつ、訊ねても宜しいかしら?」
「なんでしょうか」
 あえてその表情に気づかぬふりをして、無表情に答えるサイファ。
「貴男とそちらのお嬢様は、護衛騎士と主……それだけの関係ですわよね」
 どこからか取り出した豪奢な扇子を口元に当て、令嬢は意味深なことを訊ねてきた。サイファは一瞬その言葉の意味を測りかねた。だが即座に理解すると、口の端を僅かに持ち上げて、答えた。
「――いいえ」
「? 何を言っているの、サイファ……?」
 言ってしまってから後悔するが、遅かった。すかさず剣の鞘がランテの顔面にめり込む。痛さに悶絶しているところへ、今度はたくましい腕が伸びてきた。
 ぶたれるなんて聞いてないわ。
 きつく眼を瞑って二度目の痛みを覚悟したが、予想していた力は彼女の腕をぐい、と引っ張っただけだった。同時に何か固い所に頭を押し当てられた。何をするのよと声を上げようと上を向いて――サイファの美しいまでの顔が間近にあった。それでようやく、押し当てられたのは彼の胸板だということに気づく。沸騰するように体温が急上昇していくのを感じて、頭がくらくらする。
 それを見た令嬢が、見る間に真っ青になっていく。
「そ、んな、まさか……! ご冗談でしょう、サイファレル様……!?」
「――先ほども申し上げたはずです」
 頭の上で、心地よく響く低い声。その声自体が甘いキャンディのようで、ランテはつい夢見心地になる。ああ私ったらこの男の声も好きだったのね、とぼんやり考えながら、成り行きを見守る。すると、今までより一層強く抱き寄せられて。
「『身体的幼稚さは私が保障致します』と」
「馬鹿な! あり得ないわそんなこと!! 第一伯爵様がお許しなさらないはずよ!!」
 取り乱したように頭を振る令嬢。一方でランテは、何故お父様のことが出てくるのかしら、と未だ令嬢とサイファが言った言葉を理解できないでいた。
「サイファレル殿。笑えない冗談はお止めください」
 それまで黙っていたセバスが口を開く。さすがに同年代には通用しても、彼ほどにもなると冗談かそうでないかの区別はすぐに付くらしい。サイファは内心感嘆しながら、依然挑戦的に言う。
「冗談などではありません。伯爵様もお許しくださいました。私は生涯を掛けて、この方に偽りなき忠誠と愛を誓います」
「……ええっ?!」
 護衛騎士のキザったらしいにもほどがあるその台詞を聞いて、ランテはようやく理解した。令嬢が言ったこと、サイファが言ったこと。『身体的幼稚さは保障』するということはつまり、その、とても口には出せないような、あの。
「ちちち違います私たちそんな深い関係じゃ……んっ」
 誤解を解こうとして発した言葉は、しかしサイファに口付けで遮られた。深く、長い接吻。まさに口封じだ。ようやく唇が離れて、息苦しさにランテは自然にサイファの胸に倒れ込む形になる。それがまた令嬢の危惧した『恋人同士の図』になっていて。
「理解されましたらお帰りください。私の心に貴女は在りません。どうか身をお引きください……ヨーネルティ様」
 あまりのショックに、すぐには立ち直れなかった。まさか、これ程までに愛し合っている恋人がいるとは思わなかった。令嬢――ヨーネルティは、騙されているということはてんで考えずに、ただ驚き、悲しむばかり。どうやら本当に彼の言うとおり、身を引いた方が良いようだ。雨は彼女を労(いたわ)るように、静かに降っている。悲哀のうちに帰ろうとサイファらに背を向けて――
「なりません」
「セバス?!」
「サイファレル殿。真にランテ嬢と婚姻なさる気があるのならば――私と勝負致しましょう。もし貴方が勝利なされば、私もサントラカンの方々も貴方に関知しないとお約束します。但し私が勝てば、有無を言わさず我がお嬢様との婚儀を挙げて頂きます」
 突然の申し立てに、皆が驚いた。特に、適当にこの場をやり過ごそうとだけ思っていたサイファは内心舌打ちした。まさかここまで大事になるとは思いも寄らなかったからだ。令嬢共々、早々に退いてくれるものと思っていた。どうやらあの執事、相当に疑り深い人物らしい。
「無理よセバス! サイファレル様はかつての王国騎士隊長……あなたが勝てるとは思えない」
「ご心配なく。私も多少の剣技は持ち合わせておりますゆえ」
 多少どころではないだろう。とサイファは心の内で悟っていた。恐らくこの執事も、王国騎士としての時期があったのだ。もっとも、彼のような老齢では過去の話と考えるのが妥当だろうが。
 ――否、もしかすると……。
「――いいでしょう。受けて立ちます」
「駄目、サイファ!」
 ああ、また顔に激痛が……。きつく眼を閉じて痛みを待ったが、今回はそれがなかった。恐る恐る瞼を開けると、少し不機嫌そうな表情でこちらを見るサイファの顔があった。よくよく考えればいつも通りの表情なのだが、それを見るとランテは何も言えなくなってしまう。
「我が主。決闘の横やりは無粋です。我々騎士は一度決めたことはてこでも曲げない。それがたとえ、愛しき主の命であろうとも」
 一瞬眩暈を覚えそうになったが、考えてみればこんなムシのいい話があるだろうか。「嫌いだ」だの「幼い」などと言われ続けて一年、急に「愛しき主」などという呼び名に変わった。たぶん、これは演技なんだわ。ランテはそう決め込むことにした。決め込んでも、心のどこかにもやもやしたものがあったけれど。
 そのもやもやを吹き飛ばす意味も込めて、ランテは小さく「はい」と返事をした。サイファはかつての王国騎士隊長なのだから、彼の勝機は確実なものとなるだろう。しかしそれは相手の腕が人並みならば、の話である。自分から決闘を申し立てたということは、自分の腕にかなりの自信を持っているということ。それが、相手を護衛騎士と知ってのことなら尚更だ。サントラカンと、サイファとはある程度の付き合いがあるようだ。そちらも気に掛かったが、今は、サイファを応援しなければ。
「勝負は今より一週間後、サントラカン侯爵領ダントン闘技場にて行います。それまでに別れを済ませておかれると良いでしょう」
「こちらの台詞です」
 では、と深々と礼をして、くるりと背を向け去っていくセバスと、令嬢ヨーネルティ。令嬢に至っては一度振り返り、ランテをきっと睨みつけた。完全に敵と見なされたようだ。
 隣でサイファが、小さく溜め息を吐いたのが聞こえた。
 雨は以前、降り続いたまま。
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