第二章第五話  陽気な婚約者

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「久しぶりだな、ソーディアス。最後に会ったのは……一年半ほど前か」
 ウイナーの遥か北に(そび)え立つ、古びた城。その中枢で、魔族が再会を果たしていた。
 ひとつの影が、そう呼びかけた。
「よほど血に飢えていたらしい。誰も(あや)めようとは思わなかった」
 影が、呼びかけに答える。それを聞いて、ひとつの影がおどけたように問うた。
「あら、魔族らしくないわね。もしかして人間の村に慣れちゃったんじゃない?」
「あと少しで、そうなっていたかもしれんな。礼を言うぞ、エグロイ」
 呼びかけに答えた影が、さらにもうひとつの巨大な影に言った。影は照れたように広い額を撫でる。
「まさか親分だとは思わなかったもんで、まともに剣を食らっちまってから気づいたんですよ。まあそれが親分を救ったんなら、オレもいい行いをしたってことですねえ?」
 巨大な影がそう言った後、それらのどれよりも強大な力を持つ影がそこに現れる。そこにいた魔族は皆、その影に向かって深く礼をした。二番目の影が一歩歩み出て、挨拶を交わす。
「これはこれはグレイブ殿、お久しぶりです」
「! その声……ソーディアスか。ではこれで、フィーア・フォースの全員が揃ったと言うことだな」
 影は感心したように言った。
「ええ。これで心置きなく、行動に出られるでしょう」
 最初の影は、続けて言う。
「『結界女』と『裏切り者』の始末がつけられる……。これ以上に、至福なことはない」
 残りの影が皆、満足そうに頷く。それと同時に、その場から一切の気配が消えた。

 ウイナーの隣町・レクターン王国領リヴェル。特に伝説もなにもない、至って平和な町である。隣町という間柄、ウイナーとは昔から友好関係にあり、様々な交流が今日も続いている。
 そのリヴェルに着いてから、ラニアはどことなくそわそわしていた。リヴェルへ来る途中もどこか抜け殻のようで、碧が二、三度声を掛けても気づかないほどだった。噂の婚約者に会いたい一心からなのだろうが、そこまで緊張するものなのだろうかと、碧は首を傾げた。
「ラニア、その婚約者さんの家に行ってみたら?」
 ラニアが首を振る。
「……ううん、あいつが家にいることは滅多にないの」
「滅多に?! じゃあその人、どこに行ってるの?」
「……そろそろ来るんじゃないかしら」
「え? ……きゃっ!!」
 誰かが碧にぶつかった。その反動で、碧は地べたに座り込んでしまう。
「あぁ! ごめん、大丈夫だったかい?」
「あ、あたしこそ」
 顔を上げた碧は暫し絶句した。目線を上げると、なんとも不思議な輝きを持った髪が碧の目に映った。短く切った、つややかな紫の髪。好青年だと物語るように、笑顔を浮かべる端正な顔立ち。明るい紅色のベストの下に、丈が長い白のティーシャツにジーンズという、どこにでもいる村人のような格好。絵に描いたようだ、と碧は思った。
 青年はまっすぐに碧に手を差し出し、再びにっこりと微笑んだ。
「立てるかい?」
「はい……」
 碧は差し出された手に自分のそれを重ねながら、青年の顔を盗み見た。やはり、どこから見てもその顔は整っていた。
「良かった〜。君がこんなに可愛い女の子だと気づいていたら、こんな傷を負わせずに済んだのに……!」
 さりげなく碧の手をとり、全く傷を負っていないにも関わらずその手の甲に口付ける。なんとなく、青年の胡散臭(うさんくさ)さに気づいた碧だったが、青年が碧の手をしっかりと握っているため、逃げようにも逃げられない。
「……あの……」
「どうだい? 暇ならお茶でも――」
 碧がそのまま連れて行かれそうになったとき、誰かが青年を殴った。殴られた頭を抑え、相手を確認しようと青年は振り向き――
「ラニアじゃないか! こんな所で会うなんて、やっぱり僕たちはいつでもどこでも繋がっているんだね!」
 そこには、銃を持って立っているラニアの姿があった。ラニアは大きくため息をついたあと、町中に響き渡るほどの声量で怒鳴った。
「あんたは前からここに住んでたでしょーがっ!!」
「え。ラニア、もしかして……」
 数度瞬きをし、驚いたような碧の言葉に、ラニアは二度目のため息をつく。
「……そう。これがあたしの婚約者、レイト・グレイシルよ」
 碧は驚きで、声が出なかった。否、それ以前に信じられなかったのだ。そこへ、実にタイミング良くカイズが現れる。
「ああいたいた。もしかしてアオイ、レイトに口説かれたとか?」
「カイズ、なんで知ってるの?」
 その言葉に、カイズは少し意外そうな顔をする。
「なんでって……アオイ、知らなかったのか? そいつ、リヴェルじゃ有名な女たらしなんだぜ? (あね)さんに聞かなかった?」
「お……女たらし!?」
 思わずその女たらしを見る碧。レイトはやはり好青年的な笑みを始終浮かべ、はっはっはと笑いながら言った。
(ちまた)じゃそう呼ばれてるらしいねえ。でも僕は、いつも本気で口説いてるよ」
 端正な顔立ちをしてそう言われても、碧ははあ、と曖昧(あいまい)な返事を返すしかない。ラニアの婚約者と言うのだから、さぞかし真面目で女性をリードするタイプだろうと碧は密かに確信していたのだが、恐ろしい程ギャップがあった。
 それでもやはり二人並べば美男美女夫婦。お似合いと言えないわけでもない。
「立ち話もなんだし、僕の家に来るかい? ねえラニア」
「……そうね」
 さりげなく腰に回された腕を気にしながらも、理性に逆らえないのか顔を真っ赤に染めるラニア。それで碧は、彼の独占欲の強さを理解したのだった。

 リヴェルの端の方にあるレイトの家へやって来た一行は、思い思いの場所でくつろぐ。ラニアが碧の紹介をすると、早速レイトからの質問が飛んだ。
「へえ、アオイちゃんか……。イチカに何かされてないかい?」
「なっ、何もされてないですよっ!!」
「おいそこ。まるでおれが変態みたいな言い方をするんじゃない」
 顔を真っ赤に染めて反発する碧と対照的に、壁に寄りかかっていたイチカは冷めた口調で指摘する。
(なんでそんな事聞くのよ〜……。イチカはむしろあたしを嫌ってるっていうのに)
「相変わらずだねえ〜、イチカは。君だって男なんだから、色々と想像するだろう?」
「お前と一緒にするな」
 そんな危うい話でさえ笑顔でするレイト。イチカがきっぱりと言い捨てたせいか、レイトは少しいじける。
「……ラニア〜、イチカが酷い〜」
「あーもうっ! あんたもいい大人なんだから、いちいち抱きつかないでよ!」
(いちいち、ってことは……これが日常茶飯事なんだ。レベル高いな〜)
 碧はそんなことを思いながら、成り行きを見守った。
「ラニア」
「なによ」
「呼んだだけだよ」
 レイトはそう言いながら、ラニアの顎を捕らえて顔を近づける。
「なら呼ばないで……って何しようとしてんのよ!」
「何ってそりゃあ、キ」
 レイトがその言葉を言おうとした瞬間、ラニアの銃から弾が飛び出した。それまでその様子を傍観していた四人は、慌てて避難する。
「ら、ラニア! 恥ずかしいのは分かるけど、むやみに発砲しちゃダメーっ!!」
 碧が必死になって止める。誰もが、ここまで錯乱するとは思わなかったようだ。

「本当にごめんなさい……」
「君が謝ることはないよ」
 レイトが後ろからそっとラニアを抱き締める。ラニアは震える両手を強く握りしめ、レイトに再び怒声を浴びせた。リヴェルに来てから、ラニアは怒鳴ってばかりであった。
「あんたに言ってるんじゃないわよ! アオイたちに言ってるの!」
「い、いいよ。別に迷惑だと思ってないし……」
 それが愛情表現なら尚更だし、と碧は心の中で付け加える。ふとジラーが仲間を見渡し、首を傾げた。
「…………ん? なんか一人足りないんじゃないか?」
「白兎じゃない? ほら、銃声って結構耳に響くでしょ」
 碧が説明する。それを聞いて、ラニアが再び落ち込む。
「……やっぱり悪いことしちゃったわね……」
「白兎なら大丈夫だよ! あ、探しに行く?」
「……そうね!」
 こうして二人はグレイシル宅から出ていった。カイズとジラーはしばらく会話をしたあと、イチカに言う。
「兄貴! オレら外で修行してるぜ!」
「日々鍛錬、って言うしな!」
 二人も話をしながら外へ出ていき、家にはイチカとレイトが残った。レイトは四人が出ていった玄関を見つめながら、イチカに訊ねる。
「それで? 君たちはいつまでここにいられるんだい?」
 イチカはレイトとは逆方向の窓を見つめていた。
「…………長く留まるつもりはない。明日にでも出発する」
「ふぅん……先を急いでるみたいだね?」
「……お前も知っているだろう。北に魔族が巣くっている城がある。おれたちは奴らを倒しに行く」
 レイトは常に情報を掴むのが早く、それは時にイチカさえ驚かせるほどだった。だがレイトは笑顔を止め、イチカを凝視する。
「君たちだけで?!」
「いや……ウェーヌに腕の立つ魔法士がいるらしい」
「なるほど。それで君たちは急いでいるワケか」
 再び笑顔に戻るレイト。
 ――正直なところ、イチカは彼が苦手だ。本人があまり笑わないからということもあるのだが、根本的に自分とは合わないと確信していた。
 イチカは複雑な表情でレイトの笑顔に答える。
「…………ああ」
「兄貴ー、修行に付き合ってくれねーか?」
「師匠、お願いします!!」
 そのとき、外からイチカの弟分たちが彼を呼んだ。このあとをどうしようかと思っていた矢先のことで、イチカは無意識のうちに彼らに感謝していた。
「わかった。今行く」
「あー、イチカ?」
「……なんだ」
 席を立ち、レイトに軽く会釈した直後のことだった。イチカは表に出さず、しかし面倒くさそうに振り返った。レイトは笑みを崩さぬまま、組んだ両手に顎を乗せる。
「そう煙たがらなくても、僕は君を取って喰う気はさらさらないよ?」
 女の子にならそうするけど、と冗談らしく言うレイト。だがイチカは、その言葉だけで強い威圧感を感じた。額からは一筋の汗が流れ、蛇に睨まれた蛙のごとく、イチカは暫く動けないでいた。
「……別に煙たがっているわけじゃない」
 吐き出すように言うと、呪縛が解けたように彼の足が動いた。イチカは言い逃げのようで嫌気が差したが、そんなことはどうでもよかった。ただ、妙に居心地の悪いその空間からいなくなりたかった。
 ――あとに残されたレイトは、ただ無邪気な微笑みを浮かべていた。
「すまない。遅くなった」
 イチカは外に出て、待っていたカイズとジラーに申し訳なさそうに謝った。それを聞いた二人は慌てふためき、手を上下左右に振る。
「あ、兄貴が謝ることはねーよ! オレらが勝手に呼んだんだから!」
「そうそう! それに師匠、あそこから出たそうだったし……」
 どことなく見透かしたようなジラーの視線に、イチカは僅かに驚く。
「あ、えーと、“出たそう”ってオレらの独断だから、間違ってたらごめん!」
「……いや、修行始めるぞ」
 微笑むことは無かったが、頼もしい仲間を持ったものだとイチカは思った。

 日はあっという間に傾き、夜が訪れた。
 ラニアの銃声に恐れをなした白兎は、リヴェルの真ん中にある民家の隅で、耳を押さえ(うずくま)っている所を子供に(つつ)かれていた。碧とラニアが白兎の変わり様に慌てて止めさせるまで、白兎は子供にいじめられ続けていた。そんな白兎も無事に帰ってきた頃、グレイシル宅からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
「ラニアがたくさん友達を連れてきたから、腕によりを掛けて僕が作ってみたよ」
 碧と白兎以外はレイトもよく知っている顔ぶれのはずだ。きっと彼に悪気はない。悪気はないのだろうが、イチカは彼の料理になかなか手を付けられなかった。彼は虐待の事もあり、あまり人を信じられない性分なのだ。だから今回のように、人を疑ってしまうことが多々ある。それは大抵、人には読まれにくい考えなのだが――
「イチカ〜……そんなに警戒しなくてもいいって。僕は料理に毒を入れるような性格してないから」
 ――また読まれた。
「……図星、みたいだね。そういうわけだから、安心して食べてくれ」
(なに考えてるのか分かるのか?!)
 イチカ以外のメンバー全員が、レイトの言ったことに驚愕していた。イチカはやはり俯いたままで、食事に手を付けようとはしない。だが仲間の薦めもあって、少しずつ食べ始めたのだった。
「…………レイトさん、ってさあ」
 そんな夕食後。碧とラニアは外に出て、小さいながらも光り輝く星を眺めていた。どちらからも会話を交わすことはない、静かな夜。十数分経って、碧が始めに言った言葉がそれだった。
「すごいよね。あのイチカが考えてること、全部分かってるみたい」
 羨ましいな、と付け足す。
「あいつね、昔からあれよ。父さんの考えてること、全部当てちゃってた。なんでそんなにわかるのって聞いたら、“顔を見れば分かるよ”だって。普通分かんないわよねー」
 空に浮かぶ無数の星。ラニアはそれらを見上げながらうわごとのように言った。
「あそこまで正確に当てられると、スゴイを通り越して怖い、って思えてくるのよね」
「あ、やっぱり?」
 碧もそう感じていた。友人の婚約者である。失礼なことは言えないと思って黙っていたのだ。なんとなく気まずくなった空気を明るくしようと、碧が身を乗り出して言う。
「でもさ、ラニアはレイトさんのこと好きなんでしょ?」
 その言葉に一瞬目を見開いて、頬を紅く染めるラニア。
「……まあ、そーゆーことには慣れちゃったからね」
「かっこいいよね〜。ラニアもすっごく美人だし、お似合いだよ?」
「あ、あたしはそんなに……」
「またまたー、照れちゃって!」
「〜〜あ、アオイ、告白した方がいいんじゃないの?」
「あたしはまだいいよ。それよりラニア、そろそろ結婚しちゃいそう!」
 ラニアはなんとか自分の話題から逸らそうと思ったようだが、碧の妄想はますますエスカレートしてしまったようである。
「それで、ラニアたちの子供はねー……」
「アオイーーーーっ!!!」
 ラニアのよく通る声が、夜空に響いた。

「賑やかだねえ、イチカ?」
 レイトは窓から二人の様子を眺めていた。あまり声は聞こえなかったが、盛り上がっているであろうことは見て分かる。イチカはレイトに背を向け、椅子に腰掛けて本を読んでいる。
「…………おれにとってはうるさい」
 うんざりした口調で答えるイチカ。それにはお構いなしに、レイトは続ける。
「アオイちゃん、可愛いねえ」
 イチカは黙ったままである。本のページをめくる音だけが響く。
「拒絶、か。まあそれが君の本心なら、僕は何も言わないけど」
 それを聞いて、イチカは初めて振り向いた。
「……何が言いたい」
「別に?」
 それなら話しかけるな、とぶつぶつ言いながら本に目線を戻すイチカ。それからしばらくはページをめくる音だけが響いたが、ふいにその手が止まる。
「………………おい」
 目線は本に向けたままで、言うのも面倒くさそうな口調で言う。
「なんだい?」
「ラニアを裏切るような真似はするなよ」
「僕が彼女を裏切るとでも?」
 即答されて、一瞬言葉に詰まる。だが、そういう言い方をする人間に限って裏切ると無言の背中は物語っていた。レイトはそれを察したらしく、小さくため息をつく。
「……わかった。守るよ、絶対にラニアを裏切らない」
「…………」
「……承諾、っていう意味で取っておくよ。それよりもイチカ、ラニアはぼ・く・の婚約者だからね?」
 まさか僕から取ろうって言うんじゃないだろうねと、笑顔で、しかし敵意のこもった眼で睨みつけるレイト。イチカは鼻を鳴らし、興味の欠片もない口調で言った。
「当たり前だ。あいつはそれ以上でもそれ以下でもないおれの仲間だ。おれはあいつが、どこかのへらへらした野郎に裏切られないか心配でならない」
「それはそれは。心配性だねえ、君は」
 無論、“へらへらした野郎”とはレイトの事である。レイトはそれを、特に気にした様子もなく言った。
「ほっとけ。おれは寝る」
 本を閉じ、既に眠ってしまったカイズとジラーがいる二階に向かう。
「おやすみ、イチカ」
 笑顔で彼を見送ると、レイトはまたため息をついた。そして、未だに外で盛り上がっている碧たちに、家の中へ入るよう促すのだった。
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