第二章第四話  そして、また

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「族長、ご無事ですか」
 少女――兎美(ウミ)が倒れている少女に駆け寄り、少女の身体を支える。
「いい加減、その他人行儀な口調は止めろって……」
「そういうわけにはいきません。あなたは族長ですから」
 兎美は“他人行儀な口調”を直す気はないようである。少女のあちこちにある傷を見て、兎美は碧らを振り返った。
「……魔法士の方が?」
「いいえ、あたしです」
 碧が返事をすると、兎美は(わず)かに眼を細めた。だが次には「そうですか」と言って、少女を(かつ)いで木々を軽い身のこなしで渡っていった。
 イチカらは兎美のあとを、走って追いかける。やがて質素な平野はうしろへと追いやられ、小さな集落が見えてきた。頭部に耳の生えた獣人が目立つ。
 集落の入り口に、年輩らしい兎族(うぞく)が立っていた。灰色だが、少し白――おそらく白髪――が交じり、肩までのウェーブがかった髪。小さな眼鏡を掛けた彼女は、イチカらに向かって軽く礼をする。
「族長が、迷惑を掛けたねえ。ゆっくりしてお行きよ」
 その兎族は一行全員に目を向け、にこりと微笑んだ。それを聞いた少女は、あからさまに不機嫌な顔をする。
「おい兎母(ウバ)……」
「族長」
 文句を言おうとした少女に、兎母と呼ばれた兎族は(さと)すように一喝した。兎母は少女の身体の傷を一瞬見た後、感心したように呟く。
「何年ぶりかねえ、族長に痛手を負わせた人間は……」
「いたのか!?」
「ええ。族長が大嫌いな人間の子供でねぇ、族長を見るなり滅獣(めつじゅう)を唱えたらしいんだよ」
「兎母! 余計なこと言うなッ!!」
 少女の怒声を無視し、そのまま続ける兎母。
「それでその子は族長を見てなんて言ったと思う? “結婚して”だとさ」
「随分と熱烈的な子ね〜」
 ラニアが呆れたように言った。
「族長が怒って“百年早い!”って言ったら、その子真に受けちゃって、“じゃあ百五歳になってくるね!”って言って、笑顔で帰っちゃったんだよ」
「ご、五歳!?」
「そう。そのあとあたしが追いかけて、冗談だって言ったら、その子は“白兎(ハクト)と結婚できるんだったら、僕何歳にでもなるよ!”って。健気だねえ。あ、白兎って言うのは族長の名前だよ。でもそれからその子とは音沙汰無し」
「へえ〜……」
 皆が関心し、一斉に少女――白兎に目を向ける。白兎は僅かに頬を染めて、そっぽを向いた。
「〜〜なんでもいい! それよりてめェら、なんでこんなとこまで来やがった」
「北へ行く」
「“北”ァ? 北へ行って、何をするつもりだ?」
「魔王を倒しに行く」
 イチカは即答した。銀色の瞳は決して揺らぐことはなく、迷いがないことを物語っていた。あまりにも唐突なため、周りにいた兎族がどよめき始める。その中で、白兎は大いに嘲笑した。
「魔王を倒しに、だと? 愚かだとしか言えねェな! あいつの強さを欠片(かけら)も分かってねえ!」
「奴の手下と戦った」
 イチカのその言葉で、白兎のみならず、その場にいた兎族が皆言葉を無くした。どよめきすら起きず、多くの紅い瞳がイチカに向けられていた。
「奴らの強さは……十分に分かっているつもりだ」
「それならなんで……!!」
「おれとこいつが、奴らに目を付けられたんでな」
 こいつ、と言ってイチカは目線だけで碧を示した。
「細かい理由は分からない。ある意味、それを探すためでもある」
 白兎は黙り込んだ。今まで下等生物以上に思っていなかった人間が強い志を持っていることに、ひどく驚いた。手を強く握りしめ、己の爪が肌に食い込んでいることにも気づかないようだった。
「族長……」
 兎美が、心配そうに白兎の顔をのぞき込む。白兎は顔を上げ、はっきりと告げた。
「……あたいも行くぜ」
「?!」
「てめェらだけが魔族の被害に遭ってると思うなよ。ヤツらが来た途端に貴重な食料が焼き尽くされて、兎族だって大いに迷惑してんだ。万が一人間が魔王を倒して、兎族は指加えて見てた、って言われちゃたまんねェからな。あたいも少しは活躍してやる。それに……さっき話した魔法士のガキ、腕は確かだ」

 その夜、兎族の集落は大忙しだった。人間が集落に来たことと、兎族の族長が魔王討伐に参加することとが重なったためである。
「族長の出陣も決まったことだし、今日は豪華な夕食だよ!」
 あのあと一行は兎母の家に招待され、泊まっていくことになった。そこで出された“豪華な夕食”に、一行は目を丸くする。
「……豪華な夕食って……」
「これ……」
「なのか……?」
「兎族の豪華ってわかんないわね〜……」
 四人の呟きを聞いていた白兎は罵声(ばせい)を浴びせる。
「人間の分際で贅沢(ぜいたく)言うんじゃねえ! それは兎族の中で最高級品なんだぜ!?」
 白兎が言った、“それ”。
人参(にんじん)が、か?」
 冷徹さに呆れを含ませた声が降ってくる。白兎は手を震わせ、今度は声の主に罵声を浴びせた。
「てめえこのポーカーフェイス! 人参を愚弄(ぐろう)する気か?!」
「ポーカーフェイス……?」
 どうやら兎族には、『人参イコール最高級品』という感性があるらしい。白兎のこの口調からして、人参というものは地球でいう『キャビア』や『ステーキ』並のものなのだろう。更に、白兎がイチカに妙なあだ名を付ける始末。合ってはいるので誰も反論しないが。
「まあまあ族長。あたしたち兎族と人間とじゃ、感覚がまるで違うんだよ。兎族にとっては人参は最高級品だけど、人間にとってはただの農作物にすぎないのさ。それにここじゃ人参だけが唯一の食べ物。あなた方人間に、そこらの雑草を食べさせるわけにもいかないだろう?」
 兎母の言うことは(もっと)もだった。その言葉に、一行は文句なく頷いたのだった。

 翌朝、兎族と同じく(わら)の上で眠った一行は、昨日出された料理について話し合っていた。
「昨日の人参、結構美味しかったね」
「ほーんと、意外よね。ねえ白兎、あれって何か、隠し味使ってる?」
 ラニアが興味本位で訊ねてみる。だが、その言動が後々彼女を後悔させることになろうとは、思いもしなかっただろう。
「あたいは知らねーよ。あれは全部兎母が作ったんだからな」
「じゃあ、兎母さんに訊いて見ようよ!」
「そうね」
 碧の提案で、二人は兎母がいる調理小屋に行くことにした。今彼女らがいる小屋からは数メートルも離れていないので、兎母はすぐに見つかった。
「絶対なにか入れてるよねー」
「そうじゃなきゃ、あんなに美味しくならないものね。あ、いたいた」
 集落の真ん中にある井戸で、兎母は熱心に何かを洗っていた。ラニアが声を掛けようとして――
 その顔が固まった。異変に気づいた碧が、ラニアの影から兎母の様子をのぞこうとする。
「……ラニア? どうかしたの?」
「! ダメよアオイ! あれは見ちゃいけない!」
「え、なに?!」
 駆け足でその場から逃げるラニアと、強制的にその場から逃げさせられた碧。あとには何も知らずに井戸で洗い物をしている兎母と、既に洗われたあとであろう巨大なトカゲが残された。
「……あたしは、あんなもの食べて喜んでたっていうの……?」
 いつもの美人顔ではなく、げっそりとした表情で言うラニア。無理もない。
「ねーラニアってば! 何を見たの?」
「あなたは知らなくて良いのよ……!」
 そこへ白兎がやってくる。実は彼女も、人参の隠し味を知りたいと思っていたのだった。碧とラニアが帰ってきたので、隠し味が分かったものだと思って来たのだ。
「よお、隠し味分かっ――」
「いいタイミングだわ!」
 白兎が言い終わらないうちに、ラニアが彼女を担いでどこかへ連れ去ってしまった。残った碧は、突然の出来事にただ呆然とするだけだった。
 小屋の裏手に回ったラニアは、白兎を降ろして一息つく。わけがわからない白兎は、すぐさま怒りを(あら)わにした。
「なんなんだよっ?!」
「あんたたちって、トカゲとか食べるワケ?!」
 だがその怒りも、ラニアの形相(ぎょうそう)(かな)うはずはなく、次第に消えていく。
「な、なにをいきなり」
「答えて! じゃないとあたしの中のもやもやが取れないのよ!!」
 白兎はおちつきなく眼を動かし、族長らしからぬ気弱な声で言った。
「に…人参の次に好きな食いモンだけど……」
 ラニアはその言葉を最後まで聞いていなかった。つまり、聞き終わる前に失神したのであった。
 ――当然、何も知らない碧と男性陣は、その日もトカゲのダシで作られた人参を食べていた。

「んじゃ、出発するか!!」
「なんでこいつが仕切ってんだよ……」
 カイズがぼやいた理由。威勢のいいかけ声をかけたのは、イチカではなく白兎だったため。あのあとラニアは自力で失神から立ち直り、何事もなかったかのように白兎を連れて仲間の元へ戻ってきた。
 ――否、何事もなかったわけではない。例によってラニアが、白兎に口止めしたのだ。
「トカゲのこと、言ったら撃つわよ」
「……はい」
 たった一言で――正確には形相も加えて――白兎の口止めに成功したのだった。誇り高い族長も、言葉次第で良いように操られてしまうのである。
「おらおらてめェら、そんなシケたツラで城に乗り込んだら笑いものにされるぜ! もっと胸張りな、胸!!」
 なにも全員が“シケたツラ”をしているわけではない。だが白兎の感覚からすれば、「一人シケてれば全員シケている」ことになる。昨日までの人間嫌いはどこへやら、白兎は白兎で楽しんでいるようだ。どうでもいいのか、イチカは素直に従っている。
「……何処(どこ)へ行く気だ?」
「サモナージ帝国領・ウェーヌ! そこにあのガキがいるはずだぜ!」
 白兎はまっすぐ前を指さして言った。碧がすぐにラニアに訊ねる。
「サモナージ帝国、って?」
「簡単に言えば、レクターン王国と対をなす国ってとこかしらね。レクターンは主に剣術を、サモナージは魔法を国の象徴にしてるの」
「国の象徴に? 魔法って、みんなが使えるわけじゃないの?」
「ええ。この世界には幾つか国があるけど、魔法を使うことが許されているのはサモナージ帝国だけなのよ」
 この世界・アスラントが創られた頃。創生者はいかにこの世界が平和になるかを考え、必要最低限の力を人類に与えることに決めた。その『必要最低限の力』が魔法である。しかし、人類が皆これを持てば、争いは(まぬか)れなくなる。そこで、創生者は限られた者にのみ魔法を使わせることにしたのである。その者から魔法を教わって良いのは、その者が住む国『サモナージ帝国』の住民のみ。以来千年以上、この掟は崩れることなく受け継がれている。
「ああ、途中でリヴェルに寄るかもしんねーけど、別にいーだろ?」
『リヴェル』という単語で、以前のようにラニアの顔が赤くなった。カイズがそれを見て、はやし立てる。
「おっ? 姉さん本望(ほんもう)じゃねえ?」
「な……! 撃つわよ!」
 その直後に銃声が響き渡り、近くにいた兎族は皆耳を押さえて逃げ出す。
「ラニア、駄目ー!! 兎族の人たちに当たっちゃうよー!!」
「……撃ったあとで言うのもなんだと思うが」
 新たに一人加え、一行はますます賑やかになったのだった。
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