第二章第三話  兎族

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 碧がサトナに連れられ、数十分が経過した。カイズらとラニアの特訓もその頃には終わり、死線を彷徨っていたような顔をしたカイズ、ジラーと、満足そうな顔をしたラニアとが、正反対な表情をして戻ってきた。碧の元気な声が響いたのはそのときだ。
「みんな! 見て見て!!」
 ラニアにつられて、カイズとジラーも声のした方を見る。碧が仲間に向かって、大きく手を振っている。
「見ててねー!!」
 何を、と皆が問う前に碧は『それ』をし始めていた。右手を身体の前で往復させ、碧の前に半透明な壁が出来る。それは間違いなく、先ほどサトナがやってのけた神術【(サイ)】だった。
 おおー、とカイズやジラーが声を上げるよりも早く、ラニアは碧の元へと駆けだしていた。
「すごいじゃない、アオイ! もう結界張れるの!?」
「うん!」
 そこへ、サトナが現れる。
「アオイさんは覚えが早いですね。どんな人でも半年はかかる神術(しんじゅつ)を、ほんの数十分でマスターしてしまいました」
「ええ?! それって覚えが早いんじゃなくて、天才ってことじゃないの!」
 ラニアが勢いよく肩を揺らすものだから、碧は目を回しそうになる。それを少し気の毒に思ったサトナが話を切りだした。
「あの、ラニアさん。あなた方は、これからどうなさるおつもりですか?」
「え? えーっと、北に魔族の城があるらしいから、まずそこへ行って……」
「北へ?! ……ということは、兎族(うぞく)の縄張りの近くを、通られるのですね?」
 サトナはラニアが頷くのを確認すると、碧に向き直る。
「……アオイさん。兎族のこと、ご存じないですよね」
「いいえ、この間ラニアに聞きました」
「そうですか。それなら話は早いですわ。兎族はとても戦闘能力の高い獣人……生半可な力では、到底太刀打ちできません」
 サトナはぴしゃりと言い放った。碧は尋常でないサトナの様子を見て、ラニアに訊ねる。
「そんなに兎族って強いの?」
「ついでに凶暴ならしいわ」
「……兎族に対抗し得る神術がひとつ、あります。お疲れでしたら、無理にとは言いませんが……」
 それを聞いて、碧の眼が僅かに輝いた。
「教えてください!」
 即座にサトナの手を取る碧。サトナは快く承諾し、碧と共に森の奥へと消えていった。

「大丈夫かしら、アオイ……」
 碧が神術を教わりに行ってから一時間。仲間の元に戻ったラニアは、先ほどからずっとその言葉ばかりだ。
 大地を揺るがすような、巨大な音が森の奥から聞こえてきたのは、その直後であった。ほどなくして、何故か全身黒々となったサトナと碧が戻ってきた。
「もう、修得されたようです……。(わたくし)まで巻き添え食らいましたけど……あれだけできれば、上出来かと……」
 どうやら碧には、巫女の素質と空手の実力とが相まって、普通の倍以上の威力にしてしまう特質があるらしい――。サトナは時折こほこほと咳をしながらそう説明した。菩薩のような笑みも絶えることはない。
 イチカはその様子を見て、眉間を一層強く寄せた。
「あんた、一体何を教えた? 神術があんなに激しいものだとは思えない」
 更に眉間を寄せ、サトナを見るイチカ。サトナの顔からは笑みが消え、真剣な顔つきになる。
「実は、神術ではないのです。【対獣人用魔法】です」
 それを聞いた一行の気が微妙に変化した。感じられるのは、『困惑』『戸惑い』。碧は仲間を見回して、首を傾げた。
「……【滅獣(ギガ・ビースト)】ね……?」
「なんで知ってるの?」
 滅獣――元々は畑を荒らす獣を懲らしめるために造られた魔法である。それはあくまで制裁を加えるためだけに創られたもので、獣を追い返す程度の威力しかなかったのである。だが、兎族が出現してから元来の滅獣は通用しなくなったため、更に強力な滅獣が造られるようになった。
 現在では強さを細かく調節することができ、最も威力の高いものでは獣の姿もろともこの世から消し去るほどなのだ。
「滅獣は、数十年ほど前から巫女の使用も許可されました。ですがヤレン様は、すでに滅獣を修得していたということです」
 サトナは小さくため息をつき、碧を見た。
「私から教えることはこれだけです。お疲れ様でした……」
「えぇっ!? これで終わりなんですか?!」
 サトナはそんな碧を見て、くすりと微笑んだ。
「案ずることはありません。貴女は巫女としての素質は十分にあります。言ってしまえば、四百年前神術を失われたヤレン様に、私が再び神術を教えているようなものなのですから」
「そっか……じゃあ、魔族を倒したら、また来るね!」
 碧たちはサトナと別れを告げ、北へと向かった。
「嘘をつくことは悪だと承知しているのですけれど……」
 サトナが誰にともなくそう呟いたことも知らずに。

 それからおよそ四日。碧は道行く人々に兎族の縄張りへの道を訊ねては、「あんた巫女さんかい?」と訊ね返されるのが定番となっていた。「そんなに巫女さんに見えるかなあ?」と訊ねる碧にラニアは、「黒に近い髪の色をした人は、巫女の家系に多いのよ」と返すのだった。
 森を抜け、賑やかな町を越え、やがて必要以上の植物がない平地に出た一行。そのとき、イチカが不意に立ち止まった。
「……来る」
 イチカは小さくそう告げて、剣の柄に手を掛けた。
 ――彼らのいる数キロメートル先に、一匹の獣人がいた。
 長く、大きな耳が小さく揺れる。己の身長の三分の一ほどの長さはある耳と、虎のように鋭い爪を持った獣人【兎族】だ。獣人は鋭い牙をむきだし、満足そうな笑みを浮かべ、四肢を使って目標へと走り出した。
 銀色の、切れ長の瞳は、やがてそれを映した。だが視界に収めたのは一瞬だけで、すぐに体制を切り替え、大きく左に跳ぶ。先ほどまでイチカがいた場所を、白い影が蹴り飛ばした。もうもうと砂煙が上がり、視界が阻まれる。その中で唯一イチカが感じられたのは、まっすぐ自分に向けられた鋭い殺気。
(……左!)
 攻撃を避け、剣を振り回す。だが手応えはなく、全く別の方向から殺気の固まりが飛んできた。今度は避けきれず、右腕に鈍痛が走る。
(……速い)
「【滅獣】!」
 碧が【滅獣】を唱えるが、獣人は間一髪の所でそれを免れた。【滅獣】を危険と感じたか、獣人の殺気は平野の奥へ遠ざかっていく。
 イチカは剣を鞘に戻し、獣人の後を追い走り出した。
「え、追うの!?」
 ラニアが訊ねる。
「倒しておいた方が後々楽だろう。仲間を連れてこられても面倒だ」
 冷静に答えるイチカ。続いて碧に目を向ける。
「……【滅獣】は使える状態にしておけ」
「! うん」
 碧は少しでもイチカの役に立てることを、嬉しく思うのだった。ほどなくして、獣人の白い後ろ姿を見つける。先頭を走るイチカは加速し、一気に獣人との距離を詰める。
「!」
 追いつかれるとは思っていなかったのか、獣人に隙ができる。イチカは腕を上げ――
 鈍い音が響き渡ったのはその瞬間だった。
「え……?!」
 驚く一同。イチカは、剣ではなく拳で獣人を殴ったのだ。獣人は地面に倒れ込み、今まで隠されていた容貌が露わになる。
「……女、の子……?」
 頭部から生えた二本の耳、鋭い爪は獣そのもの。灰色の髪を男のように短く切り、白い毛皮で身を包んだような簡易な衣装。足には毛皮の下駄のようなものを履いている。だがよくよく見れば華奢で、か細い体つきをしていた。
「イチカ、気づいてたの?」
「ああ」
 碧が訊ねると、イチカは素直に返事をした。そして、少しずつ獣人の少女に歩み寄る。
「…………ぅ……っ……」
 身を起こす少女の首筋に、イチカは間髪入れず剣の切っ先を当てる。
「………………」
 少女は、黙ってその紅い瞳でイチカを睨みつける。イチカは当然物怖じした様子はなく、静かに言った。
「ここを通してもらえれば、あんたは無傷で返す」
「……殺せよ。あたいはてめェら人間を、ここから先死んでも通す気はねえ」
 想像以上に口の悪い少女で、イチカ以外の一行は皆驚きを隠せない。当のイチカはぴくりとも動かず、少女の首筋に当てた剣は寸分のズレもない。
 ――それにも関わらず、少女が僅かに動いた。瞬きをしたその一瞬で、白い影は刃から逃れたのだ。
 ただでさえやっかいな相手だというのにと、イチカは小さく舌打ちし辺りを見回した。少女の威勢のいい声が、どこからともなく響く。
「てめェら下等生物にも、少しは情けってモンがあるんだな! その敬意に免じて、あたいの必殺技を見せてやるよ!!」
 ――少女は気配を巧みに消し、木の葉の擦れる微かな音すら隠している。それがイチカに、僅かな焦りをもたらせた。
「受け取りな! 【兎使法(としほう)白ノ発(しろのはつ)】!!」
(……後ろか!)
 咄嗟に身を退くイチカ。先ほどまで彼がいた場所を、白い楕円形の閃光が駆け抜ける。
「…………!!!」
 皆、声を失った。その地面は地下五メートルほどまでえぐり取られ、その周囲約十メートルの範囲に生えていた草花は枯れ果て、原型すら留めない状態になっていたのだ。身は退いたものの、その影響でイチカの膝あたりから下はおよそ軽傷とは言えないほどの火傷を負っていた。だが表情に変化のない彼は、至って平然としている。
「イチカ!」
 心配になった碧が駆けつけてくる。イチカは剣を構えなおし、まっすぐに前を見据えて呟いた。
「……大したことはない」
「……ほんとに、大丈夫?」
 しつこいと思われるかもしれない。けれど、碧はそれを承知で訊ねる。イチカは目線を一瞬横に――碧に向けた。
「……少し行動に支障があるだけだ」
 素っ気なく答えるイチカ。だが何よりも碧は、事実を教えてくれたことが嬉しかった。イチカはやはり前を見据えたまま、何もない空間に――獣人の少女に向けて言った。
「来い、獣人」
「へっ、おもしれェ!」
 少女の本当に楽しそうな声が、辺りに響き渡った。姿は見えないが、殺気は感じられる。イチカは剣を構えたまま、気配を探り――
「!」
 疾風のように、突然少女が目の前に現れた。少女はその長い爪を、勢いよく振り下ろす。間一髪の所でイチカはかわすが、頭髪は僅かに切り取られ、頬にも僅かながら浮かぶ傷。少女は俊敏な動きで攻撃を仕掛け、軽い身のこなしで素早く退くという戦法をとっている。そのためかイチカからの攻撃は全く受けていない。
(……戦いを好む獣人族、か)
 真剣勝負だが、イチカは冷静さを失わなかった。この世界に来て初めて読んだのが、此処に住む獣人に関しての本。ローマ字という言語のおかげで、難なく文章を読むことが出来た書物に、その言葉は記されていたのだ。
『兎族――その名の通り、兎の遺伝子を多く受け継いだ種族。聴覚に優れ、脚力、腕力とも人間並かそれ以上の、大変人類に似た生き物である。凶暴かつ残忍で、縄張り意識が強く、恐れを知らない人間が縄張りに踏み込み、殺された例が後を絶たない。』
 少女は致命傷には至らない攻撃ばかりをし、一旦逃げ、また攻撃をしてくる。だがそれは「至らない」だけという話で、実際はイチカの身体中に細かい傷が増え、確実に体力を奪いつつあった。
(……それなら)
 イチカは地を蹴った。少女はまだ遠くへは行っていない。追いかける。
「!」
 イチカの気配に気づいたらしい少女は、先ほどの事もあってか勢いよく方向転換した。イチカはその足元の地面を斬り、砂煙を立たせた。それを見て、少女は嘲笑する。
「血迷ったのか?! あたいは全然平気……」
「使え!」
 主語がない言葉。彼の眼は、碧に向けられていた。碧はその意味を理解し、空に手をかざした。彼女の手のひらに、光が集まる。
「【滅獣】!」
「っな……!」
 碧が発した【滅獣】は、光の銃弾となって確実に獣人の少女へと注がれた。

 鼓膜を震わせるような爆発が終わり、地面にうつぶせになって倒れている少女の姿が、ようやく確認された。威力の低い【滅獣】だったため、怪我をしてはいるものの少女の命に別状はない。
「二度はない」
 冷たく、感情のない言葉。それは、少女に対して降伏を求めていた。少女は砂を強く握りしめ、地面に拳を打った。少女の長い耳が垂れる。
「ちっ……おい女!」
 またもや首筋に剣先が当てられ動けない少女は、敵意のこもった紅い瞳を碧に向ける。
「え、あたし?!」
滅獣(めつじゅう)は魔法士しか使えねェ! ましてやお前みてェな別世界のニオイがする女が使えるような技じゃねえんだ!! なんで使える!?」
「え。なんで、って言われても……」
 そりゃ別世界から来たけど、と呟き、黙り込む。碧を睨みつけていた少女の耳が、突然ピンと立った。
「あのやろっ……来るな、っつッたのに!」
「族長!!」
 少女が言った直後、その声は響いた。少女は強く顔を歪める。
「来るな兎美(ウミ)! 来たら滅獣だって……」
「話せば分かってくれるはずです!!」
 少女の言葉を遮った声の主は、やがてその姿を現した。
「聞いて、人間の方々! わたし達兎族は、もう誰とも争う気はありません!」
「そんな話、誰が……!」
 言いかけたカイズを、イチカが手で制する。
「本当か」
 立ち止まった影に向かって呼びかけるイチカ。
「人間に嘘をつくほど、わたし達も愚かではありません。兎族の里へ……案内致します」
 長い灰色の髪をなびかせ、兎美と呼ばれた少女は答えた。
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