第三章第一話  碧の修行

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 ひとまず援助金騒動は収まり、貧しい町は以前の活気を取り戻しつつあった。町人には喜ばれ、神とまで崇められた一行――否、ミシェルは今有頂天だった。
「あんたほど勇気のある若造はいねえ! どうだ? ずっとこっちで暮らさねぇか?」
「レクターン王国の副騎士隊長殿がいれば、この町も安泰ですわ」
 そのミシェルはと言うと、町の老人達に持てはやされていた。元々高齢者人口は多いので、小さな子供の姿はほとんどない。三六十度見渡しても、見えるのは白髪の生えた御老人だけである。
「いえいえ、国の決まりなので。……あ、何なら“副”は省いて結構だよ。いずれ隊長になる可能性も十分にあるから」
 などと、冗談ともそうとも取れない発言をするミシェル。近い将来、彼がオルセトを隊長の座から引きずり降ろす時が来るかもしれないと、碧は真面目にそう考えた。
「それはそうと隊長殿。後ろの奴らは……?」
 ミシェルの周りに出来た人の垣根。その中の老人が、怪訝そうな顔で後ろ――イチカたちを指さした。そちらを向いてはいないが、イチカの眉がぴくりと動いた。今の彼は相当ご機嫌を損ねているらしい。
 当然である。頼ってきたのはミシェルたちだというのに、援助金泥棒はあろうことか知り合いで、しかも王子ときた。なおかつその騒動を解決したのは他でもないミシェルなのだ。
 ミシェルはああ、と曖昧に答え、次には陽気な笑顔を浮かべて言った。
「なんだか迷子になったらしくてねー、しょうがないから中に入れてあげたんだよ」
 はっはっは、とミシェルは彼を囲む御老人と大いに爆笑した。その瞬間、イチカが剣の柄に手をかける。間違いなく、彼は本気だ。彼から溢れ出るオーラは、偽りも何もない殺気だけである。
 それに気づいたカイズとジラーは(なだ)めにかかるが、最早イチカの耳には何の音も入ってこないようだ。
「イチカを連れて、この場を離れた方が安全だと思うよ」
「あたしもそー思うわ」
「あたいも……」
「それじゃ、てったーい!!」
 ミリタムの冷静な判断により、イチカはほぼ強制的にその場から離れた。

「いや〜悪かったねえ。本来なら君たちが浴びるはずだった黄色い声を、オレが浴びちゃって」
 それから数分の後。ミシェルはやはり満面の笑みを浮かべて、あのグロテスクな家へと帰ってきた。無論家には、顔には出さないが本心はミシェルを殺したくて堪らないイチカがいる。
 イチカはミシェルを、見ただけで凍り付きそうな冷たい眼で一瞥した。一行は背筋が凍る思いがしたが、さすがはレクターン王国副騎士隊長、『凍り付くような殺気』に身震い一つしない。
「はいはい怒らなーい。主役の座を奪ってしまったのは謝ろう。その変わり、と言っちゃあなんだが、実はこの近くに聖域があるのだよ」
「聖域?!」
 その言葉にいち早く反応したのは碧である。聖域といえば、巫女の修行にはもってこいの場所。碧はとにかく修行したい、と思っていたのだ。
 一方のイチカは、ますます苛ついているようだった。主役の座を欲していたのではない、無理矢理『援助金泥棒』とやらを捕まえてほしいと頼まれただけである。すぐにでも反論する気でいたイチカだったが、碧の予想外の反応で無意識に言葉を詰まらせた。
「どこですか? どこにあるんですか??」
 目の中に無数の星が――という形容が一番合っている。碧は両手を組み合わせ、目を輝かせてミシェルに訊ねた。
 ミシェルは頬を掻き、にっこりと微笑んだ。
「説明するのは少し難しいから、ついてきなさい」

「あたし、【思考送信(テレパシー)】してみたいんです! なんだかかっこよさそうで!」
 碧はひたすら、隣を歩くミシェルに力説した。数週間前に聞いた『思考送信』という言葉の響きが忘れられなくて、どんなものかも分からず憧れているのだった。
 レイリーンライセルから更に南に下り、何もない土地を通り抜け、たどり着いた場所。そこには、天まで届きそうなほど巨大な樹が一本だけという、寂しい空間が広がった。だが誰も、その異質さを口にはしない。むしろ皆、えもしれぬ温かささえ覚えていた。
 なんだかんだ言いながら、結局イチカもついてきた。殺気は相も変わらず抑えられていなかったが。
 白兎が療養のため離脱し、メンバーは六人とミシェル。はたしてあの趣味の悪い家で、白兎は休めているのだろうか。
「聖域……ですね」
 碧がぽつりと呟く。巫女の森とはまた違う、優しさのある場所。
「名前は特にないんだよ。救いの巫女様がこの地を救ったときからあったそうだが、ここを治める巫女はいなくてね」
「治める巫女さんがいなかったら、名前は付かないんですか?」
 うん、とミシェルは頷く。
「一般に聖域と呼ばれる空間は、巫女が名を付け、治めることになっている。さすがにここまで殺風景な所は、誰も治める気にならなかったんだろうね」
「そうなんですか……。あ、それじゃあみんな、ついてきてもらって悪いんだけど……一人にしてくれる?」
 碧が唐突に言う。その言葉に、たった今説明していたミシェルも、一行も目を見開き、碧を凝視した。
「なんで?」
 落ち着いた口調で訊ねるミリタム。碧はえへへ、と微笑みながら言った。
「う〜〜ん……。なんかね、そう言われると分かんないんだ。たしかにあたしは、魔族に狙われてる身だから一人じゃ危険。でも、ここなら魔族も襲ってこないような気がするの」
「気がするって、襲ってきたらどうするんだよ?」
 カイズやジラーは心配顔である。ラニアはそれ以上に心配そうな顔をしていたが、碧の言葉を遮らないように気遣っているのだろう、一言も喋ろうとはしない。
「……それはまあ、しょうがないけど……。でもあたし、こう見えても結構カンがいいから」
 ぐっと拳を握りしめる碧。そんな彼女の視線は、無意識のうちにイチカに向けられる。その視線に気づき、イチカはちらと碧に目をやった。相変わらずの、だが出会った当初よりは穏やかに感じられる表情。放っていた殺気を少なからず消し、イチカは静かに言った。
「……もし魔族が襲ってきても恨むな。決めたのはお前だ」
「本人が一人にしてくれと言っているんだし、留まるのはかえって悪いだろうね。道は、覚えている?」
 ミシェルの言葉に小さく頷く碧。それを確認し、一行が元来た道を引き返そうとしたとき。
「待って。あたしは残るわ」
「ラニア?!」
 名乗り出た本人――ラニアの顔は真剣そのものである。突然の事で困ったような顔をしている碧を見て、ラニアはウインクしてみせた。
「言っておくけど、“一人にして”って言われて一人にさせるあたしじゃないわよ? 魔族が現れたら死んでも阻止するつもりでいるから」
「でも……」
 カイズが碧の肩を叩く。
「姉さんは、言い出したら聞かないぜ。止めても止まらないからな」
 カイズにつられて、ジラーも苦笑する。ミリタムも僅かに微笑み、その場に穏やかな空気が流れた。
 ラニアがイチカを見る。イチカはその意味を受け取り、小さく頷いた。
「……構わない。だが無理はするな」
 イチカは身を翻し、元来た道を歩き始めた。それに気づき、互いに笑い合っていた一行やミシェルも、彼のあとについていく。碧はそれを見ると、少し淋しい気持ちになった。カイズとジラーが振り返り、碧とラニアに手を振る。
「つーわけで、じゃーな姉さん、アオイ!」
「日が落ちるの早いから、早めに帰ってきなよー」
「頑張ってね」
 それぞれが言葉を贈り、四つの影は小さくなってゆく。
 やがて影すら見えなくなり、碧はラニアを見た。眼が合い、笑いかけてくる親友。碧は眼の奥が熱くなったが、なんとかこらえた。
「……ありがとう、ラニア」
「どういたしまして」
「でも、あたしの為だけに死ぬのはやめてね。無関係の人は巻き込みたくないから」
「あら、無関係なんかじゃないわ。友達が死ぬところを指加えて見てるなんて死んでもゴメンよ」
 一瞬の沈黙が落ちる。碧はその言葉にきょとんとし、ふいに腹を抱えて笑い出した。
「なによ〜、本当のことよ?」
「……ははっ、ごめ……あはははは!!」
「んも〜……ふふふ……」
 そのあと暫く、碧の大きな笑い声は止むことはなかった。ラニアは膨れていたが、やがて碧につられて笑い出すのだった。

「それでさ、ラニア」
 空は青く澄み渡っていて、所々に小さな雲が浮かんでいる。この景色だけを見ると、自分が異世界にいることが嘘のようだ、と碧は思う。空はどこまで続いているのか、幼い頃はよく考えたものだと。
 散々笑ったあと碧は、今になってようやく修行のことを思い出したらしい。そんな空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「ん?」
「あたし、なにすればいいと思う?」
「……そうねぇ……」
 ラニアも空を見上げ、ゆっくり、ゆっくりと動く雲を眺めていた。うーんとしばらく考えてみるものの、巫女でない彼女になにも思い浮かぶはずはなく。
「……ごめん、分かんないわ」
「ううん、いいよ」
(サトナさんかヤレンがいれば、やること分かるんだろうけど……)
【呼んだか……】
 人の気配すらない聖域に、突然響く声。だが碧は、この声に聞き覚えがあった。その声は決して周りの人々に届くことはない。なにか特殊な方法で、碧の脳にだけ響くらしかった。
「どうかしたの?」
 彼女には聞こえないのだろう。何かに反応した碧を、ラニアは物珍しそうに見つめた。
「あ、ううん」
(ヤレン、だよね?)
【そうだ……】
(ちょうどよかったー。率直に訊くけど、【思考送信】の修行ってどうすればいいの?)
 目を瞑り、返答を待つ。たとえどんな修行であろうとやり遂げる。その強い意志が、碧に芽生え始めていた。だが次に碧の脳に響いたのは、予想もしなかった答えだった。
【……お前にはまだ……早い……】
(――え?)
【どうしても……覚えたいと言うのなら……一週間……休むことなく聖域へ行くことだ……そうすれば(おの)ずと……お前は修行を終える……】
(それ、どういう……?)
 碧は更に問いかけようとしたが、言葉は返ってこなかった。“思考送信はまだ早い”。碧はその言葉を信じられずにいた。そのせいか、ラニアに呼ばれていることにも気づいていないようである。
「…………ィ、アオイ? アオイ?!」
「……! わあああっ!? あ、ラニアかぁ……」
「どうしたのよ? さっきからぼーっとして……」
 心配そうな表情。碧は迷惑を掛けたと反省し、話すことにした。
「うん……実はね、今ヤレンと話してた」
「え!?」
 当然、ラニアは驚きを隠せない。
「それで、【思考送信】の修行はどうすればいいの、って聞いたら、お前にはまだ早いって。どうしても覚えたかったら、一週間休まずに聖域に行けって言うの。そうしたら、自ずと修行を終えるって」
 ラニアの表情はますます複雑になってゆく。碧は慌てて手を振り、明るく振る舞う。
「で、でもそれで【思考送信】が出来るようになるんだったら、一週間なんて軽いよね!」
 碧はにぱ、っと笑ってみせる。ラニアはやはり、難しい表情でじっと考え込んでいる。
「……そうね。それで出来なかったらヤレンを気が済むまで恨めばいいしね!」
 ぐぐっと拳を握りしめ、何故か西を指さすラニア。おそらく、まだ出ていない夕日を指さしているのだろう。碧は不思議に思いながら、相槌を打った。
「うん!」
(ラニア、なんかコワイ)
 笑顔を見せるものの、碧の心の中は正直であった。
 碧はとりあえず、昔習っていた空手の準備運動をすることにした。あきらかに巫女のすることではないが、修行もどきとしてその修行を始めるのだった。空手そのものに憧れているラニアも途中参加し、巫女なのか格闘家なのか分からなくなっていたが。

 修行もどきとはいえ、あっという間に空は夕焼け色に染まる。先ほどラニアが指さした西に沈むのは、空と同じ色をした太陽。
 ミシェルの家に戻ると、白い人影が家の前に立っていた。白兎である。
「白兎! 元気になったんだね!!」
「おう! 以外とくつろげたぜ。あのミシェルとかって野郎が治療法知っててよ、あたいは二時間位で全回したってわけだ」
 回復というのは本当らしい。痛々しい程の包帯は白兎の身体から消え、白兎自身もいつもの威勢のいい口調で話している。ほっとした碧とラニアに、白兎はあァ、と何かを思い出したように言った。
「メシができてるらしいぜ。あたいらを泊めてくれるみてーだ」
 白兎の声と同時に、家の扉が開く。
「帰ってきたようだね。今彼女が言ったとおり、夕食が出来ている。そうそう、下手物は入れていないから安心したまえ」
 冗談交じりに言うミシェル。思わず吹き出す碧とラニアだったが、礼を言うことは忘れない。
「ありがとうございます」
 いやいや、と言いながらドアを開け、女性陣を招き入れるミシェル。彼がドアを開けたのと同時に、鼻腔をくすぐるような香しい匂いが漂ってきて、碧は思わずわあっと声をあげる。
 中では既に、男性陣――特にカイズとジラーが食べ物にありついていた。無論、彼らの目の前にはあのミイラが横たわっている。テーブルの上にはおよそ異世界とは思えないステーキなどの肉類、魚類、野菜類。どこかの晩餐(ばんさん)会のようである。残りの男性陣――ミリタムは上品にステーキをナイフで切り分け、口元をナプキンで拭くなど貴族らしい振る舞い。イチカはというと、人並みかそれ以下くらいではあるが、料理に手を付けている。彼の場合は表情が読めないので、料理の味を知ろうとしても知ることは困難である。
 あまりの料理の豪華さと男性陣のちゃっかり加減に立ちつくしていると、カイズらが女性陣に気づいた。その口元にはソースか何かがべったりとくっついている。
「おっ姉さん、アオイ! おっかえり〜!」
「意外と美味いぞー!」
 言うなり再び料理に向き直るカイズたち。体格のいいジラーはともかく、カイズは男の割には華奢な体つきをしているせいか、食べ物とどうしても結びつかない。
「こんなにたくさんの食材、どこから持ってきたんです?」
 ラニアがミシェルに訊ねる。
「レクターンから運んでもらっている。レイリーンライセルに送られる食料とは別途でね」
「へぇ〜……」
「それにしてもすっごいね〜、カイズとジラー。目の前にミイラがいるっていうのに」
 止まることを知らない彼らの腕の行く先を、碧は感心半分、気持ち悪さ半分で見つめる。そもそも何故テーブルの上にミイラが置いてあるのかが彼女の疑問である。
「長く肉類とか食べてなかったからね〜。しょうがないと言えばしょうがないわね。それじゃ、あたしたちもいただく?」
「そうだね。ミシェルさん、いただきます!」
 人のことをあれだけ言っておきながら自分よりも多く食べているラニアと碧を、イチカは半ば呆れた表情で見ていた。

「それじゃ、行ってきまーす……」
 翌朝。まだ朝日も登りきっていない早朝に、碧はこっそりと聖域に出かけた。【思考送信】を覚えるためなら、早朝だろうが夜中だろうが気にしない。そもそも碧は、早起きが大得意なのである。
 誰にも気づかれず、迷惑を掛けず、一番いい方法で家を抜け出した――
 はずだった。
「……待て」
 低く、よく響く声が碧の足を強制的に止める。ミシェルの家を出てからすぐのことで、碧の心臓は驚きのあまり跳ね上がった。胸を押さえ、状況をなんとか把握し、ゆっくりと振り返る。
「い……イチカかぁ。おはよ〜」
 元々声の主は分かっていたのだが、なるべく自然に見えるように笑みを浮かべる。但し、その笑みは笑っているとは思えないほど引きつっていたが。
「……どこへ行く気だ」
 イチカは挨拶には答えず、即座にその言葉を発した。心なしか目が据わっている。それに気づいた碧は一瞬たじろいだが、慎重に言葉を選ぶ。
「ど、どこへって、散歩」
「嘘をつくな」
「う……」
 だがどんな言葉も、この無表情冷徹男には通じないようだった。言葉を遮られた上に、嘘は通じない。碧は暫く黙り込み、仕方なく本当の事を言う。
「……せ、聖域に行くの! 修行しに! 【思考送信】覚えなきゃいけないから!」
 緊張か焦りか、意味もなく叫んでしまう。返ってくる言葉は碧には計り知れず、反射的に俯く。俯いた頭の方に視線を感じる。今の碧にとって、それはものすごく痛い。どんな攻撃よりも痛い。
(は、早くなにか言って……!!)
 とうとう眼まで瞑ってしまう始末。本人は自覚していないものの、碧の身体は小刻みに震えていた。イチカはそれに気づき、僅かに眼を細める。碧の耳に、小さなため息が聞こえたような気がした。
「……勝手にしろ」
「……え?」
 返ってきたのは罵声でもなんでもなく、遠回しな『承諾』。碧が顔を上げ眼を開けると、イチカは既に背中を向けて家の中に入ったあとだった。暫く立ちつくしていた碧だが、はたと我に返り聖域へと向かった。
 ――朝は早起きし、聖域に着いたらまず瞑想。そして空手の準備運動。碧はこれを休まず続けた。修行は午前中に終わらせ、午後はミシェルの手伝いなど。夏休みの計画でも立てるようなスケジュールだが、夏休みと違ったのは、一度も挫折しなかったこと。
 そして、一週間後の朝。瞑想中、碧の脳に声が響く。
【お前が……ここまで懸命に【思考送信】を覚えようとする理由はなんだ……】
 それは、ヤレン・ドラスト・ライハントの声。その言い方はまるで、「お前がここまでするとは意外だ」とでも言われているようだった。だが、その程度のことでへそを曲げる碧ではない。なんの為にここまでしてきたのかと、自分自身に活を入れる。
(特に理由はないんだけど、強いて言うならカッコイイからかな。頭の中で話せるってスゴイと思うの)
 碧は目を瞑ったまま心の中で答えた。作った言葉は何一つ無い。今の言葉は碧の心境そのものだった。ヤレンは小さく息を吐いたようだった。
【……ひとつ訊ねよう……私とお前、何故会話ができる……】
(それは……あなたの力があるからじゃないの?)
 少なくとも碧はそう思っていた。少し前まで平凡な中学校生活を送っていた中学生に、そんな高度なことができるはずはないのだから。だがヤレンは、否定の言葉を紡いだ。
【いや……違う……】
 碧は思わず瞑想を中止し、目を見開いた。
【分かっているだろうが……私が今していることも【思考送信】……だがこれは……相手が巫女か魔族でなければ……本来の役目を果たさない……】
(そうなの?! じゃあ、あなたがあたし以外の人と話しても通じない、ってこと?)
【そう……だから私の声は……他の人間には聞こえない……】
(あ、そっか。そうなんだ)
 それはつまり、どちらもそれなりの実力を持っていなければ意味がないということ。互いが【思考送信】をできなければ、脳内での会話も成り立たないということであって――
「……え? ってことは……?!」
【そう……お前はこちらに来る前から……【思考送信】が出来ていたのだ……】
「それじゃあこんな回りくどい事しなくても、あたし【思考送信】できるんだ!! あ〜〜もう、ヤレンの嘘つき!!」
 完全に心で会話することを忘れ、全て声に出してしまっている。周りに人間がいたら、今頃碧は悪い意味で注目の的になっていただろう。人がいないだけまだマシではある。
「なんで嘘ついたの!?」
 端から見れば一人で膨れているので、怪しいと言えば怪しい。
【悪気があったわけではない……どちらにしろお前は……修行しなければならなかった……】
 なにやら意味深な事を言うヤレン。碧は眉をひそめる。
「……どういうこと?」
【魔族に対する勝機……】
 はっとする碧。たしかに今までは、碧は護ると言うより護られている存在だった。巫女の生まれ変わりとは言え、特に強力な神術を身につけているわけではない。彼女が出来ることと言えば、結界を張ることか、獣退治のみである。碧は無意識のうちに、唇を噛みしめていた。
【一週間前までは……たとえお前でも魔族に襲われた場合……助かるのは困難であろう状態だった……だが今は……少なくとも安全圏にいる……】
 碧自身は感じていないが、事実この一週間で碧の纏っている気は一段と目映く、崇高になった。巫女であった前世と、現在の空手が良く混合しているのだろう。ヤレンから『見て』、碧は普通の巫女と違い攻撃力の数値が高いのだ。
【もし……お前に会えたなら……私から教えたい技がある……それはきっとお前の……いや、お前達の役に立つはずだ……】
 ヤレンは静かに語る。対する碧はますます嬉しくなった。碧の、そして仲間の役に立つ技なら、きっと魔族だって倒せる。そう思ったからだ。
「うん!」
【『巫女の森』にて待つ……それでは……】
「うん……って、あ、あ、待って待って! 【思考送信】って、どうすればいいの?」
 慌ててヤレンの声を引き戻す碧。これを聞かなければ、一週間無駄なようで無駄ではなかった修行が水の泡になるところだった。
【精神を脳に集中させ……伝えたい相手の名を心で反芻する……慣れれば反芻せずとも、相手に意志を伝えることが可能だ……】
「なるほど。ありがとね、ヤレン」
 脳に響く言葉が途絶える。
「さーてとっ! それじゃあ【思考送信】してみよっかなー!!」
 わくわくしながら、碧は脳で相手の名前を反芻しようとして――突然眩暈が襲った。
「……あ……あれ……?」
 自らの意思とは正反対に、身体が仰向けになる。すると、今まで感じなかった疲れがどっと押し寄せてきた。予想以上に疲労していたようだ。
 チチ……チチチ……
「……ん?」
 そんな碧の耳に聞こえてきたのが、小鳥のさえずりであった。驚いて視線を上げる碧。自然と言えば今真上に傘のように広がる大樹だけで、生き物がいるとは思っていなかったのだ。碧は耳を澄ます。様々な生き物の声が聞こえる。日本にいた頃は、比較的都会に住んでいたため気づかなかったが、ここには日本と同じように、自然の溢れる美しい風景がある。
(……ここにいる動物は、みんな生き生きしてる……)
 ――それはさながら、動物たちのコーラス。うっとりとその歌声に聞き惚れていた碧だったが、突如として立ち上がった。
「……あ、いけない! 早く帰らなきゃイチカに怒られる!!」
 この一週間で碧は一度だけ、夜遅くミシェルの家に帰ったことがあったのだ。皆は心配したのだが、イチカだけは「遅い!」と説教を始めたのである。「自分のおかれている状況が分かっているのか」とか「死んでも恨むなと言ったはずだ」とか、碧は普段全く喋らない彼がここまで怒るとは思っていなかった。だが同時に、自分の為に怒ってくれているのだと勝手に納得しながら『説教』を聞いていたのだった。
 ――自惚れている。彼が自分のために何かをするものか。
 心の中で二つの思いが反発していたけれど、とりあえず前者を取って。
 勢いよく走り出した少女の口元は、心なしか吊り上がっていた。
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