第四章第一話  二人の過去

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「ねえねえ、カイズとジラーって幼なじみなの?」
「「え?」」
 碧の質問に、見事重なった二人の声。どちらも目を見開いて、碧をまじまじと見つめている。そんな視線を否定と取ったのか、碧は大袈裟に手を振ってみせた。
「あ、違ってたらごめんね! なんとなく、そう感じただけだから…」
「イヤ、そうなんだけどさ……」
「なんで分かるのかな、って……」
 慌てて手を振る碧に、二人はやや拍子抜けしたような声で言う。
「あ、やっぱり!? すごく仲良いんだもん、幼なじみじゃなかったらどうしようかと思っちゃった」
 仲が良いくらいで幼なじみだと確信するあたりが彼女らしいと言えば彼女らしいが、どこからそんな発想が出てくるのであろうか。
 ――そもそも、何故こんな話になったのか。それは、少し前にさかのぼる。
「世話になった。昨日は……すまなかった」
『巫女の森』、時刻は早朝。
 あのあと。イチカは何事もなかったように仲間の元へ帰ってきた。サトナもそんな彼の様子を見てか、いつもと変わらぬ素振りだった。その日はもう辺りも暗くなっており、『巫女の森』で野宿をすることになったのだ。しかし翌朝、イチカが素直に謝ってきたものだから、サトナは内心困惑していた。だが感情を隠し通すことは慣れているようで、彼女は至って普通に、彼の言葉に答えた。
「いいえ。私こそ、軽はずみな事を言って申し訳ありませんでした。まだまだ、この森を護る巫女としては半人前ですね」
 と、苦笑してみせた。そしてサトナはキリスト教よろしく、胸の前で十字を切り、一行に深く辞儀をしたのだった。
『巫女の森』から出て小一時間。碧はラニアと、カイズはジラーと、白兎はミリタムを気遣いながら――時折毒を吐きつつ――会話を楽しんでいた。イチカはやはり、碧たちよりずっと先頭を歩いている。良く言えば孤高のナンとかだが、悪く言えば単にあぶれているだけである。本人は気にした様子もない。というより、彼の場合は気にするしない以前の問題だ。それで碧は、イチカを気にしながらほうっておいていた。
「いーか? 負けたらオレの武器持てよ!」
「へっ、それはこっちのセリフだ!」
 なにやら賭け事をしているらしいカイズとジラー。僅かながら闘気も感じられ、どうやら真剣勝負のようだ。だが次の言葉を聞いた途端、碧は思わずつまずきそうになる。
「「じゃんけんぽん!」」
「あっち向いてホイっ!! ……おっしゃあ、オレの勝ちっ!!」
「あ〜〜!! くっそ〜〜、負けた……!」
 カイズが示した指の方向に顔を向けながら、ジラーが悔しそうに唸った。
「……ねえラニア、あれって……」
「あれ? 『あっち向いてホイ』よ、知らない?」
 どうやら日本で普通にやっていることは、こちらの世界にも影響しているらしい。外見だけ見ればコイントスの方が似合っているのにと、碧は苦笑した。
「ズバリ、お前の弱点! 昔っから読みやすい。顔にどっちの方向向きたいか書いてある」
「変な理屈だな……」
 両手にカイズの荷物を持ちながら、ジラーはポツリと呟いたのだった。――そして、今に至る。
「ね、“昔から”ってことは、ずーっと前から一緒ってことだよね? 出身とかも?」
 碧の質問に、顔を見合わせ、困ったような顔をする二人。それを見て面白いと思ったのか、ラニアも質問に加わる。
「あ、そういえばあたしも聞いたことないわ。聞いてみたいわね〜」
 碧と違って、ラニアの詰め寄る表情というのは怖いモノがある。それこそ、眼だけで「言わないと撃つわよ」と言っているような。
「え〜〜っと……」
「てめェっ! 今、なんつッた?!」
 ようやく口を開いたカイズたちの声を遮るように響いた、威勢のいい声。そちらを見れば、案の定と言うべきか、白兎がミリタムの胸ぐらを掴んでいた。
「白兎〜、僕一応、怪我人なんだけど……」
「怪我人だからって容赦しねーぜ! どさくさに紛れて嘘つきやがって、人参食べるようにするって言ったのはドコのどいつだ?!」
 唾が飛ぶほど説教を続ける白兎。初めは笑って聞いていたミリタムだが、ふいにその表情が曇る。
「……悲しいな」
「……は?」
 ミリタムがふっと呟き、白兎の説教も止む。
「貴方は、僕よりも人参の方が大切なんだね」
「なに言って……」
 その言葉の意味を理解し、白兎の頬が見る見るうちに紅く染まる。ミリタムは依然黄昏れているままで、すぐさま冷やかしの声がかかる。
「おお〜? お前ら、いつからそんな親密な関係になったんだ〜?」
「そういえば、よく二人っきりになってるよな〜」
 カイズとジラーがはやし立て、ますます白兎の顔が赤くなる。
「ば、バカ言ってんじゃねえ! 今のはこいつが勝手に……!!」
「白兎、照れてる〜」
 などと、碧らが白兎の反応を面白がっている数メートル先。やはり何事にも興味を示さないこの男。
「……くだらん」
 盛り上がる仲間を後目に、すたすたと先を歩くイチカ。

 木々がざわめく。感じたのは――殺気。
 イチカは咄嗟に剣の柄に手を掛ける。一瞬、だが確かに感じた気配。
「……気のせいか……?」
 イチカは柄から手を離し、四方八方を見渡した。小鳥がさえずり、微風で揺れる枝の先の葉。変わったことなど何もない。後ろでもやはり、からかいは続いている。
(……おれの思い過ごしか)
「あら、何かしらこれ?」
「どーしたの?」
 ラニアが何かを地面から拾い上げ、碧に見せる。
「ほら、これ……バッジかしらね」
 ラニアの手のひらにある小さな、透明な球体。裏返せば、ご丁寧に安全ピンが付いている。やはりどこの世界でもバッジはバッジらしいものなのだろう。
「ホントだ。これ、バッジだね」
 碧はそう呟き、何気なく空にバッジをかざした。異世界であるはずなのに、地球と同じように太陽は昇り、一行を優しく照らし続けていた。先ほどから「時刻」だの「早朝」だの、やたらと正確なのはこの為である。朝であれば太陽はやや東にあったし、空が夕焼け色に染まる頃には太陽は西に沈もうとしていた。もしかしたらそれは太陽ではないのかもしれない。だが、もし太陽であるならば、寸分の狂いもなく、この世界は地球と同じ周期で自転していることになる。とすると、碧がこちらに迷い込んでから経った月日は、あちらと全く同じだという可能性が十分にある。
 さて、先ほど彼女が空に持ち上げたバッジはゆっくりと赤みを増し、薄い桃色に変化していた。碧は目を見張る。
「すっごーい! 紫外線に反応するんだー!!」
「紫外線に反応する……!?」
 碧の声を聞いて、すぐさま走り寄ってきたのはミリタムだった。
「ちょっと、貸してくれる?」
「うん」
 ミリタムは碧からバッジを受け取ると、碧と同じように、太陽にバッジをかざした。バッジはやはり薄い桃色のままだったが、やがて違うものに変化する。
「あ…!」
 バッジを横から見ていた碧は目を見開いた。薄い桃色のバッジに、不思議な模様が現れていたのだ。金色の縁をした六芳星が中央にあり、赤い槍のようなものが、ちょうど星を両断するように一直線にはしっていた。
 同じようにバッジを見つめていたラニアの表情が、一気に強ばる。
「これは……!」
「どうした」
 突然立ち止まった仲間を不審に思い、戻ってきたイチカが訊ねる。ラニアは黙って、ミリタムを――否、ミリタムの持っているバッジを指さした。
「……六芳星は、この世界の象徴。武器を血で染めることは、この世界を血に染めることと同じ」
 何を、と言いたげなイチカを手で制し、ミリタムは言葉を続ける。
「こんな悪趣味な模様をバッジにするのは、この世界でただ一つ……暗殺を生業(なりわい)とする、平均年齢二十歳以下で構成される集団」
「ガイラオ……騎士団……」
 白兎がその名を呟く。
「暗殺を生業とする集団!?」
「その集団のバッジが、ここに落ちていると言うことは……」
 イチカの言葉に、ミリタムが頷く。
「一瞬でも、ここを通りかかったってことだね」
 イチカが感じたあの殺気は、魔族ほど強大で(よこしま)なものではなかった。イチカはそれに疑問を感じていたのだが、ここで解決されたようだ。
「それじゃあ、誰かの命を狙ってるってこと?」
「……可能性は高いな」
 碧の言葉に答えるイチカ。
「狙われているのが誰だか分からない以上、単独行動は危険だ。勝手にどこへでも行くなよ」
 メンバー全員に釘を刺し、イチカは歩き出した。だがラニアは複雑な表情で、碧に耳打ちする。
「ねぇアオイ。それって、イチカに言う言葉だと思わない?」
「……うん」
 ラニアの質問に、碧は苦笑するのだった。

 例の太陽も大分高くなり、日差しが強くなる。それによって、一行の足取りは重くなっていた。
「兄貴〜腹減った〜……」
「我慢しろ。向こうに町が見える」
 額の汗を拭いながら、イチカが前方を指さした。たしかに彼の言ったとおり、その先には小規模な町が見える。
「それにしても暑いわね〜。アオイ、暑くない?」
 ラニアが手のひらで扇ぎながら、碧に訊ねる。
 アスラントの気候は奥が深い。否、人々かもしれない。どれだけ暑くてもセーターを着ている人がいるし、どれだけ寒くてもラニアのようにノースリーブでいる人もいる。皮下脂肪が多いとかそういう問題ではなく、本人達に言わせれば「これでちょうどいい」からなのだ。
「う〜ん、暑いけど……もし魔族が襲ってきたら、ひとたまりもないし」
「そーだったわね……」
「ひゃっ?!」
 頬に突然何かが当たり、碧は慌てて頬に手を触れた。手に付いたのは、
「水……?」
「雨じゃねェのか?」
 白兎が言うと同時に、バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。「走れ!」と叫ぶイチカに続き、ミリタムは苦笑しながら言った。
「貴方って、雨女なんだね」
「やかましい!」
 僅かに頬を染めながら、白兎が反発する。
 それにしてもこの蒸し暑さ、急に降り出した激しい雨。何かを彷彿とさせる天気だと碧は思う。
「ねえねえ、こっちの世界に梅雨ってある?」
「ツユ?」
 碧が訊ねるが、ラニアは曖昧な発音をした。おそらくこちらでは、『梅雨』という言葉自体が存在しないのだろう。
「えーっとね、梅干しの梅に、雨って書いて……とにかく長い間雨が降り続く期間のことなんだけど……」
「ああ、日本じゃそう言うのね。こっちじゃ、特に呼び名はないのよ。そういう期間はあるんだけどね」
 ラニアが苦笑しながら答える。碧は暫し考え込み、ぽんと手を叩いた。
「じゃあ、今から『梅雨』って呼び名にしちゃえば? 名前がないと言いにくいし」
「ええ、確かに響きはいいわね」
「あたいが雨女じゃねェってことが証明されるし、いいじゃねーか!」
『さんせーい!』
 皆が碧の意見に賛同する中、イチカだけは無表情のまま呟いた。
「……走ること忘れてるぞ」

「うっひゃ〜、ビショビショ」
 ようやく町に着いた一行だが、雨が降り続いているのも忘れて会話を楽しんでいたため、皆頭からつま先までびしょ濡れになっていた。
「……全員に風邪をひかれたら困る」
 怒りどころか呆れが半分以上含まれているような声で、イチカは碧に言った。近くの温泉宿でタオルを借り、髪の毛を拭きながら、碧は申し訳なさそうに謝った。
「以後気を付けまーす……」
「……とにかく、今日はここで泊まることにした。下手に動いても逆効果だからな。早めに風呂に入って寝ろ」
『りょーかい』
 一同は返事をし、思い思いの場所に散っていく。この温泉宿も日本を意識しているらしく、日本の伝統をそのまま受け継いでいるかのような木造建築である。入り口と向かい合わせの位置にある階段の踊り場には、実際には存在しない富士山の絵が壁に立てかけてあり、碧は思わず吹き出した。碧がもっと驚いたのは、店の入り口の看板から受付、さらには自動販売機に表記してある文字まで、全てローマ字の側に日本語も表記されていたのだ。唯一違うのは、営業している人が洋服であるということだけで、よくここまで日本にこだわれるなあと、碧は感心するのだった。
 階段横に表記されている『温泉はこちら』の文字を指さしラニアは碧に言った。
「アオイ、お風呂入ってこない?」
「うん」
 ――宿の奥。
 水気を含んでいつも以上に重くなった鎧を外し、カイズとジラーは壁一杯に広がる窓――奥だけは洋風建築らしい――の外を眺めていた。大粒の雨が窓に当たっては音を立て、窓を伝って落ちていく。それを見つめる彼らの表情はいつになく険しく、どこか儚げであった。
「……なあ、カイズ」
「ん?」
「雨、すごいな」
「……ああ」
 普通の会話のように聞こえるが、止むことのない雨を見つめる彼らの手は、いつしか強く握りしめられていた。雨――彼らが力尽きて倒れ、偶然通りかかった少女に救われたときも、忌々しい過去を消し去るために走り続けたあのときも、それは彼らの身体に打ち付けた。
 彼らは苦渋に満ちた表情で、降り続ける雨を睨みつけていた。
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