第七章第四話  束の間の休息を その三

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「……!」
 弟分たちにもよく見えるよう、左手を目線の高さまで持ち上げ、目を閉じること数秒。第二関節から上のない、不格好な手が露わになった。カイズとジラーが息をのむ。
「なん……だよ、それ……!」
 驚きと戸惑い、恐怖を全面に押し出してカイズが叫ぶように訊ねると、イチカは己の左手を見つめながら、過去の出来事を淡々と話し出す。
「『これ』は魔族にやられた。手強い相手でな。救いの巫女が現れなければ、全滅していただろう」
 静かな声で語るイチカと、役目をほとんど果たしていない左手。それらを交互に見つめながら、それでも二人は信じられないものを見るような目で凝視していた。
「切られた指は二度と元に戻ることはない……それでも体裁くらいはと、救いの巫女がまやかしをかけて、実際にはあるように見せかけることができた」
 イチカは再び目を閉じた。すると、やはり数秒後に何事もなかったかのように、爪先まで整った指が現れた。そこまで見聞きして、ようやく二人はことの顛末を理解したようだった。
「おれが奴らに勝つためには、おれ自身に足りないものを身につけなければいけない。それがさっきの戦法だ。型にはまらず、意表を突き、相手がそれに気づかないほど速く……あいつとの修行で、おれが教わったことだ」
「“あいつ”……?」
 ジラーの問いに、一瞬目を細める。できることなら、告げたくない事実。しかし、信頼に足る弟分たちに打ち明けない理由はなかった。
「……セイウ・アランツ。四百年前、アスラントに攻め入った魔王軍の一人で、救いの巫女と共に封印された――おれの、前世だそうだ」
 信じられない台詞を聞いた気がして、カイズとジラーは再び息を詰まらせた。目の前の少年の言葉を脳内で反芻しても、俄には理解しがたいことだった。
「前世、って……兄貴が魔族だったってことかよ?! そんなワケ……!」
「おれも最初は信じていなかった。だが……皮肉だな。奴との修行を重ねるたびに、疑念は確信に変わっていった。戦えば戦うほど、戦法が馴染んでいくのが分かるんだ。おれはこうあるべきだったんだと、思わずにはいられないほどに」
 十日弱の修行で、常人には到底真似できないスピードと技術を手に入れた。初めは受け入れられない、卑怯な手口だとすら思っていた。だが、修行を始めてから五日が経過した頃にはそんな抵抗すら薄れ、真っ当な剣術として己の身に浸透していた。開き直ったというよりは、自分を再構築するような感覚。自分のことが分からなくなることもあった。否、今もまだ分かっていない。自分は『イチカ』なのか、それとも――
「師匠は師匠だよ」
 深みにはまっていく思考を遮るように、ジラーがさも当然のように言う。
「たしかに四百年前は魔族だったのかもしれない。でも今師匠は『イチカ』として生きてる。おれたちは今の師匠だから慕ってるし、それでいいと思ってます」
 ジラーの言葉を受け、カイズもばつが悪そうに後頭部を掻く。
「……まぁ、魔族に勝つためならしょーがねーよな。そん代わり、今の手合わせはナシな。つーかあんなの手合わせじゃねーし」
「カイズ、負けたからってそんな拗ね」
「拗ねてねえっっ!! あと負けてねえし!!!」
 のんびり屋だが自分の芯は曲げないジラーと、負けず嫌いだが仲間思いのカイズ。
 彼らの暖かさに支えられ、自分はここまで来ることができた。初めて出会ったとき、ガイラオ騎士団事件、そして今。様々な出来事が浮かんでは消え、その度に絆が一層強まったことを思い出す。この世界に来て良かった。この世界で一番に出会ったのが彼らで良かった――イチカは感謝を覚えずにはいられなかった。
「ありがとう、二人とも」
「あっ、あのっ!」
 唐突に響いた声に振り向くと、訳知り顔でにやつくラニアと、プレートにおにぎりを大量に乗せた碧がいた。
「これ、お腹空いてるかなーと思って……良かったら……!」
 やや頬を赤らめながらずいっ、とプレートを差し出す碧に、感心したようにジラーが一言。
「おっ、さっすがアオイ! 似合ってるなー『カッポウギ』」
「ほーんとよねー! 若奥様って感じ? ねえイチ」
「あーわーわーわー!!!!!」
 そっち? とジラーの言葉につっこむ碧。しかし、突然後ろから抱擁してきたラニアの言葉を打ち消す必要性の方が大きく、結果無意味な叫び声を上げることになってしまった。そんな彼らの傍らで、握り飯をほおばるカイズとイチカ。
「うんめえー! この絶妙な塩加減! なっ、兄貴もそう思うだろー?!」
 同意を求めるカイズの確信犯的な声に、ラニアとジラーはにこにこ(若しくはにやにや)、碧は気が気でない表情であたふた。しばらく無言で咀嚼を続けるイチカだったが、ふと思い出したように呟く。
「……悪くはない」
 決して褒め言葉ではないけれど、イチカにとっては最大級の褒め言葉。これまで彼らと過ごしてきて、イチカの言動パターンが読めてきた碧は口元が緩むのを抑えきれない。そんな様子を、他の三人はやれやれ、といった表情で見つめていたのだった。

 一仕事終わり、特に修行をするでもなく、暇つぶしに村内を散策している者が一人。長い耳に、兎の毛で作られた一張羅。白兎である。
 視線を方々に彷徨わせながら歩いていると、あるものが目に留まる。その先には、見るからに重量のある荷車を引きずる老女。一瞬迷ったが、白兎にも良心はある。
「バーさん、重いだろ。持ってやるよ」
「そんな、悪いですよ」
「いーからいーから」
 獣人の自分を恐れるのではないか、という思いもあったが、どうやら杞憂だったらしい。申し訳なさそうではあるが、それ以上の感情は特に抱いていないようだった。むしろ、問題は別のところにあった。
「すみませんねえ」
「あァー気にすンな気にすンなヘでもねェよ!」
 (なんだコレ想像以上に重ェ……このバーさん一体何者だ……)
 意気揚々と半ば強引に荷物を受け取ったはいいが、兎族の長として日頃鍛錬を欠かさなかった白兎ですら、その荷重に圧倒される。だが、自分から申し出ておいて引き下がるなど兎族としてのプライドが許さない、是が非でも目的地まで運んでやる。と思っていると、老女が不思議そうにのぞき込んでいることに気付いた。
「よその方、ですか?」
「あったりめーだろ、見りゃ分か――」
 これだけ至近距離で、これだけ目立つ風貌をしていて。
 驚くどころか、まるでそれすら見えないかのように、老女は柔和な表情で答えを待っていた。
「アンタ、目が……」
 見えないのか、と口に出さずともその先を理解したのだろう。老女はふふっと小さく笑う。その様子がとても楽しそうで、白兎は戸惑いを隠せない。
「ええ、もう十年近くになりますかねえ」
「そんなになってまで重労働なんて、危ねェだろ……」
「ええ、よく言われます。でも、身体が覚えていますから」
 なにやら抽象的な表現で、白兎は意味を取りかねる。それも察したのか、老女は続けて語り出した。
「たしかに視力は失いました。でもね、五十年以上歩き続けた道はそう簡単には忘れません。土の感触や空気の流れ、川の音、木材の匂い……たとえ光を失くしても、ずっと変わらないものはちゃんと感じ取れるものなんですよ。だから、私が『仕事』を辞めるとしたら、それは私が死ぬときです」
 生まれたときから地位を保証され、何不自由なく育ってきた白兎にとって、重労働など縁のない話だった。もちろん生活に必要な仕事は行ってきたが、白兎でさえ音を上げそうなほどの荷積みなど触れたこともない。それをこの老女は五十年も運んできたのだ。彼女の倍近く生きていても、獣人の外面・内面的成長は人間よりも遅い。白兎は少し、何かを学んだ気がした。
「……そっか。強ェな、バーさん」
「そうですか? ふふふ」
 あたいも、強くならねェとな。
 そう心に誓い、白兎は無事老女の荷物を送り届けたのだった。
 そんな白兎とはまた別の方角。空き地の簡易椅子に座り、思案にふけるミリタムがいた。地面の一点を見つめていると、その一点を誰かの足が覆い隠す。顔を上げれば、暑苦しいほどの白髪、白眉、白ひげの老人。
「お若いの。魔法の研究かの?」
「村長さん」
「どれ、少し老人の相手をしてくれんか? 儂で良ければ力になるぞい」
 その言葉に、ミリタムの目が輝きを増す。もしやこの人は、魔法のノウハウを知っているのだろうか。知っているなら是非教えてほしい。そう期待を込めて問う。
「魔法分かるの?!」
「からっきしじゃ」
 しかし、脆くも期待は打ち砕かれた。途端に不機嫌になるミリタムをよそに、村長は彼の隣にどっこいしょと腰掛ける。
「だが、この村は地理的にサモナージ帝国に近い。その影響か、特別な修行をするでもなく不思議な能力を持つ者が少なくなかった」
 ミリタムは知るよしもないが、カイズの姉もその一人。巫女見習いとはいえ、下手をすれば聖域を所持できるほどの実力はあっただろう。
「かくいう儂も、特異な能力の存在を信じずにはおれん」
「“特異な能力”?」
「『言霊』じゃよ」
 言霊。聞いたことがあった。碧たちの故郷に古く伝わる、言葉の偉大な力。
「言葉一つで状況を良い方向にも悪い方向にも傾けることができる。しかし、ただ言葉を発するだけではいかん。念を込めるのじゃ。一人一人のこうあってほしい、こうなりたいという想い……それが強ければ強いほど、言葉に乗せた念は現実となる。それ故、一つとして同じ形のものはない。魔法とは、そういうものじゃろ?」
 ミリタムの目が大きく見開かれる。この人は本当に一般人なのか。それにしては、あまりにも魔法の核心を心得ているような気がしてならない。
「そんちょ――」
「――と、風の噂で聞いたのでな」
 え? という言葉すら出ず、その表情で固まる。そんなミリタムを尻目に、村長はよっこいせと立ち上がる。
「儂が知っていても宝の持ち腐れじゃし、必要としている者に授けられれば、と思っておったところじゃ。健闘を祈るぞ、少年」
 茶目っ気たっぷりに手を振り、またよぼよぼと歩き出す。すっかり拍子抜けしたミリタムはしばらく脱力していたが、一連の会話を思い出し笑いがこみ上げる。一言で言うなら、感想は。
「……ヘンな人だなあ……」
 でも。ゆっくりと遠ざかる村長の背中を見つめながら、ミリタムは気持ちが高揚するのを感じる。その瞳は決意に満ち溢れ、揺らがない。
「言霊、かぁ……」
 “想いが強ければ強いほど、言葉に乗せた念は現実となる”。
「――よし!」
 村長の言葉を脳内で復唱し、勢いよく魔法書を開いた。
 その様子を微笑ましそうに振り返って、村長は家路を辿る。辿ろうとして、目の前に仁王立ちする人物に阻まれた。何事か強い意志を瞳に宿し、重要な話があるのだとその眼は語る。村長は頷く代わりに、人物――サルスの横を通り過ぎ再び帰宅の途についた。
「……そうか」
 道中、サルスは目撃したこと全てを告げた。即ち、カイズ、ジラーの二人が彼らの兄代わりの少年と手合わせしていたこと。その中で語られた、少年が魔族の生まれ変わりであるということ。それさえ受け入れると、仲間内で笑い合っていたこと。
 陰から見ていたサルスにとっては笑い事であるはずがなかった。世間が見れば「美しい友情」で片付けられることかもしれない。しかし、ただでさえガイラオ騎士団という厄介者が村に居座っているというのに、この上魔族の魂を持つ人間まで現れたのだ。彼女にとっては許されざる事実だ。そうは言っても生まれ変わりでしかないのだから、魔族の脅威があるとは限らない。百歩譲って彼を容認するにしても、このままこの村に留まらせるのはやはり納得がいかない。サルスはいつも以上に村長に食らいついていく。
「やっぱりあいつら疫病神よ! 早く追い出さないとこの村が危ない!」
 いくら情に厚い祖父でも、これほどの事態であればなんらかの措置をとってくれるだろう――。期待するサルスとは裏腹に、村長はティーカップを静かに置き、小さく溜息をつく。
「……サルス。お前さんがそこまで過去に拘るのは、まだ心の傷が癒えておらんからではないか?」
 今まで必死に説得していた時間はなんだったのかと思うほど、筋違いな返答。自分が望んだのはあの二人を含む連中の村外追放だ。どうして無関係な質問をふるのか。混乱する脳を差し置いて、口は勝手に質問に答える。
「な……に言ってるのよ、当たり前じゃない。両親を殺されてそう簡単に立ち直れるわけ――」
「そちらではない」
 何故か震える声で、しかしはっきりと正論を述べたつもりだった。それすらも否定され、サルスは訳が分からない。
「……テルーのことじゃよ」
 押し黙る孫の肩が揺れたことに気付いたが、あえて素知らぬふりをする。
「お前さんがテルーの墓に花を手向けておるのは知っておった。……思えばお前さんは、昔から“ガイラオ騎士団を恨んでいる”とは言っても“テルーを恨んでいる”と言ったことは一度もなかったの……『親友が自分の両親を殺した』という事実から目を背けることで憎悪の矛先を変え、テルーを護ろうとしていたのではないか?」
 いつも、いつも恨み続けてきた。何年過ぎても、どんなに村が平静を取り戻しても、心が晴れることはなかった。
 自分から両親を奪った『あいつ』が憎い。できることなら、この手で殺してやりたい。いっそのことガイラオ騎士団に志願しようかとも考えた。そうして内側から壊滅してやることも計画していた。
 そこまで考えていながら、いつも行き詰まる。はたと気付くのだ。今、『何を』恨んでいた? 両親を殺したのは?
 否、『あいつ』が奪ったのは両親と――
「違う!!」
 もう自分の中でも答えは出ているのに、否定せずにはいられなかった。
「そんなワケない! 私は何も間違ってない! 子供を亡くして平気なじいちゃんの方がおかしいんだ!!」
 両目に涙を浮かべ、外へ飛び出る孫娘を、村長はただ呆然と見送るしかなかった。力なく椅子に座り、組んだ両手に額を乗せる。
「……平気なはずがなかろう……平気でないからこそ……受け入れねばならんこともある……」
 一組の仲睦まじい夫婦と、彼らに抱かれている生まれて間もないであろう赤子の写真。十四年前に撮られたそれを見つめながら、村長は項垂れた。
 サルスはまた、テルーの墓前にいた。両親が殺されてからは、落ち込んだときぱ真っ先にここに来ていた。本当のところは、何かと理由をつけていただけ。昔から暇さえあれば訪れる、サルスの安息地だった。
 鼻孔をくすぐる甘い香りが漂ってきて、顔を上げる。ピンク色の花が咲き誇っていた。ふと、幼い日々の記憶が蘇る。
「サルスー!」
 褐色の肌、そばかすの乗った顔。これだけで、いじめられるには十分だった。
「サールースー!」
 物心ついた頃には、周りの子供たちは皆自分をいじめていた。もちろん、友達など一人もいない。そんな彼女をいじめず、本物の兄妹のように接してくれていたのが、
「テルー……」
 最近この村に来た少年、テルーだった。
 “来た”と言っても、引っ越してきたわけではない。世界中を馬車一台で旅しているという、少し変わり者の大家族。テルーはその末弟だった。いつも遠くから名前を呼んでは走り寄ってきて、屈託のない笑顔を見せてくれる。そのときもご多分に漏れず、顔面いっぱいの笑みを浮かべていた。
「どーせまたイジめられてたんだろ?」
「いっ、イジめられてなんかないもん!」
「意地張るなって。泣きそうなカオして」
「そんなカオしてないもん!」
 ややデリカシーのないところはあったが、いじめっ子たちと違うのは、それが許されてしまうくらいの優しさの持ち主であること。
「ほらっ、コレやるから」
 そう言ってテルーが差し出したのは、手折られた一輪の花。鮮やかなピンク色の花びらと、悲しい気分も吹き飛ぶような甘い匂い。
「……きれい……いいにおい……なんて花?」
「サルスベリ」
 自分と似ている名前にきょとん、としていると、テルーがすかさず説明してくれた。
「お前も知ってるだろ、巫女サマの話! 巫女サマが異世界から持ってきた花らしいんだけど、この辺に群生してるんだ」
 そうなんだー、と呟きながら、サルスは『サルスベリ』に夢中だった。あらゆる角度から眺めては、その美しさに溜息が出た。
「……名前もだけど、なんか……サルスに似てると思ってさ」
 沈黙が続いたので顔を上げると、テルーが変な顔をしていた。何故か、ほんのり顔が赤い、気がする。照れ臭そうに頬を掻いて、明後日の方向を見ている。どうしてそんな顔になるのか分からなくて、サルスは思わず吹き出した。
「……ヘンなテルー!」
「んなっ……ヘンじゃねーよっ!」
「あははっ、ヘンなのー!!」
「泣き虫サルスのクセにっ! 待てーっ!」
「顔真っ赤だよっ、テルーっ!」
 それはとても、幸せな時間だった。やっとできた、たった一人の友達。できることなら、この時間がずっと続いてほしかった。否、ずっと続くと思っていた。
「おと……うさん……? おかあ、さん……?」
 頭から足先まで血に濡れ、微動だにしない両親の姿がそこにあった。呼びかけても、返事がない。微笑みが返ってこない。優しい手が伸びてこない。なんの反応も示さない両親に触れようとして、傍らに立つ人影にようやく気付く。
「!!」
 見慣れない鎧を着て、見慣れない剣を持って、やはり全身血塗れではあったが、それは紛れもなく半月前に別れたテルーだった。幼いながらに、両親をこんな状態にしたのは誰かを悟った。テルーが近づいてくる。ゆっくり、ゆらり、剣を振り上げながら。
「やだ……やだよ……ど、して……お願い……やめてよ……ねえ、テルー……」
 腰が抜けて立ち上がることができない。涙で視界が霞んでよく見えない。それでも、四肢を使ってなんとか後ずさる。が、すぐに壁に突き当たった。テルーが間近に迫っていた。必死に呼びかけても、その瞳に光が戻らない。聞きたいことがたくさんあるのに、笑ってくれない。答えてくれない。答えて。答えて。
「テルー!!!!!」
 鈍い音がして、サルスは強く眼を瞑った。しばらくして、今度はもっと近くでどさっ、と何かが倒れる音。驚いて目を開ければ、目の前で少年が両膝をついて項垂れていた。
「……テルー!?」
 息が荒い。よく見ると、左胸のあたりに深々と剣が突き刺さっている。サルス自身に怪我はない。先ほどの音は、テルーが自分自身を刺したものだったのだ。
「テルー……!」
 早くなんとかしなければ。気が動転する中、どうにかこの胸の剣だけは取り除かなければ、と冷静な自分もいた。苦しいかもしれないけれど、このままではテルーが危ない。おそるおそる柄に手を伸ばして、その手を掴まれた。
「ダメだ」
 思わず顔を上げると、いつものテルーの顔がそこにあった。
「抜いたら、また……サルス、殺そうとするから……ダメだ」
「でも……っ、でもっ、それじゃテルーが死んじゃうよ!!」
 殺されるのは嫌だ。だが、またあの『テルーじゃないテルー』に戻ってしまうのはもっと嫌だった。以前の、たった今の、優しいテルーがいなくなるのは絶対に嫌だ。
「……バカだな……オマエは……」
 息も絶え絶えに、テルーが苦笑する。
「オマエの大事なオヤジとおふくろ殺したの……オレなんだぞ……?」
「……そうだけど……そうだけどっ……! テルーも、大事だもん……!!」
 その時のサルスには、テルーを憎むという発想はなかった。両親を殺された上に、テルーまで失いたくない、という気持ちの方が強かったからだ。それほどまでにテルーはサルスにとって“大事な”存在だった。両親にも劣らない、兄妹のような存在だった。
「……そっか」
 思いがけないサルスの言葉に驚くテルーだったが、ふっと微笑んで、震える手をなんとか動かす。天然だけれど、ふわふわのパーマがかった髪をぽん、ぽんと叩き、
「……ありがと、サルス……ごめん、な」
 そのまま崩れ落ちたテルーが、二度と起き上がることはなかった。
『サルスに似てると思ってさ』
 未だにあの言葉の真意はよく分かっていない。だが、もしこの花のように『綺麗』だとか『清楚』だとかいう意味ならば。
「似てないよ……全然」

 翌日のこと。ミリタムは人気のない場所で魔法の特訓に励んでいた。スピードのある相手との勝負だ。発動までの時間は極力短くなければならない。そして、四方八方どの位置にも展開できるようにしなければならない。敵はご丁寧に真っ正面から来るわけではないのだから。
「我を護りし石壁・阿僧祇(あそうぎ)の王!」
 たとえば、この方向から来たとしたら。
 右斜め後方へ右手を突き出し、魔法を発動させる。防御型魔法【石壁(ロックウォール)】と強化型魔法【無限(オーバー・リミット)】を組み合わせた二重魔法だ。しかし、魔法の融合は高度の魔法士であっても爆発を引き起こすなど危険性が高い。爆発までいかなくとも、一度や二度でうまく発動する可能性は極めて低い。例によってミリタムの二重魔法も、方向こそ合っているものの半分しかない不完全な盾となって出現していた。
「出来は五分ってとこか」
 予想だにしない声が届いて、思わず振り返る。訳知り顔の白兎と、興味津々な表情のラニアがそこにいた。
「あたいらの気配に気付かねェってことは、相当集中力が要るみてェだな?」
 たしかに、二重魔法となると複数の魔法を組み合わせるため、一般魔法を使うときのように周囲の気配を常に感知している余裕はない。しかし、仲間の気配にも気付かないようでは実戦で通用しないのではないか――ミリタムは早くも課題にぶつかることとなった。
 集中が切れれば魔法も効力を失う。光の粒子となった魔法を見ながら、ラニアが感嘆の声を上げた。
「すごい魔力……新魔法の開発でもしてるの?」
「うん。――あの人……僕が戦った魔族のヒト、いたでしょう」
「あァ、あのカマ野郎か」
 三人の脳裏に、容姿は女性のような美しさでありながら、人並み外れた力を持つ魔族の姿がよぎる。
「あのヒトの腕力は本当にとてつもなかった……僕の首を絞めたときだって、実力の一分も出してなかった。それこそ小さな虫をつまめるくらいまで力を緩めてたはずだよ」
 それは皆が感じていたことだった。仮にあのときの力が最高だったとしたら、ミリタムは首をへし折られていただろう。力の加減ができるということは、力を最大限まで発揮していないということ。
「今度戦ったら間違いなく本気でくる……あのヒトに捕まったら一巻の終わり。だから、防御魔法を強化する二重魔法を創ることにしたんだ」
「へえ。攻撃魔法はいいのかよ?」
 白兎のもっともな問いに、ミリタムは片目を閉じる。
「攻撃魔法に関してはヒントをもらったからね」
「奇遇だな。あたいも得ることがあったぜ」
「二人とも頑張ってるのねぇ……」
 あたしも頑張らなきゃ、と意気込むラニア。
 その一方で、もう一人頑張っている者がいた。
 両手を頭にかざし、意識を集中する。
 渦が現れ、黒龍が迫る。距離はまだ十分にある。対獣人用魔法であっても最大出力ならば魔族とて倒せる。神術の構えをとり、対象へ向け、
「滅び――……!!」
 唱え終わる間もなく、黒龍の牙が頭上にきていた。
 その後のイメージは速攻で振り払い、ぱたんと地面に横たわる。
「ダメだぁ〜……このままじゃ滅獣唱える前に食べられちゃうよ……」
 思いつきで始めてみたイメージトレーニングだが、何度やっても勝てる見込みがない。本来、イメージトレーニングは勝つために行っているはず。しかし、相手のスピードを実際に目の当たりにしたせいか、どうしてもこちらが圧倒されてしまう。もう少し機転を利かせて攻撃できればいいのだが――
「タイミングが悪い」
「そうそう、タイミングがわる――」
 丁度聞こえた声が聞き覚えのあるものだと気づき、咄嗟に顔を頭上に向ける。逆さまではあったが、予想通り、銀髪がさらさらと風に揺れている。当の本人は相変わらずそっぽを向いていたが、むしろ決定的だ。
「イチカ?!」
 慌てて身を起こし、畏まって正座で向き直る。
「な、なんで?! “タイミングが悪い”って……?!」
「イメージングが遅い」
 簡潔な答えに、碧は疑問符を浮かべざるを得ない。
「……確かに奴らは突然目の前に現れる。目で追えないならイメージの中で捉えようとするのは自然だ。だが普通の人間は、自分の都合の良いタイミングか、その逆でしかイメージを作れない……心の中が、読めでもしない限りは」
「あ……」
 覚えていてくれた。
 かつて、南方の村で兵士の心を読んだこと。召還獣の心を読んだこともあった。特殊な能力だからかもしれないけれど、彼の頭の片隅にでも残っていたのだと思うと嬉しくてたまらない。綻びそうになる口元をなんとか引き締め、イチカの話を聞く。
「感情があろうとなかろうと、心に思っている行動は意識的に消そうと思って消せるものじゃない。魔族相手にどこまで通用するかは未知数だけどな」
 そこまで言って、イチカは碧に背を向けすたすたと歩き出す。
「イチカ! あの……っ、ありがとう……」
 止まってくれないだろうなと思っていた足が止まる。一瞬間をおいて、怒っているような、呆れているような、はたまたばつが悪そうな顔で振り返る。
「……この間の借りだ」
「? “借り”……って……?」
 あのイチカに貸しがあっただろうか、と考えて、瞬時に蘇る記憶。巫女の森での修行一日目のこと。錯乱状態に陥ったイチカを後方から抱きしめたこと――。
「ちちちちがっ、違うのイチカっ! あのときは……ってもういない!?」
 碧が慌てふためいているうちに帰ってしまったらしい。全身の力が抜け、再び地面に倒れ込む。
「はー……びっくりしたぁ……」
 頬が熱く火照り、心臓が高鳴る。あのときも今も、軽蔑されるのではないかと思った行動。とりあえず、許容範囲らしい。受け入れられていると思っていいのか分からないけれど、今だけは。
 幸いなことに、一人でにやにやしながら地面を転げ回る碧を目撃した者はいないらしかった。

 そして、巡る朝。村の入り口に立つカイズ、ジラーと、一行の姿があった。
「ホントにもう行っちゃうのかよー?」
 えー、と肩に丸太を抱えながらいじけるカイズに、イチカは穏やかな目を向ける。
「これ以上この村に留まるのは危険だからな」
 そうかもしれねーけどさー……とまだぶつぶつ愚痴をこぼすカイズを、ジラーが苦笑しながらなだめる。
「師匠、本当に気をつけて。困ったことがあったらいつでも頼ってください」
「ああ、頼りにしている」
 そこへ、初日に出会った幼女たちが駆け寄ってくる。
「巫女さまっ、また遊びに来てねー!」
「うん! またね」
「あっ、コワい顔のおねーちゃんもー!」
「あァ?!」
 怒り笑いのような表情で幼女たちを振り返る白兎の背中に、ラニアが銃を突きつける。
「大丈夫よ〜。こーんなコワい顔しててもホントはとっっっても優しいのよ。ねっ?」
「……ゴメンナ〜オネーチャンヒトミシリデサー」
 ねっ、の部分で銃口を強く押しつけられ、白兎は顔面蒼白。ぎこちなく手を動かし、幼女の頭をなでる。
 いつも通り(?)のやりとりを終え、一行は出発したのだった。
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