第七章第三話  束の間の休息を その二

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 翌日、カイズとジラーは再び村長の家にいた。
 あのあと。気を利かせた村長が話題を変え、食事や宿を手配してくれることになった。一行は滞在期間中、村の集会所で寝泊まりする。その代わり、耕作や収穫、水汲みや家畜の飼育などを手伝うということで合意した。
「なあ。村長はああ言ってくれたけど、他のみんなはやっぱり、渋っただろ?」
「そうじゃの……村の者たちも、最初は皆サルスのような反応だった」
 それは別段驚くことではなかった。足を洗ったとはいえ、『元』ガイラオ騎士団なのだ。おそらく、家族を殺されたのもサルスだけではないだろう。彼女のように、心に深い傷を負った者も少なくはないはずだ。突然現れて、大切な者の命を奪って。そんな集団の一員と同じ空間にいたいわけがない。『元』とはいえ、人を手にかけないという保証はない。事実、自分たちも大切な仲間を傷つけたのだから。
「“仇の一員を村に入れるなど自殺行為だ”と叫び出す者もおった。もっともな意見だ。だがの、お前さんたちもこの村の出身であり、被害者でもある。若い衆以外は皆、お前さんたちのことを覚えておる。儂と同じく、無下に拒むことはできんかったようじゃ」
 顔を見合わせる二人。たしかにこの村に来た当初は、お世辞にも歓迎されているとは言えない雰囲気だった。しかし、明白なまでの敵対心や嫌悪といった感情をぶつけてきたのも村長の孫娘ぐらい。他の者は難しい表情を浮かべていたものの、突き放すような言動をすることはなかった。
「それに……カルナの託した護符が、お前さんたちを正しい道へ導いてくれる。儂はそうも確信しておったからの」
「“カルナ”?」
 村長の言葉の中に不意に現れた名詞に疑問符を浮かべるカイズとジラー。村長は暫し沈黙した後、
「……カイズには姉がおると言わんかったか?」
「聞いてねえよ!!」
 全力で否定するカイズを見て、またも何事か思案する村長。数秒後、ぽん、と手のひらを叩く。
「おお。そういえば言っておらんかったのぉ」
「バカにしてんのかジジイ……ッ!」
「カイズー落ち着けー」
 天然なのか、痴呆なのか、はたまたお茶目なのか。ほっほっと笑う村長に掴みかかろうとするカイズを、ジラーがのほほんと、しかし後ろからしっかりと羽交い締めにして止める。
「まぁ覚えておらんのも無理はなかろうて。お前さんたちが拉致されたのは五つかそこらの時……巫女見習いだったカルナはカイズ、お前さんに護符を渡しておったはずじゃが……」
「護符……?」
 どうやら姉がいるという話は本当らしく、半信半疑ながらも記憶を辿るカイズ。あっ、と弾かれたように顔を上げ、右耳に付けたピアスを取り外す。小指の爪ほどの、球形の赤い耳飾り。それを見て村長が感嘆の声を上げる。
「おお……それじゃ! それこそ、あの日カルナがお前さんに託した耳飾り……」
「確かにこれ、随分長い間付けてるよなー」
「ガキの頃から当たり前のようにあったから……全然違和感なかったぜ」
 納得がいったように呟くカイズ。しばらくの間呆けたようにピアスに見入っていたが、突然あっと声を上げる。
「そうだ! その人いるんだろ? 返しに――」
「行方不明じゃ」
 カイズの明るい声を遮るように村長が告げる。その言葉はしかし、あまりにも重すぎて、カイズの思考は完全に停止した。ジラーも戸惑った様子で村長に目を向けている。
「……行方……不明、って……」
 どういう意味だよ、と続けたかったが、何故か口は動いてくれなかった。喉に何かが詰まったように声が出ない。村長は、そんなカイズの意図したことを汲み取って詳細を語った。
「そのままの意味じゃよ。カルナはお前さんたちを探しに行くと言ったきり、もう五年消息が掴めておらん。あの子は人一倍正義感の強い子じゃったからの……」
「じゃあ! もしかしたら……もしかしたら、ガイラオ騎士団の本拠地に行けば、なんか分かるかもしれねえってことか?」
 わずかな希望でもあるのならと、カイズは追い縋った。それとは裏腹に、村長の表情は固く動かない。表情と同じく重い口を開く。
「……可能性はある。だが五年も戻らんことを考えると……」
「……くそッ!」
 拳を勢いよく振り下ろす。やり場のない怒りと戸惑い。自分にはいないと思っていた肉親の存在を知って、カイズは嬉しかった。嬉しかったのに、かの人とは会うことも叶わないなんて。
「諦めるのはまだ早いよ」
 静かに、咎めるように口を開いたのはジラーだった。
「五年前ならオレたちが脱団した時だし、カイズの姉さんが来たとしてもすぐに殺されるとは限らない。脱団の手引きをしたって疑われて監禁されてる可能性もあるけど、オレたちがいないと分かって他の国を渡り歩いてるのかもしれない。全部決めつけるのは早いんじゃないか?」
 ジラーの言うことはもっともだ。過度に楽観的でもなければ、悲観的でもない。至極冷静な意見だ。彼の言葉に影響され、眉間に寄せていた皺が徐々に取れていった。
「サンキュ、ジラー。ちょっと頭冷えた。やっぱお前はサイコーの相棒だわ」
「どういたしまして。オレはお前のストッパーだし」
 バツの悪そうな表情を浮かべながら言うカイズに、ジラーもいつものようにのほほんと返す。二人の様子を見て、村長も言葉こそ発しないものの、張り詰めていた気が和らいだようだった。
「どっちにしたって今は動けねーしな……。もどかしーけど待つしかねーか……」
 テーブルの上で手を組みうなだれる。殺伐とした雰囲気ではなくなったが、問題が解決したわけではない。三者三様に悩んでいる中、カイズは視界の隅に映るピアスに目がとまった。ガイラオ騎士団に連れて行かれる直前、姉が自分に渡したという護符だ。
「……なあ、村長」
「なんじゃ?」
「オレの姉貴って、どんな人だった? なんつーか……顔も全然覚えてねーんだけど、これ見てるとなんか癒されてさ」
 小さくて丸い、どこにでもあるような形の装飾具。それでも何故か、心が落ち着いた。言いようのない安心感が、優しさが、自分を包み込んでいるような。そんな感覚を覚えた。村長もピアスを見つめながら、穏やかな口調で答える。
「心の優しい子じゃったよ。いつも笑みを絶やさず、穏やかだが強い心を持っておった」
「……そっか」
 視線をピアスに戻す。どこにいるのか、そもそも――生きているのか。様々な思いが脳裏をよぎる。だが、諦めたくはない。あの日からずっと側で見守っていてくれた、たった一人の姉の想い。
「……待っててくれよ。必ず見つけ出してやるから」
 無機質で小さなそれに、誓うように呟く。控えめながらも優しい微笑みが、朧気に浮かんで消える。それは決して落胆に値するものではなく、姉の笑顔を取り戻すというカイズの決意であった。
「それにしても一つ、引っかかることがあんだよな……」
「んー? 何がだ?」
 不穏な空気はひとまず取り払われ、三人の間に短い静寂が訪れた頃。カイズが何気なく放った一言に、ジラーがのほほんと返す。普段のやりとりである。――否。
「……おっまっえっなぁあああ!! ほんっとにスッカラカンなのな、その頭!! 人が心配してやったのにもうなんにも覚えてねえってか!?」
 再び暗雲が立ちこめたかと思いきや、次の瞬間には青筋を立て、相方の胸ぐらをつかみ激しく揺さぶるカイズがいた。ジラーは状況を飲み込めていないのか、周りに花が飛んでいる。ここまでもある意味、普段のやりとりと言えるかもしれない。
 そんないつもの様子に呆れつつ、カイズはジラーから手を離す。
「あのバカ女のことだよ!」
 そんな抽象的な表現で理解できるはずがない。
 ジラーの方はそう言いたげだったが、そんな彼を圧倒的に凌ぐ反応速度でもってカイズに忍び寄る者が一人。
「これカイズ。儂の可愛い孫娘に向かってバカ女とはなんじゃ?」
 暗殺集団の一員だったカイズだがそれとは事情が異なるのだろう。一般人、しかも老人に背後を取られ、怨念全開のその迫力も相まって全身が総毛立つ。
「びっくりさせんなジジイ!」
「ジジイとはなんじゃ、儂泣いちゃう」
「今さら猫かぶってんじゃねぇっ!」
 最早威厳の欠片も感じられない姿でよよよ、と泣く村長と、それを心底気持ち悪がるカイズと。二人を交互に見比べた後、ようやくジラーの合点がいったらしい。
「――なあ。それってサルスのことか?」
 ただその声色と放つオーラが、カイズですら数えるほどしか感じたことのないような、怒りとも侮蔑ともつかない冷たいもので。
「お……怒んなよ……悪かったよ……」
「? 全然怒ってないぞ?」
 思わず下手に出たカイズに、その理由が分からないと言わんばかりに疑問符を浮かべるジラー。裏表のない表情からして、どうやら自分自身の変化に気がついていないようだ。無意識とは恐ろしい。
「まぁ確かにお前さんにはこれでもかとばかりに突っかかっておるようじゃの。儂も常々不思議に思っておったが……最近になって漸く分かった」
 ふう、と溜息を一つ。どこか遠くを――過去を思い出すように白眉を下げ、村長は語り出した。
「お前さんたちが連れ去られた翌年のことじゃ。馬車一台で世界中を渡り歩いている、という一家がこの村に来ての……」
 その末男とサルスは、年が近かったこともありすぐにうち解けた。きわめて短期間の滞在ではあったが、実の兄妹のように睦まじくあった。一家の出立の時には互いに別れを惜しんだが、「いつになるかは分からないが必ずまた来る」。末男はそうサルスに約束し、旅立っていった。
 しかし、わずか半月後にまたサルスと彼は出会うことになる。ただし、最も悲劇的な形で。
 来たのは末男一人。血塗れであった。共に旅をしていた家族の姿はない。何かの事件に巻き込まれたのか。村長は末男に近寄ろうとしたが、一歩踏み出したところで思いとどまった。否、それ以上踏み込めなかったという方が正しい。少年の眼は半月前とは打って変わって昏く淀み、幽鬼が乗り移ったかのような黒い光を宿していた。目を凝らせば血みどろの身体は重苦しい鎧に覆われ、首元の金具にはガイラオ騎士団のシンボル。
 その姿を見て、悟った。末男は、自らの家族を手にかけたのだと。
「……その後のことは、先ほど話したとおり。ジラー、お前さんは……その末の子とうり二つなんじゃよ」
 カイズ、ジラーの眼が驚愕で見開かれる。二の句が継げないジラーに代わり、カイズが猛反論する。
「尚更イミ分かんねーよ! 仲良かったヤツと似てるってんなら普通あんな態度取らねーだろ!」
「親を殺されてもか?」
 ぐっ、と口をつぐむ。確かに、よほどの確執がない限りは、肉親を殺されれば何らかの感情が沸く。そしてその犯人が、親友だとしたら。たとえばそう、今隣にいる相棒――ジラーだとしても。混乱し、失望し、距離を置くだろう。仲が良ければ良いほど、大きく育った負の感情は制御不能となり、何も信用できなくなるだろう。
「あやつはサルスの両親を殺した後すぐに自害しておる。サルスの目の前でな。おそらくまともな会話は交わしてなかろう……。交わしておったとして、果たしてサルスの納得のいく答えが得られたのかどうか。そうして心の傷が癒えぬうちに、そっくりなお前さんが現れたのじゃ。あのとき不完全燃焼してしまった怒りや憎しみ、恨みがぶり返してもおかしくはない」
 村長の言い分はもっともだ。サルスの想いも理解できる。でも、それでも。
「ちょっと待てよ……それじゃジラーがあんまりだろ……! こいつはなにもしてねーのに……」
「良かった」
 その場の雰囲気にそぐわぬ安堵した物言いに、一瞬耳を疑う。真意を探るようにジラーを見ると、いつものようにのほほんとした顔がそこにあった。
「ちゃんと理由があったんならそれで十分だよ」
 理由があればいいと。仁義なき差別でも、理由があればそれでいいと。なんだこいつは、自己犠牲の精神が強すぎる。仏の顔も三度までだというのに、ジラーの顔は十度を優に超えている。平和な顔を眺めながら一通りのことを思い、まあジラーだしな、とカイズは無理矢理自分を納得させた。
「逆に理由ない差別ってどんなだよ?」
「生理的にムリとか?」
 それもそれで理由として成立しそうな気はするが、彼の中では「理由なき差別」に分類されるのだろう。
「今はちょっと難しいけど、いつかは分かり合える気がするんだ」
「……そうか」
 ジラーの言葉に、村長は内心感嘆していた。外見も、中身も似ている。ともすれば、『彼』が戻ってきたのではないかと思えるほどに。この少年ならば、サルスの固く閉ざされた心を開けるのではないか――。
 玄関のドアがノックされたのは、その時だ。
 振り向いたと同時に開くドア。その向こうに立つ人物を認め、カイズ、ジラーの表情が緩む。
「なんだ、兄貴じゃんか」
「どうかしましたか?」
 人物――イチカは弟分を交互に見つめ、静かに言った。
「少し、付き合ってくれないか」

 連れられるがまま、二人がたどり着いたのは人気のない空き地。意図がつかめない彼らをよそに、イチカは刀身ほどの木の棒を二本拾い、それぞれに投げ渡す。彼の手にはすでに渡されたものと似たような木刀。
「まさか……“付き合う”って……」
「修行だ」
 有無を言わさず即答するイチカ。文字通り絶句するカイズとジラー。
「『本気の』お前たちと手合わせ願いたい。もう、隠す必要もないだろう?」
「……」
 確かにもう隠す必要はない。これまでの手合わせで本気を出さずにいたのは、『見習い戦士』を演じていたかったからだ。強いて言えば、実力を出すことで無意識のうちに暗殺術を使ってしまうおそれがあったからだ。自らの凶行を止める手だてを知らなかったから、仲間を手にかけてしまうことを恐れたのだ。
「お前たちを縛っていた暗示はもうない。万が一暴走したとして、止める方法はいくらでもある」
 そうだ。今の二人には仲間がいる。碧、ラニア、白兎、ミリタム。生まれ育った村の中で暴走などしたくはないが、彼らはそれを最小限に抑えてくれるだろう。そう信じられるほどの絆はある。しかし。……
 なにがしかの迷いを抱えたままの彼らを見ながら、一つ溜息をつく。
「……今のおれならお前たちには負けない」
 ぴくっ、とカイズの肩が揺れた。
「操り人形になってもおれを殺せなかったお前たちに、今のおれを倒せるはずがない」
 安い挑発だ。そんなことはその場にいた誰もが分かっていた。
 それでも、そんな安売りすら見過ごせない、安値で売っても高値で強引に買う性格の彼は、どうしても挑発を聞き逃せなかった。俄に闘気が燃え上がる。
「ホントに倒せねーかどうかは……やってみなきゃ分かんねーだろ……」
「あちゃー……」
 背後に炎が見えるほど闘志に充ち満ちたカイズを見て、ジラーが額を抑える。対するイチカは普段通りの表情だが、心底満足しているに違いない。
「カイズがこうなったら、オレもやらないわけにはいかないなぁ」
 二人が武器――木の棒を構えたのを見て、イチカも構えを取る。頭に血が上っていても、カイズはジラーとともに暗殺集団の前線を突っ走っていたのだ。多少心が乱れていても、実力は抑えられないだろう。むしろ、実力以上の力を発揮するかもしれない。ジラーに至っては、どんな相手であろうと落ち着き払って動揺している風もない。どちらも正攻法で戦えば苦戦することは目に見えている。
「なっ!?」
 振りかぶったかと思いきや、イチカはあろうことか木の棒を二人に向かって投げた。高速の矢の如く二人を狙う棒は、されどただの棒。一直線に突進するも紙一重でよけられ、的を外して奥へ奥へと遠ざかる。しかし、矢に気を取られた一瞬で相手は視界から消えていた。周囲を駆け巡る音は聞こえるのに、いかんせんそのスピードが尋常ではない。豪雨でも降っているかのようにあちらこちらでリズムが響き、位置をつかむことも困難だ。
 刹那、殺気を感じて振り向きざまに棒を振るう。手応えがあったものの、それは同時に攻撃した相方の武器だと気づく。肝心の姿は、やはり見えない。
「いねえ……! どこ行った?!」
「ここだ」
 背後から聞こえた声に、しかし彼らは微動だにすることができなかった。これが実戦ならば、相手が誰か確認することもなく、首元に宛がわれた武器で命を奪われていただろう。
 あまりにも一瞬の出来事で、息をするのも忘れていた。思考が追いついていない頭で、今の状況を把握しようとする。己の、否、人体の急所に突きつけられているのは短刀ほどの棒きれ。初めは一本だった相手の武器が、へし折ったのか歪な二本のそれになっていた。そうすることで、二人同時に封じ込められたらしい。
「一本」
 背後から再び静かな声が勝利を告げる。
「……“一本”だぁ?」
 沸々と怒りがこみ上げる。純粋な打ち合いならまだ分かる。正々堂々真っ向勝負ならまだ分かる。だがこの結末は、そのどちらにも当てはまらない。
「ふっざけんなよ! いくら兄貴でもキレるぞ! こんなの手合わせでもなんでもねえ、ただの遊びじゃねーかっ!!」
 棒投げから始まり、隠れんぼ、鬼ごっこ。それらを彷彿とさせる、戦法とも言えない手段。ふざけている、遊んでいる、戦いをなんと心得ているのかと説教したくもなる。
 言われた当人は、いつも通りの表情で、カイズの怒りを受け止め。
「……遊びか。確かにそうだな。腹が立つのも無理はない」
「…………〜〜!!!!!」
 結果的に、さらに怒りを買っていた。
 沸騰して頭から湯気が出ているカイズを、どうどう、と後ろから押さえ込みながら、ジラーが問う。
「でも本当にどうしたんですか、師匠? オレたちと別れるまでは、師匠はこんな戦法じゃなかったはずだ。まるで、楽しむための戦い方というか……そんな感じがしますよ」
「楽しむための戦い方、か。それも間違いじゃない」
 イチカの口から意外な答えが発せられ、ジラーもカイズもきょとん、とした顔をする。左手を見下ろし、目を細める。
「何から話すか……とりあえず、『これ』からか」
 左手に靄がかかったのは、次の瞬間だった。
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