未来の申し子

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 東京都某区、時刻は九時を少し回った頃。人知れず店を畳む人影があった。ただしその人物、上から下まで紺色一色。怪しいことこの上ない。
「ふぅ……」
 声からして女のようだ。それも先程までとは比べものにならないほど若々しい。ではその先程まで、彼女は何をしていたのか。一時間前までさかのぼってみることにする。
 一時間前――人知れずぽつんと立てられた屋台のような店。『店』の両端天井にランプがそれぞれひとつずつ灯っているだけの、どことなく寂しい雰囲気である。にも関わらず、屋台の前には何十人もの人間が行列を作っていた。ブランド物のバッグを提げた老婦人から、明日の生活も危ういというような男性、学校帰りの女子高生まで、老若男女問わずといったところだ。強いて言えばやや男性の割合が多いようにも見えるが、大きな偏りはない。
 その行列の最前の男は、自分が「呼ばれる」のを待っていた。男の前は中年に差し掛かった痩せ気味の女。彼女も少なからず暗い表情をしていたから、何事かあって此処に来たのだろう。男にはそれほど大きな悩みはないが、その気持ちは嫌と言うほど伝わってくる。それにしても、と男は思う。
(遅い!)
 もう一時間近く中に入っている。次第に苛立ちがこみ上げてくるのを抑え、その怒りを貧乏揺すりに変えて待った。
「次の方」
 程なくして、病院にでもいるような指名がかかる。男の表情は先ほどとは一転して輝きだす。スキップで店に入っていく男の姿を、彼以降の人間は恨めしそうに見つめていた。
 その『店』の名はない。いつからあったのかも分からない。だが『店』と店主は驚くべき早さで世間に知れ渡り、近年の流行語にもなりうるほどの大反響を巻き起こしたのだった。
 店主の名は『桜紅(さくれ)』。彼女の職業は近年まれに見る、しかし本物の予言者である。

 『桜紅』に予言された者は数知れない。だが外れた事は一度もなかった。背後で目に見えぬ陰謀が渦巻いているのだ、などと異論を唱えた学者もいたが、すぐに廃れた。彼女の実績は、被予言者の人数に等しいと言えるものだった。“未来の申し子”。それが『桜紅』である彼女の、もう一つの名である。
 『桜紅』は更に一つ特徴を持っている。それが、名前の由来であろう真紅の髪。染めてもあれほど優雅な紅色には染まらないだろうと誰もが認めていた。そして、全てを見透かすようなブラウンの瞳。一時は異世界人ではないかと噂されたほどであった。だがそれはない。本人に言わせれば「これは地毛であってカラコン」なのだ。髪は本物だが眼は漆黒。両親は日本人。どういうわけか、こうなってしまっただけである。予言も単に「見えてしまう」だけに過ぎない。物心ついたときには「見えて」いた。
「あ〜〜気色悪!! 人の顔ジロジロ見てんじゃないっつーの!!」
 尚、これはイメージを壊されたくない者には言わない方がいい『桜紅』の地の性格である。先程見た男の事であろう。実はあの男、彼女の能力を口実に顔を見にきただけなのだった。予言を聞いているのかいないのか、男は彼女の顔を――正確には目元をじっと見つめていた。『桜紅』は相手の未来を見る以外に必要のないものは、全て隠している。耐え難いことだが職業柄追い出すわけにもいかない。そのうっぷんを今の今まで溜めておいたのだ。勿論、注意深く周りを見回して、出来る限り小声ではあったが。
「……寒……早く帰って寝よっかなぁ……」
 季節は限りなく春に近い。だが夜は当然のように冷え込む。尚かつ収入を得るためには、我慢しなければならない試練でもある。そそくさと『店セット一式』を担いで、家に帰ろうと一歩を踏み出したときだった。
「『桜紅』さん」
 背後から突然声がして、思わず肩が揺れた。そう言えば自分は『桜紅』だった。本名以外で「さん」付けされたことがないから戸惑ってしまった。そんな事を思いながら振り返る。
 声の主は男子学生のようだった。襟元の大きく開いたカッターシャツに、赤地のネクタイを締め――てはいない。ルーズに着こなしている。だがシャツはズボンの中に収まっているし、腰履きもしていない。僅かに茶髪が混じった髪は、おそらく地毛だろう。不良か真面目か選ぶとすれば、明らかに真面目なスタイルだ。唯一不自然な点といえば、前髪で顔の左半分が隠れているところだろう。よって『桜紅』から見えるのは右目だけだが、彼女が直感的に苦手だと感じるものだった。人のことは言えないのだが――どことなくその眼は、何もかもを見透かすようだったのだ。
「占ってくんない?」
 率直に言ってくれる。断れない眼差しだ。どことなく少年の口調には滑稽(こっけい)な何かが見え隠れしていたが、『桜紅』はそれよりも彼の眼がやっかいだと思った。そらさなければ有無を言わさず承諾してしまいそうな……そんな予感。
「……すみませんが、本日の仕事は終了しています。後日また――」
「なんか勘違いしてんね」
 少年の呆れたような言葉が、丁寧に断ろうとした『桜紅』に降りかかる。内心「何コイツ?!」と彼女は掴みかかりそうになったが、イメージが崩れてしまうのでやめておく。いろいろな意味で悪戦苦闘している『桜紅』を見ながら、少年ははあー、とため息をついた。
「占ってよ、『国橋(くにばし)さん』。あんたの未来をさ」
「!?」
 『桜紅』は耳を疑った。少年の口から出た固有名詞。今のは確かに、自分の姓だった。そして少年は「『桜紅』自身の未来を占え」と言った。何を考えているのか。
「正直困ってんだよねぇ。あんたみたいな能力者がいるとウチも商売大変なんだよ。いっそ自分の未来を見てくれると助かるんだけど」
 占い師や予言者といった類の職業は、基本的に自分の未来を占うことが出来ない。やろうと思えば出来る。だがそれをやってしまうことは、自らの辞職を招くことになりかねないのだ。もしも自分の不幸な未来を見てしまえば、自暴自棄になり結局は同じ道を辿る。仕事仲間の間ではタブーにも等しい。
「あたしがそんなこと、やると思ってんの……?!」
「しないだろーね、あんたの性格上。だからこっちも条件付けさせてもらおうかなーと思って」
 口調を変えるのも忘れて『桜紅』は少年を睨んだ。見透かしそうだと思ったら、本当に見透かしていた。よくよく見れば、彼の制服は『桜紅』が通っている高校と同じものだ。
 (こんな奴いたんだ。どこの学年だろ……
 っていうか「あんたの性格上」って何よ?! 知ったような口利きやがってこの鬼○郎ーー!!)
 完全に我を忘れ、もはや心の内では色気もへったくれもない言葉遣いになってしまっている。それでも何とか暴走する自分を押さえ込み、至って冷静な口調で問うた。
「……何よ条件って」
「おっ、乗ってくれんの? 意外だね〜。じゃあ言っちゃおうかなー」
(こっ、殺す……!!!)
 完璧に遊ばれている。どこかで自分が「落ち着け」と言っているが、憤慨した『桜紅』の割合の方が高い。少年はその様子を面白そうに眺め――
「俺の奴隷になれ」
「――は?」
 何命令してんのコイツ。
『桜紅』の中の率直な感想はこれだった。彼女の考えではどうやら語尾の方が大切らしい。
(ん、待てよ。それ以前にもっと気に障る言葉がなかったっけ。なんか“ど”が付いたような。ド○えもんじゃなくて、ど……どれ……)
 ど れ い ?
「ちょっとあんた何言ってんの誰が奴隷なんかに――!」
「んー? “清楚で物静かなぷりてぃ予言者”さんがそんな大声出していいのかなー?」
「……!!!!」
 顔を真っ赤にしながら怒りまくる『桜紅』に、少年が何事かを囁く。どうやらそれはキャッチフレーズならしい。『桜紅』は悔しそうな顔をしながら、少年に弱点の全てを握られてなす術がない。
「断ってもいいよ? 周りに『国橋さんが桜紅です』って言いふらしてもいいんなら、な」
「……っ……!!」
 かくて。
 “清楚で物静かなぷりてぃ予言者”兼“未来の申し子”である女――否、女子高生としての顔も併せ持つ『桜紅』こと国橋五月(さつき)、十七歳。季節は春。少年の脅迫に屈し、哀れにも奴隷の身となったのだった――。
「形だけよっ!!」
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