来訪者は異星人

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 そいつは、今までの日常を本日四時五十八分と三秒であっさりと変えてくれた。
 あたしは目を疑った。いや、今自分が立っている場所すら疑った。
 ここは柿町三丁目だ。今はそれほどでもないが、なんでも昔は柿がたわわに実ってたらしい。だから柿町だ。見た目はとってもコワイけどここの柿が大好きな与助じいちゃんがいる町だ。つい十分ほど前にもじいちゃんと喋ってた。というかじいちゃんが一方的に喋ってきた。今までいろんな柿を食べてきたけどここのはホントに格別でどれくらい美味いかって言ったらどこそこのなんたらかんたらっていうスーパーで名産って書いてあるやつより美味くて云々……ってそんなことはどうでも良くて。とにかく、じいちゃんにバッタリ会うなんて今日は運が悪いなって思ってた。
 でもこの状況は、運が悪いとかそういう問題じゃない。
「オイ女。ここどこだ?」
 目の上にホクロが三つ。白髪の逆毛。目つきの悪い三白眼。尖った耳。不機嫌そうな口調。ヤンキー座り。そして横に転がる巨大な……どんぶり?
 そのどんぶりが、おかしな事に七色に点滅している。
 ……熱でもあるのかもしれない。
 どこの誰だか知らないけど、旅をするならちゃんと地図を見ながら来なさい。ていうか、やっぱり人は見かけによらないということを実感した。大丈夫、そこまでできるなら更生は目の前。幻とはいえいい心がけだ。
「オイコラ無視すんな! どこ行きやがる!」
 さてと、帰ったらまずくつろいでお風呂入ってご飯食べてちょっとだけ宿題して寝よう。
 あ、そういえば今日『ころぶのマど』の日じゃん。ちょっと寝るの遅くなるけど、まぁいいか。
「年上は敬えっ!」
 ……あ、思わず振り返ってしまった。
 その自称『年上』をまじまじと見てみる。甘く見積もっても同い年くらいには見えるが、敬えと言われるほど年上には全くもって見えない。
「んだよ。見せモノじゃねーんだぞ。これだから最近の若いヤツは……」
「“若いヤツは”って、あなたも十分若いんですけど」
「バッカじゃねーの?! オレぁ五十八歳だぞ! そのくらい見て分かるだろ!」
「分からないから。地球上にその顔で五十八の人はいないから」
 まあ探せばいるかもしれない。実際のところは知らないけど。
 というか、ついつい普通に会話してしまった。これ、変な目で見られたりしてないだろうか。よくある「ママー、あのお姉ちゃん一人でしゃべってるよー」「シッ、見ちゃいけません!」って感じの会話が繰り広げられてたりしないだろうか。念のため周りを見渡してみると、案の定一組の親子がこちらを見ていた。いや、正確には男の子だけ見ている。その子は想像通り私を指さして、
「ママー、あそこにヘンなお兄ちゃんがいるよー。おっきなどんぶりきらきらしてるよー」
「やめなさいリョウタっ! 怒られるわよっ!」
 ……あれ?
「……ったく、最近の子どもは教育がなってねーな」
 意外と冷静な『ヘンなお兄ちゃん』。そしてあの親子の反応。これはもしかして、現実?
「オイ女! さっき『地球』だって言ったか?」
「え? ……あぁ、まぁ」
「あぁぁぁーーー!! とんだ災難だ!!」
 曖昧な返事を返すと、そう叫んで頭を抱え込んだ。一体どうしたんだか。
「あーあぁーー……よりによって宇宙一大気汚染が進んだ星に来ちまったとは……道理でUFOの調子が悪いハズだ……こりゃあ一生帰れねぇかもな……」
 ……なんだか今、非現実的な単語が発せられたような。
「……え? なに? UFO?」
「地球人ならUFO見たことあるだろ。まー地球偵察なんて物好きなことしてんのは文明の遅れた星くらいだけどよ。オレんとこはコイツをUFOって言うんだよ。場所を取らねぇし持ち運びに便利だし、あんなバカでかいのに比べたらこっちの方がUFOにふさわしいと思うけどな」
「ちょっ……ごめんなさい、からかうのやめてもらえます? そういう話はとりあえず科学研究所にでも持ち込んでもらって……」
「んだよ、信用してねぇな? 地球人は馴染みのないモノを受け入れないって噂はホントらしいな……まぁ説明するより見た方が早ぇか。見てろよ」
 一方的に話を進められて頭がついていけていない私をよそに、彼はあろうことかどんぶりの中に両足を入れた。
「……!!」
 どんぶりが浮いている。底が地面から十センチくらい離れている。驚いて声の出ない私に、彼はしてやったり顔で見下ろしてくる。
「どうだ、信用したか?」
「……透明の糸とか、リモコン操作とか……」
 何かあるはずだ、と私はどんぶりの下を覗き込む。頭上で舌打ちが聞こえたが、こんな非科学的なことを信じられるわけがない。
「いーから乗れっ!」
「ん? ……うきゃあっ?!」
 首根っこを引っつかまれていとも軽々と持ち上げられたかと思うと、いつの間にかどんぶりの上に乗せられていた。
「ここは空気が悪いからうまく動かせる確証はねぇが、とりあえず飛ぶぜ」
 そう彼が言い終わったと同時に、どんぶりが急上昇し、一気に加速した。鳥と同じくらいの高度を飛んでいるのに、速度は新幹線並に速い。しかも何よりもすごいのは、風当たりが全くと言っていいほど弱い。景色は瞬間的な速さで移り変わっていくのに、そよ風が通り抜けていくだけだ。
「すごい……」
「信用したみてぇだな。思ったより調子がいい。意外と捨てたもんじゃねぇんだな、地球も」
 なんかぶつぶつ言ってるなぁ、とぼんやり思った瞬間、急にどんぶりが傾いた。
「ちょっ、何?!」
「言ったろーが! 『空気が悪いからうまく動かせる確証はねぇ』って!」
「なんなのよその定義! 死因がどんぶりから転落死だなんて一番嫌なんだけど!!」
「ドンブリじゃねぇUFOだっ!! だいたいここの大気汚染が尋常じゃねぇからいけねーんだよ!」
「空気が悪いとか大気汚染がどうとかって……」
 COP会議じゃあるまいし、と続けたかったが、彼の言う『大気汚染』の原因と思しきものが眼下に見えて、言葉を失う。
 そこには灰色の排気ガスを大量に撒き散らす、大型トラックの群れ。そして煙突から立ち上る正体不明の白色の気体。つまり、世間一般に言う工場地帯があった。確かにこれは、典型的な大気汚染の原因と言われているものだ。しかしこんなにデリケートなどんぶり……もとい、UFOが存在するとは。
 私は深く深く溜め息を吐き、とある方角を指さして告げた。
「……山。行ける?」

 やはり予想通りと言うべきか、空気が綺麗だと言われる代表例の山に向かったのは正解だったらしい。山沿いに近づいた頃にはUFOも正常に作動し、年配の彼も見た目相応にはしゃいでいた。いや、年不相応か? まぁこの際どっちでもいいけど。
「まぁオレの星には敵わねぇが、ここもなかなかいい空気だな!」
 もうつっこむのも面倒になってきた。現実逃避だと思って話に乗っかってやるか。
「はいはいどうも。で、あなたはなんで地球に来たの?」
「そうそうそれなんだよ! いつものようにコイツで早朝散歩してたら、急にブラックホールに飲み込まれてよ」
 UFOを軽く叩きながら興奮気味に話す彼は、早朝散歩の部分以外はやはり子どもみたいだ。
「気づいたときには……銀河系、だったか? とにかくこの辺の星雲にいたってワケだ。こんなとこ来たこともねぇから適当に彷徨ってたら、すげぇキレイな星見つけてさ。飛び込んだはいいが、大気圏抜けた辺りからコイツの調子がおかしくなってよ。で、不時着したらオマエに会った」
 なんだかもう私の常識の範疇を超えた話になっていて、どう返せばいいのか分からない。大気圏を抜けたと言うが、あの辺は確か超高温じゃなかったか。ここまでの話を聞く限り、ただの宇宙オタクと言うにはあまりにも正直すぎる。もしかしたら、彼は本当に宇宙人なのか。色々な疑問が脳内を飛び交い、浮かんでは消える。そもそもマジメに考えること自体バカバカしいような気がして、適当に返すことにした。
「……で、どうやって帰るつもりなの?」
「それなんだよなぁ……ブラックホールの出る時期が分かりゃいいんだけどよ……」
「ロケットにくっついていけばいいんじゃない?」
 半ば冗談で言った一言だったが、まさかこの発言がのちに社会現象になろうとは、その時の私は考えもしなかった――。

 結局その後、少年の皮を被ったおじいちゃんとはあっさりお別れした。曰く「テキトーに地球観光してみるわ。帰る手がかり見つかるかもしれねーし。いや〜それにしても旅行なんか三十年ぶりだ! 地球の温泉巡りってのもなかなかオツだな!」だそうだ。それはそれは上機嫌だった。「温泉巡り」というのと「三十年ぶり」という言葉がなければ、私の中にはただのヤンキーという印象しか残らなかっただろう。どんぶりに乗った白髪の老人少年は、なかなか衝撃的な人間だった。しかし時の流れは、そんな斬新な出会いすらもかき消していく。月日は百代の過客にして……とはよく言ったもので、早くも三年の月日が過ぎようとしていた。
 それからはなんの変哲もない平凡な日々が再来した。三年経っても、相変わらず与助じいちゃんは柿について熱く語っている。ただ、最近では痴呆が進んだのか、会話の中で同じことを言う回数が増えてきたのが気がかりではある。しかしそれ以外は本当に、変わり映えのない生活の繰り返しだった。
 ある日、何気なくテレビのチャンネルを変えると、なにやら騒々しい映像が映し出された。画面右上に「LIVE」の文字が煌びやかに踊っている。見出しには「UFOか?! シャトル周辺に謎の飛行物体」と、バラエティ番組にありがちな文面。何をバカな、と思いながらリモコンを取ろうとして、リポーターの驚いたような声が耳に届いた。
「え?! 人の姿が見えたんですか?!」
「あー間違いねぇ。おれとおんなじ白髪頭のボウズが乗っとったわ」
 その声に聞き覚えがあって、思わず顔を上げる。そこには予想通り、見事につるつるの頭をした与助じいちゃんが映っていた。与助じいちゃんの発言の矛盾にリポーターが困った顔をしていると、じいちゃんの娘さんがすかさずフォローに入る。
「すいません、最近ボケちゃって……お父さん、髪の毛はガンになったときに全部抜けちゃったでしょ」
「おれぁガンになんかなってねぇ! まだまだ若いわい!」
「すいません、ほんとに、すいません。ほらお父さん、もう帰りましょ」
 まだ何か叫んでいる与助じいちゃんを連れて、娘さんはそそくさとカメラから離れていった。
 なんでスペースシャトルの打ち上げ現場にじいちゃんとその家族がいたのだろう。そんな疑問がよぎったが、それよりもじいちゃんの言葉が気になった。
『白髪頭のボウズ』
 いくら耄碌したお年寄りの発言とは言え、何かが引っかかる。気にする必要はないはずなのに、心に妙なしこりが残った。
「あ! 皆さん、今ご覧いただけましたでしょうか!? たしかに今、きらきらと光る飛行体が、スペースシャトルの周囲を回るように飛んでいました! カメラさん、あっち、あっち!」
 女性のリポーターに急かされるように、カメラが女性の指さす方向を向く。実際には速いのだろうが、肉眼では遅く見えるスペースシャトル。その周りを、七色に光る物体が自由に飛び回っている。
「……あ……」
 あの時の、何もかもが一瞬で脳裏を駆けめぐる。ほんの一瞬だけど、一生分の体験をしただろう三年前。どうして忘れることができたのか、全てを思い出した今となっては信じられないほどだった。
「カメラさんズーム、ズームできますか!?」
 画面が揺れながら、しかし確実にシャトルの近辺を浮遊する光に近づく。虹色に点滅する乗り物。その見た目は明らかに、
「……どんぶり?」
 リポーターの声と、私の確信とが一致した。
 それだけではない。その乗船者がスケートボードのように自在にどんぶりを操り、カメラの方を見下ろすように角度を変える。
「ありがとよー! 帰れそうな気がするー!」
 結構な声音で叫び、大きく手を振る少年。辺りの騒音で、テレビの向こう側の人たちにはうまく聞き取れなかったみたいだが、確かに私にはそう聞こえた。そういえばあの時、自己紹介すらしていなかった。知らず苦笑してしまう。
「地球人ー! もっと空気キレイにしろよー! また来るからなー!」
 その前にちゃんと故郷に帰れればいいけど。
 まあ「ブラックホール」がタイミングよく現れることを祈ってあげよう。
 ロケットに寄り添うように飛んでいた飛行物体は、ロケットと同じ時間に見えなくなった。中継が終わり、放送局のスタジオでは議論めいたものが始まっていたが、そんなものは耳に入らなかった。
 どうやらあのヤンキーじいちゃんは、よほど地球が気に入ったらしい。温泉が良かったのか、それ以外にも何か心惹かれるものがあったのか。その辺りは分からない。だけど一つだけ確かなのは、いつかは分からないがまた彼が来るということ。三年前と同じところに不時着するとは限らないし、会えるかも分からない。ただ、もしかしたらということもある。その時のために、科学を一から学び直した方がいいだろうか。
 不確かな未来に夢を馳せながら、私は図書館へと向かった。
 
 それから数年後。再び出逢いを果たすも、彼の外見が全く変わらないことに不平を言うのは、また別の話。
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